紀元前1200年のカタストロフって何?
紀元前1200年のカタストロフ(学術的には、紀元前1200年±50年頃)によって、それまで約400年間アナトリア半島に君臨したヒッタイト帝国が滅亡する。
「カタストロフ」は、破壊的結末とか悲劇的結末とか、兎に角、惨い形で終焉を迎えたことを意味しますが、紀元前1200年頃に一体何が起きたのか、正確なことは分かっていない。主説としては、「海の民」と呼ばれる民族が彼方此方を破壊しまくり、ヒッタイト帝国もその一つとして滅ぼされた。という話だが・・・
●単に「海の民」の侵略行為だけで、当時としては強大国の一つと目されるヒッタイトが、跡形もない状態に”消滅”させられてしまうのだろうか?
●ヒッタイトを滅ぼした「海の民」は、どうして新たな支配者としてアナトリアに国家樹立していないのか?
●そもそも、「海の民」は誰達なのか?
有力説の一つに、海の民=フェニキア人がある。しかし、交易で財を成していた商業の民が、わざわざ大きな取引相手を滅亡させるだろうか?
●海の民は一つの民族ではなく、複数民族の連合体という説もある。でも、これらの民族をイチイチ取り上げていたらキリがないので先を急ぎます。
★現代でも度々トルコや周辺諸国を悩ませているアナトリア半島の巨大地震や火山噴火、大津波等々により、ヒッタイトの経済活動中枢部(首都ハットゥシャとその近郊や、沿岸部その他)が壊滅的被害を受け、それに乗じた何処かの民族による大略奪(正に、火事場泥棒)が起きた。そういう可能性なら有り得る。兎に角、記録も遺せないほど猛烈なスピードで破滅したようだ。周辺諸国の遺跡群からも、ハットゥシャ(ヒッタイト帝国)に何が起きたのかという正しい記録は何も出土しない。だから学者の皆さんも正確なところを何も言えない。
全く以て不思議な話で、ギリシア諸国、エジプト、アッシリア等々、ちゃんとした国家が存在していたのに、「カタストロフ」が何であるのか全く記録されていない。世界七不思議にも挙げられない。触らぬ神に祟りなし?
ヒッタイト帝国が滅びて以降のアナトリアには、長い間、ヒッタイトのような完全な支配者が現れていない。ヒッタイトにとって最大の難敵だったアッシリア帝国などは、ヒッタイトがいなければすぐにでも遠征して来そうなものだが、アッシリア帝国内でもその他の国家でも、カタストロフによって政治が大きく混乱して、他国と戦争するどころではなかったと伝承されている。でも、「カタストロフ」が何かは分からない。大国一つ完全に葬られたのに・・・ほんと不思議である。その言葉を繰り返すしかない。
というわけで、ヒッタイト帝国が存在していた頃には、幾度となくアナトリアに対する侵略行軍を敢行していたアッシリアでさえ動かなかった(動けなかった)ということは、やっぱりとんでもない天変地異がカタストロフの正体だと思うのですが、ほんと、不思議である(こればっかり)。一体何だろう?
同時代に、「海の民」の襲来により大きな被害を受けたと言われる主な国家、文明地は下記の通り。
●エジプト(第19王朝/ラムセス3世が何とか撃退するが大きな被害になった)
●ウガリット王国(紀元前1850年頃から続いていた古王国は、紀元前1180年に「海の民」により壊滅させられたと云われている。
●エマル王国(紀元前3千年に遡ると云われる都市国家も、紀元前1200年頃に文明破壊された。)
●ミケーネ(ミュケナイ)(紀元前1900年には文明化して隆盛を極めていたミュケナイも、紀元前1150年に「海の民」によって壊滅した。ミュケナイが滅びたことで、レバノンを拠点としてキプロス島などに展開していたフェニキア人が、ギリシア・エーゲ海諸地域との交易を拡大させて地中海の覇者とも云われた。そのことで、「海の民」=フェニキア人説に結び付いている。それも疑わしいが、否定出来る根拠も肯定出来る根拠も今のところない。なので、何となく「そうだろうね(海の民の仕業だね)」って事になっている。
長続きしないアナトリア国家
ウラルトゥ
ヒッタイトが滅んで約300年。紀元前9世紀末頃のアナトリアに、アルメニア系と思しきウラルトゥ王国という国家が登場する。が、ウラルトゥの国家領域は、嘗てのヒッタイト帝国の西の端に少しかかるくらいで、其処から東へ伸びている。普通に考えたら、切り取り放題の西へ向かった方が楽に思えるが、300年近くも経って尚、その一帯には近づき難い何かを当時の人達は感じていたのでしょう。
ウラルトゥは、当然ながらアッシリアと向き合うことになり、紀元前714年の戦争では、大敗したウラルトゥが滅亡寸前に追い込まれている。何とか持ち堪えたウラルトゥですが、紀元前585年にスキタイの南下を受けて滅亡した。
アルメニア
滅亡したウラルトゥ王国の領域は、スキタイ族を経て、メディア族のものとなる。その後は、アケメネス朝(ペルシア)。そしてセレコウス朝(シリア)。という具合に支配者は変遷する。何れも、勢いのあった大国ですが揃いも揃って滅亡。何らか、罰でも当たったのだろうか?
