ラグビーの歴史アレコレ(9)~大牟田=≫八幡=≫福岡・・・~

フットボール系エッセイ

福岡県のラグビー事情

嘗て大牟田は日本ラグビー界の王者だった?

九州(特に福岡県)にラグビーフットボールが伝わったのは1920年頃と云われる。それから約30年。1948年に、日本のラグビー界にとっては大きな転換期となる第1回全国社会人大会が開催される。長い間、「ラグビーは学生のスポーツ」と見られていた時代に終わりが訪れた。

全国社会人大会の初代王者は福岡配炭公団(※福岡配炭公団ラグビーチームは早々に解散して、多くのメンバーは九州配電(現在の九州電力)へ移籍して九電ラグビー躍進の原動力となった)。
そして第二回は三井東圧化学(現在の三井化学)。現在では全く考えられないが、当時の大牟田は、三池炭鉱を始めとする三井系企業が活況を呈していて、且つ、日本ラグビー界の最強地帯だった!というのも満更ではないと思うけど、不肖私の幼少期には既に廃れ始めていたし、大牟田にラグビー選手がいたことすら知らなかった(苦笑)
炭鉱の町・大牟田に代わって1950年代~1960年代にかけて黄金期を迎えたのが、鉄の町・現在の北九州市一帯。重厚長大産業が隆盛を極め、一大工業地帯だった八幡や戸畑、小倉などに軒並み連ねた有名企業群に大学や高校の有名選手が集まるようになった(大牟田もそういう土地柄だったのだけど)。此処に、福岡ラグビーの礎が築かれる。が、やがて日本の鉱工業界が振るわなくなると、福岡県のラグビー事情は大きく変わる。企業ラグビーは弱小化し、高校ラグビーも福岡市とその近郊が中心となる。大学ラグビーは未だに不振。でも、今回は『ラグビーの歴史アレコレ』の終わりとして、敢えて福岡県のラグビー史を書いてみます。

小見出しの「嘗て大牟田は日本ラグビー界の王者だった?」は、今は完全にその面影は消えている。ラグビー、大牟田には全く根付いていない。ラグビー愛の不肖私としては寂しい限り。大牟田はこれでお終い(笑)

八幡製鉄

九州・福岡のラグビー(ラグビーユニオン)をけん引したのは何と言っても八幡製鉄(現・日本製鉄九州八幡)。全国社会人ラグビー選手権に於いて(現在で言うなら、トップリーグ)、1950年の第3回大会で初優勝して以降、1965年の第18回大会までに12回の優勝(最長連続優勝4年含む)。時代が時代なら、同じ新日鉄系の釜石や神戸製鋼が絶対王者だった時代以上に注目されて良い功績だが、それ以降は、1968年の準優勝があるだけで弱小化。八幡製鉄ラグビー部が全盛期だった当時のライバル達、トヨタ自工と近鉄がまだトップリーグで頑張っている事に対して、残念ながら完全に低迷している。でも活動停止状態ではなく、トップキュウシュウAリーグに参戦中。此処で上位力をキープ出来れば、(会社の理解さえ得られるなら?)いつかは復活の狼煙を上げて、トップリーグにその名を現す・・・かもしれない。福岡のラグビー大好き小僧にとっては憧れの対象だったチームなのでね、何とかもう一度、全国に「八幡」のラグビーを見せて欲しい。兎に角、90年を超える歴史を持ち、単独海外遠征もやっていた日本ラグビー界を牽引する存在だった八幡製鉄ラグビーの強さが復活しないと面白くない。・・・でも、それには、新日鉄(と言うより株主?)と地元ファンの理解が絶対に必要。釜石が、「釜石シーウェイブスR.F.C」としてリーグワン(ディビジョン2)に踏み止まっているのは地元の理解があるからだと思う。日本製鉄という企業体だけでクラブをサポートしていくのは結構厳しいのでしょうから、あとは、地元がどれだけ本気で応援出来るかに左右される。北九州市民も福岡市民も、弱いチームはすぐに見放すし、そういう気質は政治にも反映するし厳しいよね。

