南北朝時代

時を紡ぐ~Japan~

南北朝時代への螺旋(1)~後嵯峨天皇の即位~

『治天の君』の「治天」という言葉は、古代期の大和朝廷に於ける君主への尊称である「大王」の正式名称「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」に由来する。 つまり、『天皇』呼称よりも古く用いられていた君主尊称が『治天の君』である。
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公家も武なり、武家も公なり

源氏や平家は天皇家を出自として代表的武家となった。公家も武家を誕生させた。 例えば、西園寺家から四国へ下った者達は十五将となった。 我が国の貴族達も、外国の貴族達と同じように血を流し戦った。「お公家様」は作られたイメージに過ぎない。
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筑後川の戦いが齎した九州の武将諸事情(1)

少弐頼尚は足利尊氏にとっては人生を救ってくれた大恩人の筈。 しかし尊氏は、頼尚の人の良さに付け込み利用するだけ利用して、恩を仇で返すが如き仕打ちを行った。 頼尚が、尊氏を救わず、後醍醐帝側に付いていたらもっと違う九州、もっと違う日本だった。
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観応の攪乱と大内・少弐・大友、それぞれの事情

足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。