エチオピアとエリトリア(1)~シバの女王とアンドロメダ伝説~

LOVE & EROS

1991年5月29日。エチオピアを相手に約30年にも及んだ闘争(独立戦争)の末、独立を勝ち取った。
2年後の1993年5月24日。正式に、主権国家としての国際承認を受けた国、エリトリア

この両国間に跨るダナキル砂漠は、現生人類への進化が起こった場所であり、特にエリトリアは、(現在の考古学に於いては)現生人類が最初に姿を現した場所と云われている。エリトリアは、氷河期が終わる頃には、我々の最も古い先祖が暮らしていた地域でありながら、現代に於いては独立後まだ30年ほどの歴史というとても若い国である。

さりとてエリトリアは、現代世界ではとても若い国ながら、古代世界ではエジプト王朝より『神の国』と呼ばれ崇められていたプント王国の有力比定地でもある。不肖私は勝手に思うのですが、最も早く人類が暮らし始めていた場所であるのなら、最も古く王国が誕生した地域で何ら不思議じゃないので、”有力な候補地”などと言わず、「エリトリアとエチオピアは、現生人類にとって最も早く成立した国家、プント王国の比定地である」という表現で良いのではないですかね?エビデンスが無いとかいうクソ面白くもない理由によってダメですかね?

現生人類の故地・東アフリカ

ヒト属は、旧人類(ホモ・ネアンデルタ―レンシス他)から原人(ホモ・エレクトゥスが最も有名で十種ほど名前が挙がっている)へと進化して、更に現生人類(ホモ・サピエンス)へと進化した。

現生人類(ホモ・サピエンス)への進化経緯は、現代の科学で分かっている範囲では以下の二つ。
更新世(約258万年前~約1万年前)の東アフリカで起こったということ
最初にホモ・サピエンス・イダルトゥ(約16万年前の生息が発掘調査によって立証されている)があり、イダルトゥが直接の祖先となってホモ・サピエンス・サピエンスへと進化したということ。

ホモ・サピエンス・イダルトゥは、この地球上にはもう存在しないという事になっているが、”この人たち”は、今のところ、エリトリアやジブチ、エチオピア、ソマリア、タンザニアなどの東アフリカでしか見つかっていない。その事に因り、東アフリカこそが(現生)人類の故地という根拠となっている。

変異種の誕生

Y染色体の旅図は、Wikipediaよりお借りしました。

東アフリカ地域の人達と言えば黒褐色の肌の持ち主=ネグロイドというイメージがありますよね。遺伝子学的には、出アフリカを行わずアフリカ大陸に留まったハプログループE(Y染色体ハプログループE)という分類を受けている人達に当たります。

現生人類へと進化を遂げた地域が、東アフリカ、特にエリトリアやエチオピアであるならば、どうしてネグロイドの人たちは次の進化をアフリカ大陸内で起こさなかったのだろう?例えばコーカソイド、モンゴロイド、オーストラロイドへの進化ですけどね。

今のところ、コーカソイドへの進化(突然変異)が起きたのはコーカサス地方。モンゴロイドへのそれはバイカル湖の南辺り。オーストラロイドはちょっと無理矢理的にアフガン辺り。尤も、それらの地域が最終進化(変異)地点ではなく二次・三次・四次・・・と変異はずっと起きていったわけだけど。そしてネグロイドの人々もアフリカ大陸内で二次・三次・・・の進化(変異)を起こしている。それは分かるけど、兎に角、肌の色や顔印象の見た目や髪の毛や身体的特徴や・・・が、何故、アフリカ大陸内と他の地域では違って行ってしまったのか。それが「突然変異でしょう」って言われたらそれまでの事だけど、食べ物?気候?いったい何の要因?その進化が起こったと云われている地域にネグロイドの人達に特例的に移住して頂けないかな?例えば数十年後や百年後かもっと先か。ネグロイド同士の婚姻が繰り返される中で、移住した彼らの子孫に、突然、コーカソイドやモンゴロイドやオーストラロイドが生まれるのか?これを知りたい。この謎は絶対に知りたいのだけど、そう思いませんか?人は、どういう条件であれば突然変異するのか。めっちゃ興味あるのですが。