トップキュウシュウ

ところで、サニックスもコカ・コーラもチームを維持出来なくなって九州電力(キューデンヴォルテクス )以外に目ぼしいチームが存在しないという非常に寂しい九州(福岡)のラグビー事情。上述の釜石同様に、リーグワンのディビジョン2にはいるけれど、またいつ地域リーグ(トップキュウシュウ)へ落ちていくか油断出来ない。少年ラグビーとか少しは盛んな県だけに、国内トップチームの試合とか間近で見られれるように、何としても強いチームが欲しいけどね。サニックスには期待していたけど、解散してしまったものはしょうがない。ヴォルテクス、めっちゃ強いチームに化けてくれないものやろうかね。それよりも・・・

トップキュウシュウで戦っている、上述の”八幡”や、安川電機とか三菱重工長崎とかJR九州とか、何処でもいいので強豪になってくださいよ。ローカル過ぎる話だけど、日本のラグビー界を本当に盛り上げるには、九州・福岡のラグビー界に強豪クラブが再降臨することも欠かせない事だと思うので。

三地域対抗戦中止中

1948年に始まった、九州代表と関西代表と関東代表による三地域対抗戦は、現在は、三度目の中断期にある。現在中止になっている理由は、東日本大震災の影響によるものですが、復活しないのは九州のレベルが上がって来ないからではないのかな?49回やって、九州の優勝は僅かに2度。三すくみの年度が8度あるけど、関東か関西の優勝に限られている。とても、三地域の「オールスター戦」という感じではない。テレビ放送もやらなくなったし、消滅する可能性は高いよね(現在は消滅じゃなくてあくまでも中止)。

九州学生ラグビー事情

九州の各県と沖縄県の大学で3部制のリーグ戦が行われている。九州の学生ラグビー界を牽引して来たのは福岡大学福岡工業大学。この2校以外が1部リーグの優勝校になる場合もあるけれど福大(最多)と福工大(第二位)の優勝回数が抜きん出ている。けれども、社会人以上に九州の大学ラグビーは弱い。でも、嘗て福工大に、広島出身の沖土居稔というウイング選手がいて、サントリーでも活躍して日本代表にも選出された。この沖土居氏は、ユニオンだけではなく、ラグビーリーグでも日本代表に選出された。

沖土居氏と同学年で、糸島高校~福岡大学で活躍した山本俊嗣(フルバック)もいい選手で、山本氏もサントリー入りして日本代表にも選出された。山本や沖土居がいた頃の日本代表が色々個性があって面白かった。オールブラックス戦はボロ負けだったけど、沖土居がトライを奪った(日本唯一のトライ)。1989年のスコットランドとのテストマッチで28対24で勝利。歴史的な勝利を収めている。この試合には沖土居は選出されていないけど、山本は凄く活躍した。この二人(山本、沖土居)は自分らよりも少し年下だけど特に印象に残っている。

福岡大学からは山本氏以外にもユニオンの日本代表やセブンズの日本代表が選出されているし、福工大のOBにもトップリーグで活躍する選手が少なくはない。が、先述したように、他地域に比べればレベル差は歴然としている。

九州各県の高校生のレベルはけっして低くはない。でも大学レベルでは圧倒的な差が生じる。これは、九州学生スポーツ界の多くの分野に共通している悩みだろうけど、結局、企業の弱さが、企業クラブの余裕の無さに繋がり、それが大学ラグビーの低迷要因になっているのかもしれない。トップキュウシュウのレベルが上がれば、そこを目指そうとする学生のレベルも必然的に上がる。九州の社会全体で考えなければならない課題なんだろうけど、ラグビーも含めてスポーツによる経済効果や人間力アップ効果への理解は簡単じゃない。これは何も九州だけの問題ではなく、日本が、本当にラグビーでティア1各国に肩を並べたいなら、各クラブの運営を各地域がしっかり支えていけるようにならないと難しい。それをどのようにして成していくのかは各地域協会や日本協会の腕次第。とか言っても、結局、企業業績に依存しているので、国全体の経済力が下降線を辿る一方となることは明白なのでね、企業依存からの脱皮を果たさないと無理ですね。物凄く難しい事ですよね。

コメント