セレコウス朝の支配が解かれた時に、復活したアルメニア人達が約400年ぶり、ウラルトゥ以来の自分達の国家「アルメニア」を建国する(紀元前188年)。この古代アルメニア人達が、今も続く世界最古の国教としてのキリスト教教会・アルメニア使徒教会(アルメニア正教会)を興し、アルメニア国は、世界最古のキリスト教国家と位置付けられている。古代宗教として代表的なゾロアスター教やミトラス教に取って代わる宗教(キリスト教)を国教とするアルメニア王国の誕生こそが、「古代の終焉」なのかもしれない。
フリギュア
ウラルトゥ~アルメニアと受け継がれた地域以外の旧ヒッタイト帝国の”跡地”には、海を越えてギリシア人がやって来た。
最初に到来したのはフリギュア人(フリギュア系ギリシア人)で、この人達のアナトリア登場はヒッタイトが滅びた頃に遡ると言われる。が、フリギュア人がヒッタイトを滅ぼした張本人達とは言い難い。彼らは恐らく、ギリシアでの生存競争が厳しくなったので、(カタストロフが起きて)誰も追って来ないアナトリアに新天地を求めたのではないだろうか。民族が生き残る為の賭けですね。
黒海沿岸に細々と展開していたフリギュア人も、400年も経てば大きな部族となる。そして、紀元前8世紀頃に王国成立(フリギュア王国)を宣言した。ところが、建国場所が周囲の理解を得られなかったのか、紀元前7世紀末頃に黒海対岸のキンメリアの侵略を受けて国力は大きく低下する。国家の体を成さない状態で自然消滅します。(但し、フリギュア語を話す人達は、紀元前3世紀頃までアナトリア各地に点在していたらしい。)
リュディア
紀元前1180年~紀元前700年のアナトリア(特に南東アナトリア)には、シリア・ヒッタイト国家群と呼ばれる大小部族の混在地が在った。ヒッタイト人の生き残りが多くいたのなら、カタストロフが何であったのかを語り継ぐことが出来たでしょうけど?そういう書物は何もない。
アナトリアの南東で、シリア・ヒッタイト群の一つが、紀元前7世紀頃にリュディア王国を立ち上げた。
リュディアについては、ヘロドトスが『歴史』の中で結構詳しく触れている。ヘロドトス以前には、紀元前8世紀頃の詩人と云われるホメーロスが、「メイオン人」として書いている。リュディアは、その最大版図をアナトリアの西半分にまで拡大した。が、紀元前547年にアケメネス朝の侵攻を受けて滅び、リュディアはペルシアの属領となる。ペルシアの脅威が目前に迫ったギリシア諸国家は、ギリシア人同士で争っている場合じゃないと結束してペルシアと相対することになるけれど、ペルシア・ギリシア戦争にまで触れると終わらなくなるので軌道修正します。
現在のパレスチナ問題
話は古代からいきなり現代へ飛びますが・・・
「海の民」には様々な民族がその候補に挙がっています。その中にはカナン人(ペリシテ人)も入っています。カナンは、現在のパレスチナで、そこはユダヤ人(イスラエル人)が「約束された地」と言い張ってイスラエルを建国した領域にも重なる。
古代イスラエル人も「海の民」の一つに挙げられる。だいたい、20近くの候補があるからイチイチ触れたらキリがない。
古代期、ヒッタイトを始め、アッシリア、バビロニア、フリギュア、メディア、リュディア、アケメネス朝、セレコウス朝・・・その他様々な国が勃興した。国滅んでも人滅ばずで、生き残った人達も勿論いて当たり前。生き残って次の国家の礎となったでしょう。しかし、物凄い数の人(数万人から数十万人、或いは3桁万人も?)が、殺されているのも間違いない。その当時に、大量殺戮兵器は無くて、殆どは、矢で射られたか、斬られたか、突き貫かれたか、叩きのめされたか、生きたまま焼かれたか、兎に角惨い殺され方でしょう。一人で数十人から百人以上を殺した兵士も多くいた筈。大勢の人々に対し処刑を命じた指導者・指揮官もいた。
何をそんなに憎まないとならなかったのは知らないけれど、そこまで人を殺しまくって本当に人間の所業か?でも要するに、人が集団化して部族や国家を成した以降、話が通じない相手を大量殺戮してきたのが歴史の事実。それは現在でも何も変わらない。
現代のパレスチナ人はカナン人でも何でもなくアラブ遊牧民の末裔という事だけどそういう事はどうでもいい。彼らは、第二次大戦以前からずっと長くパレスチナ(カナン)を領土として暮らしていた「先住権」がある筈。それを、欧米が「ユダヤ人が可哀そう」とかユダヤ人の資金と票を欲しがって無理矢理にイスラエルを建国して世界各地のユダヤ人を移住させた。そこから全ての不幸が始まり、ずーっと殺し合いが続いている。
今回の件は、ハマスが先に仕掛けたのが事実ならハマスは罰を受けなければならない。しかし、ハマス構成員を捕らえる為ならという理由だけで、(現時点で)1万人ものパレスチナ市民を殺害して許されるわけがない。イスラエルとそれを支持する米国は異常過ぎる。
ユダヤ人に土地に対する拘りが有ろうが無かろうが、パレスチナ人が平和に暮らしていた場所を奪い取ったことが全ての発端。その時点に巻き戻して、それでもイスラエルが正当化されるのなら、世界中が知恵と土地と資金を出し合って、パレスチナ人が移住して平和に暮らせる世界を保証してあげるべきではないのかな。綺麗ごととか甘いとか言われるだろうけど、それしか手段はないのでは?
写真の子どもたちは、生き残って大人になったらきっとイスラエル相手に戦い続ける。それだけの憎しみを背負わせたのだから。今の大人達も死ぬまでイスラエルを許さないでしょうし、それはイスラエル側もそうでしょう。
世界で最も不幸な紛争地帯を作った人々(欧米諸国の政治家達)は、何も思っていないだろうけどね。(もうきっと生きていないから)。
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