アンドロメダの秘密

ギリシア神話には、多くの美女が登場します。その中で個人的に最も好きなアンドロメダはエチオピアの王女。エチオピアの人々の印象は、黒褐色に近い肌か、赤褐色の肌か、兎に角、有色の肌色。でも、王女アンドロメダは白い美肌を晒され崖下に鎖で繋がれて生贄に・・・

アンドロメダの裸体の謎(秘密)を追わずして捨て置くのは男じゃないね。なーんてね。

ギリシア神話は紀元前15世紀頃に興り口伝され続けます。神話の書承が始まったのは紀元前10世紀頃。その頃、エリトリアという呼ばれ方をしていた国や地域は無かったから総じてエチオピア=アビシニアとして伝わったのでしょう。ギリシア人が、当時のエチオピアに行ったことがないのならいざ知らず、エチオピアの人々が黒褐色の肌色の人達であることはギリシア人も知っていた筈。でも、エチオピアの王女アンドロメダを白い肌として描いた。何故か?これは、紀元前10世紀頃のエチオピアが、イスラエル王国やシェバ王国と関係が深かったことに因るものでしょう。

バビロニア

東アフリカ(エリトリアやエチオピア)をテーマに書いていながら、話は、いきなりアラビア半島の古代王国バビロニアへ飛びます・笑

初期バビロニアがアッシリア帝国に屈して数多の歳月が流れた紀元前625年の或る日、アッシリアに統治されていた旧バビロニア南部カルデアの属州総督ナブー・アパル・ウスル(=ナボポラッサル)がクーデターを起こす。ナボポラッサルは生粋のアムール人(バビロニアを建国した人たち)。祖国バビロニアの為に敢然と立ちあがり、反アッシリアの旗を振った。ナボポラッサルのクーデターは民衆の支持を得て成功する。バビロンの奪還に成功したナボポラッサルは、新しいバビロニア国家(新バビロニア帝国)の樹立とアッシリアからの独立を宣言。新バビロニアの初代国王として即位する。

ナボポラッサル率いる新バビロニアは、長年敵対していたエラムやペルシア人達と同盟してアッシュールの攻略に成功。首都を奪われたことでアッシリアは大混乱に陥った。更に重要拠点都市ニネヴェ、次いでハッラーンの攻防戦でも敗北を重ねたアッシリア帝国は、遂に滅亡の時を迎えた(紀元前609年)。

アッシリアの滅亡を待っていたかの如く、空かさずエジプト帝国(第26王朝:ネコ2世)がユダ王国へ侵攻(紀元前609年:メギドの戦い)。その4年後の紀元前605年に新バビロニア軍がユダへ向かいエジプト軍を撃退してユダを開放する(と言うより、バビロニアが新たな支配者となった)。この時の新バビロニア軍を率いていたのが、ナボポラッサルの第一王子ナブー・クドゥリ・ウスル(ネブカドネザル2世=後に、新バビロニア帝国の大王と称される)。その年、初代国王ナボポラッサルが崩御して、ネブカドネザル2世が二代目の国王に即位する。

ネブカドネザル2世と言えば、その後二度に渡ってユダ王国を侵略し、ユダヤ人を「バビロンの捕囚」とした事で有名です(在位期間は、紀元前605年~紀元前562年)。表面上は、ナボポラッサルの嫡男なのですが、それを覆す話が、エチオピアその他で伝承されている。

シバの女王に関するティグライ族の伝承

真ん中、エチオピア・アスクムにあるシェバの女王の神殿遺跡  左、少女に手懐けられるドラゴン・笑  右 シェバの女王の生成AI画

古代エチオピアの伝説を記した書『ケブラ・ナガスト(Kebra Nagast、王たちの栄光)』には、『新約聖書』に出て来る「南の国の女王」がマーケーダーという名であることが記載されているとのこと。

マーケーダーと言えば、『シバの女王』として広く知られている古代シェバ王国(シバ王国)の女王の名と同じ。という事は、「南の国の女王」=「シバ(シェバ)の女王」=マーケーダーということが成り立つってことですよね?更に・・・

マーケーダー=シバの女王と言えば、古代イスラエルの国王ソロモン(紀元前1011年頃~紀元前931頃)に犯され(否、合意の上?)、子を孕み、その子がエチオピアを統一する王メネリク1世であることもよく知られています。更にゞ・・・

