アフリカ・アラビア周辺史

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『歴史』を確認出来ないヒト達の話

ホモ・サピエンスの歴史の始まりは、今から約7万年前。 ですが、現実的にはほんの数千年前のシュメール人から「歴史の言葉」(文字)が姿を現し始めたのであり、 それ以前のヒトを歴史利用するなど以ての外なのである。と、個人的には思うのである。 
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最古のヒト

ヒトは、いったい何処(いつの時代)で明確にヒトとなったのか。ヒトの祖先を求める旅(発掘調査)は現在でも世界中で繰り返されている。 最古のヒトはアウストラロピテクスではなく、サヘラントロプス・チャデンシスという見解が一般的にも浸透して来た。
民族・部族興亡史

キンメリア族の終焉とオリエント世界の興亡史(紀元前1200年のカタストロフ以降~アッシリア滅亡まで)

アッシリアは、サルゴン朝以降急拡大し、オリエント世界に覇を唱えた。 エラム、バビロニア、フリギュア、ウラルトゥなどの挑戦をことごとく退けた。 更に、キンメリア族を服従させると、エジプトをも征服した。が、アケメネス朝に取って代わられる。
民族・部族興亡史

キンメリア族のアナトリア乱入

キンメリアは、紀元前9世紀頃の黒海北岸の草原地帯に何処からともなく移動して来た遊牧騎馬民族。 現在の南ウクライナの黒海沿岸部を領土化したが、キンメリアの治政が国家と呼ぶに値するかどうかは懐疑的。 但し、歴史的な部族であったことは間違いない。
民族・部族興亡史

ペルシアの興りと人種区分

パフラヴィー朝第2代皇帝、通称パーレヴィ国王は、初代皇帝の父レザー・シャーにも増してアーリアン学説を強く支持した。 アーリア人の国を意味する「イラン」という言葉は古代~中世にはなく、歴史的にはエラムであり、メディアであり、ペルシアであった。
民族・部族興亡史

イランの興りと遊牧騎馬民族

『イラン』という名前は、イラン人曰く「アーリア人の国」を意味する言葉。 『ペルシア』という名は、アケメネス朝当時の首都ペルセポリスと周辺地名「パールス(パールサ)」という二つが由来。 でも、紀元前6千年から5千年以上の間、『エラム』だった。
LOVE & EROS

エチオピアとエリトリア(1)~シバの女王とアンドロメダ伝説~

ギリシア神話には多くの美女が登場する。 その中で特に魅力的な一人アンドロメダはエチオピアの王女。 エチオピア人の特徴は、黒褐色に近い肌か、赤褐色の肌か、兎に角、有色の肌。でも、王女アンドロメダは白い美肌を晒され崖下に鎖で繋がれて生贄に・・・
LOVE & EROS

恋と戦争の神話

元来、気高い筈の女性(女神)は、時々、その気品の高貴さを忘れて「気位が高い」だけの怒りっぽい卑しい存在になることもある。 その事を証明する絵画が『パリスの審判』だ。 ヘーラー、アテーナー、アフロディーテ。三美神の欲がトロイアを滅亡させる。
東欧史

ヴァンダル(3)~マルコマンニ戦争2~

歴史的には敵対していた時の方が目立つスラヴのヴァンダル族とゲルマンのゴート族。ですが、マルコマンニ戦争では同盟していた。 因みに、ゴート族にもヴァンダル族にも複数の部族・国家名称があるけれど、住んだ地域によって名前が違っていくのは珍しくない。
東欧史

ヴァンダル(2)~マルコマンニ戦争~

ローマに苦戦するイラン系王朝パルティアからの要請で、 同じイラン系の遊牧騎馬民族集団(総じてヤジゲ族)は、隣接するヴァンダル族と共にローマ属州ダキアに侵攻した。 同時期、ゲルマニアの諸族が次々とローマに反抗。これがマルコマンニ戦争と呼ばれる。