I LOVE RUGBY

アフリカ史

ラグビーの歴史アレコレ(11)~人種差別問題を乗り越えたスプリングボクス~END

俺たちは、今やラグビー・チーム以上の存在だ。全てのこと(習慣の違い、肌の違い、先祖の国の違い、宗教の違い、生活環境の違い、何もかも)に慣れないとこの瞬間には出会えなかった。 南アフリカはきっと変わる。 俺たちも変わる。変わらないとならない。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(10)~今までの話の総括と勝手に選ぶ日本ラグビーの名選手~

グレート草津が、当時の日本ラグビー界の星だったことを多くの人は知らない。広く知られる前にラグビー界を去ってプロレス界へ身を投じた。 不動のプロップとして活躍後、プロレスラーになった阿修羅原も伝説のラガーマン。でも、一人だけ選ぶなら坂田好弘。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(9)~大牟田=≫八幡=≫福岡・・・~

福岡のラグビーをけん引したのは何と言っても八幡製鉄(日本製鉄九州八幡)。 全国社会人ラグビー選手権に於いて(現在のトップリーグに相当)、1950年第3回大会で初優勝して以降、1965年の第18回大会までに12回優勝(最長連続優勝4年含む)。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(8)~日本ラグビーの歴史~

20世紀前半の日本ラグビー界は黄金期にあった。勿論、世界的に見ての強さがどうのこうのいう話では無いけど、国内に於けるラグビー部の数が急増。 登録選手の数だけなら、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、3ヶ国の登録選手数の合計よりも上回っていた。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(7)~パプアニューギニアのラグビー~

パプア・ニューギニアは、ラグビーリーグ(13人制ラグビー)の世界的強豪国です。 そして、オーストラリアン・フットボールでは、本家を差し置いて世界一の称号を最も得ている最強国? 大きな誤解ですが、兎に角、パプア・ニューギニア恐るべしです。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(6)~ラグビーと民族問題~

北アイルランド帰属問題、スコットランド独立問題など政治フィールドでは、「ノーサイド」の笛はいつまでも聴こえて来ない。 が、アイルランド島とブリテン島の4ユニオン所属選手達は、「ライオンズ」に選出されることをこの上ない名誉としている。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(5)~アマチュアリズムとプロ意識~

「金は要らない。誇りと名誉の為だ!」という南部イングランドの"エリート"ラグビーに対し、北部イングランドの労働者階級の選手達の不満は募る一方。 週6日労働では土曜の試合に出られない。不公平の上に成り立っていたのがアマチュア・ラグビーだった。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(4)~ラグビーには15人制と13人制があり、その両方に7人制がある~「人数制ラグビー事情」

13人制ラグビーの世界的強豪国は、オーストラリア、イングランド、そしてニュージーランド。でも、ワールドカップ優勝回数で圧倒しているオーストラリアの強さが際立っている。 意外なのはパプア・ニューギニアが13人制ラグビーを国技とする強豪国である事実。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(3)~ネイションズカップの始まりとセブンズ~

イングランドで始まったラグビーですが、スコットランドやウェールズと「国際試合」をやってみたら力は拮抗していた。 "世界大会"開催の機運が一気に高まり、5ヶ国対抗戦(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス)が始まった。
フットボール系エッセイ

ラグビーの歴史アレコレ(2)~ラグビーはラグビー。サッカーはサッカー。~

アイルランド人は、Associationという言葉の中のsocが「仲間」という意味であること、それに”c”と”er(ヒトの意味)”を加えて、 「フットボールを通じて友人となろう!」みたいな願いを込めて「soccer(サッカー)」と呼んだ。