古代シェバ王国の場所として有力視されているのは、エリトリア、ジブチ、エチオピア、ソマリアなどの東アフリカであり、しかし最有力候補はアラビア半島南西部のイエメン。最有力と言うより、ほぼ確実。例えばイエメンとジブチなら、紅海のバベル・マンデブ海峡を挟んで直ぐ(と言っても30kmくらいはある)の場所。丸太を組んだ船でも往来可能だったし、泳いででも?そりゃ無理かな。

以下、エリトリアとエチオピアに伝わる話ということで書きますから、「それは違う!」と言われたって知りません。

不肖私があくまで個人的に最も納得出来るシバの女王伝説は、嘗ては古代アクスム王国の中心地であり現在のエチオピア北部ティグレ州メハケレグナウ圏のアクスム地域に暮らすティグレ族の間に伝わり続けている話。因みに、ティグレ族がエチオピアに占める人口比率は全体の約7%程度だが、紀元前21世紀頃にアラビア方面から渡って来たアフロアジア系セム語派の民族であり、エチオピアの住民歴としてはとても長い。現代でこそ黒褐色系の肌色だけど、混血する前はコーカソイド特有の肌色であったとも考えられる。7%くらいはネグロイドじゃない人がいたって多民族国家のエチオピアですから問題ないのではないでしょうか?

メネリク1世の母となる女性は、ティグレ族を出自とし、エテイェー・アゼーブ(ティグレ族の言葉で南の女王を意味する)という名で呼ばれていた。当時の人々は、ドラゴン(竜)に対し畏怖の念を抱いていて、エテイェー・アゼーブはまだその名前を持たない名も無き生娘の少女だったが、竜の生贄となるべく、衣を全て脱がされ大きな木に縛られた。

しかし、偶然にもその場所を通りかかった七聖人が、竜に襲われる寸前の少女を目にする。極上の料理=生贄少女に襲い掛かろうとしていた竜は、寸でのところで七聖人の十字架に打ち据えられて退治された。その時、竜の血飛沫が少女の踵に掛かり、その部分だけがロバのように変形してしまった。聖人たちは縄を解き少女を救ったがそのまま何処かへと姿を消した。

翌朝、少女の亡骸を埋葬する為に集まった族長や人々が目にしたのは、踵だけが異常に変形していたが、美しい裸体に真っ赤な返り血を浴びた少女と、少女の足元に横たわる竜の死骸。何も事情が分からない人々は、少女が恐ろしい竜を退治したものと受け止め、少女を『エテイェー・アゼーブ』と崇め奉った。つまり、シバの女王が誕生した時である。

その後、イスラエルの国王ソロモンの不思議な力を噂に聞いた人々は、女王の足を元に戻せるのはソロモンではないだろうかと期待し、女王をエルサレムへと運ぶ。但し、美しい少女であることを分からせないように女王を男装し、付き添う侍女も男装させた。

ソロモンの宮殿にアビシニア(=エチオピアの古い呼び方)の王として迎えられたエテイェー・アゼーブは、見たこともないガラス張りの床を”水面”と勘違いして思わず着衣の裾を捲り上げた。すると、醜く変形した踵がソロモンの視線に晒されたが、同時に、美しい脚にもソロモンの視線は這う。

ソロモンの不思議な力なのか、ガラス床の魔力なのか、女王の踵は元に戻った。が、同時に、男装していたこともソロモンに見抜かれた。しかし、ソロモンはわざと気付かないフリをする。

アビシニア国王を歓待する宴が催され、酒や食事が大量に用意されたが、食の細さを隠せないエテイェー・アゼーブが間違いなく女性であることをソロモンは確信した。そして、「男同士、夜通し語り合いましょう」と断れない雰囲気を作って自分の寝室に(男装した)女王と侍女を招き入れた。まだ生娘だった女王と付き従った侍女は夜通しソロモンに犯された。

ユダヤの戒律には、快楽の伴わないセックスは禁じられている。つまり、処女であろうと快楽を与えなければならないし、処女であろうと快楽を覚えなければならない。ソロモンは秘薬(媚薬?)を用い、女王を愛し続け、女王もソロモンの愛し方の虜となる。しかし、帰国の時は訪れる。

アビニシア(エチオピア)へ戻って、女王は、自らの胎内に新たな命が宿ったことを知る。このようにして誕生したのがメネリク1世。

成長したメネリク1世は、或る時、エルサレムへ向かって父・ソロモンに対して、ソロモンの精を受けたエテイェー・アゼーブから生まれた息子であることを告げる。自分の血を受け継ぐ者がアビニシアの王位継承者であることをとても喜んだソロモンは、メネリク1世に(イスラエル民族の守護者としての)ミカエルのターボート(小型の聖櫃あるいは十戒の石版)を与えた。が、メネリク1世は帰国前に、より価値のある(キリスト教の聖母)マリアのターボートを盗み出した。

というような話ですが、最後の話(マリアに関する件)は全く以て歴史上の年代が合致せず、その辺りはティグレ族が勝手に創作した話であることは間違いないですけど、ま、それはエチオピア正教にとって欠かせない部分なのでしょうから不肖私がとやかく言う話でもないです。

少女だったエテイェー・アゼーブが全裸にされて竜の生贄として捧げられようとする話は、正に、アンドロメダの神話にそっくりです。ギリシア人が、エチオピア人かエジプト人かに聞いた「南の国の女王」の伝説をアンドロメダとして置き換えた。とも思えてしまうよね。こういうシチュエーションは、『キングコング』などにも採用されている。

さてさて、多説ある女王とソロモンの性愛行為ですが、兎に角どれもこれも、最初はソロモンが襲い掛かるところから始まります。可憐な少女であればあるほど、男という生き物は、力づくで毒牙にかけたくなるのでしょうかね。ほんと、どうしようもないね・・・って、自覚してますが、不肖私こそがエロ爺だ(苦笑)

シバの女王に関する聖書伝承とイエメンの伝承

シバの女王とソロモン王の関係について最初に書かれたのは『旧約聖書』。そして『新約聖書』にも引き継がれた。上述したティグライ族(ティグレ族)の伝承とはまた違う内容である。『新約聖書』は、世界で最も多くの回数読まれているであろうキリスト教徒の聖書ですから、一般的にはこの聖書に書かれた内容が支持されるに決まっています。でも、先ずは『旧約聖書』の記載を要約して少しだけ書きますと・・・

『シバの女王はソロモンの知恵の噂を伝え聞くと、多くの随員を伴って、香料、大量の金、宝石などの贈り物をラクダで運び、難問を以って彼を試そうとエルサレムを訪問した。』とあります。

ラクダで運べる位置に女王の国・シェバはあった。そういう事になります。知恵の噂の確認がどうして必要だったのかは分かりません。エルサレムの宮殿でソロモン王と接見した女王は、難解な質問を浴びせるが、ソロモンの答えは全て的を射た。そもそも、宮殿の素晴らしさと豪勢な料理、居並ぶ臣下、神殿の燔祭など、何もかもが自国とは違い、女王は敬服していた。女王は非礼を詫びると共に、ソロモンが仕える神(ユダヤ神)を称え、金200キカル(1キカル=約34.2kg。合計=6.84t)と非常に多くの香料や宝石を贈る。ソロモンは、女王の望むものを与えた。

というような旧約聖書の内容が次々と書き換えられていく。

それはそれとして、この「南の国」の女王の話は、キリスト教への転宗を誘う時に利用されていた。つまり、異教徒の女王でさえ「教え」の前にひれ伏すしかなかった、という例え話での利用です。その話がいつしか女王とソロモンの艶話がメインになっていく。困ったもんですね・笑

では、シェバ王国の最有力地であるイエメンの言い伝えはどうなのか?実は、イエメンでは、ソロモン王とシバの女王の子は、ネブカドネザル2世であると伝承されている。うん?何ですと?新バビロニアの大王と称された王はイスラエル王の血を引く者だった?!

エチオピアもイエメンも、ソロモン王とシバの女王が性愛関係になった事までは同じです。しかし、生まれた子が違う。うん?メネリク1世=ネブカドネザル2世なのかな?もしそうであるのなら、新バビロニア帝国はエチオピア(東アフリカ)までも治めていた超大国だった?まぁね、「帝国」という名称はそもそも大きな国家領域を持つことが前提ではありますけどね。

という話も満更ではなく、ネブカドネザル2世の新バビロニア帝国は、少なくとも2度エジプト遠征を行っている(一度目は大敗したが、二度目は勝利している)。エジプトの支配者となったネブカドネザル2世の遠征軍が更にエチオピアまで到達した。そこで国王即位した。という事ならば、新バビロニア帝国(エジプト含む)とエチオピア、更にイスラエル王国やユダ王国も全て兄弟国家となる。誰か解き明かしてくれないですかね。古代の謎は深いし実に面白い。 

シェバとユダヤ

イエメンには、現在もシェバ(シバ)という地名を持つ地域がある。シェバ王国は、エチオピアに王都を遷都して、しかし、アラビア半島の西岸も併せて統治していた可能性もある。

ソロモン王の父はダビデ王ですが、母はバト・シェバ(バテシバとも言われる)。バト・シェバは、ソロモン王の優秀な傭兵ハッティ人ウリヤの妻で、その美貌に横恋慕したダビデがウリヤの長期不在時にバト・シェバを強引に犯した。バト・シェバはそれで妊娠してしまったが、これは重大問題だった。
実は、ウリヤとバト・シェバ夫妻は不仲でセックスレス状態だったから孕む筈がない。思案したダビデはウリヤを戦場から戻す。バト・シェバには、嫌でも夫(ウリヤ)とセックスするように強く求めた。バト・シェバとしても、不倫による妊娠がバレてしまえば夫から殺されかねない。妻は夫に逆らえない時代のことである。バト・シェバは、ダビデから指示されたように毎夜妖艶な姿態を見せ夫を誘う。ダビデはダビデで、二人の交わりを毎晩覗き見て愉しんだ(つまり、マスターベーションしていた)。しかし、二人の性行為は上手く行かなかった。バト・シェバの妊娠を誤魔化す事を断念したダビデは、ウリヤを再び戦場に戻して、戦死を装い暗殺する。そして晴れてバト・シェバを妃とする。が・・・

全てを知った重臣から倫理的に強く窘められたダビデは自戒する。自戒の結果、強奪婚の要因となった子の命を絶つ。バト・シェバは悲しみに暮れたが、ダビデは、次に生まれる子を必ず王として即位させると約束する。二人は連日連夜性愛行為に耽った。そして生まれたのがソロモン王である。という逸話があるのですが・・・

ユダヤ教がマスターベーションを強く禁じるのは、ダビデの自戒によるものと云われている。また、セックスは快楽を伴わねばならないという戒律もダビデとバド・シェバの愛の日々の言い伝えによるものらしい。如何にして快楽の中で子を生すか・・・王と妃は研究を重ねた?
この妖艶な王妃バド・シェバの話が混同して、ネブカドネザル2世の母=シバの女王説もあるようです。

肌の色なんて関係ない

アンドロメダも南の国の女王=シバの女王もバド・シェバも、美しい女性だった。それだけでいいと思います。ギリシアの絵師から始まった白肌の裸体画だったのか、それともずっと後の画家が想像逞しく白肌の裸体画を描いたのか、そういうこともどうでもいい事です。自分が心から愛しく思えた人の肌の色とか気にします?そもそも、肌の色を好き・嫌いの条件に入れますか?愚かしいよね。ブラックでもホワイトでもイエローでもレッドでも・・・そんな色が先に来るんじゃなくて先ず”心”で触れ合えるかどうかでしょう。

濡れるだけならいつだって濡れるでしょうけど、体の濡れは乾くよ。でも、心を濡らされたら嫌いになるまで乾かしようがない。嫌いにならない限り心から濡れる。ちょっと露骨な書き方してるけど、言いたいことは分かって頂けますよね・笑

それにしても、エチオピア女性の美しいこと。『アフリカの真珠』『世界一の美女の宝庫』そのほか様々な形容で称えられるエチオピア(きっと独立したエリトリアもそうでしょう)。惚れ惚れしますね(AI生成画も含まってるけど)。

そして、既にそういう時代に入っている筈だけど、アフリカの時代が必ず再来するし、人類の故地はきっと復権しますよ。

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