時を紡ぐ

ただ一人の何気ない言葉、行動が、世界の未来を変える。
だから人間は面白い。だから人の心は面白い。
だから人が集えば面白い。だから人の孤独も面白い。
人の時は世界の時となる。どんな「時」も全て繋がる。
時に無はない。無に時はない。
だから、全ての人の全ての時が必ず紡がれる。
だから、「歴史」は面白い。

時を紡ぐ~Japan~

公家も武なり、武家も公なり

源氏や平家は天皇家を出自として代表的武家となった。公家も武家を誕生させた。 例えば、西園寺家から四国へ下った者達は十五将となった。 我が国の貴族達も、外国の貴族達と同じように血を流し戦った。「お公家様」は作られたイメージに過ぎない。
時を紡ぐ~Japan~

筑後川の戦いが齎した九州の武将諸事情(1)

少弐頼尚は足利尊氏にとっては人生を救ってくれた大恩人の筈。 しかし尊氏は、頼尚の人の良さに付け込み利用するだけ利用して、恩を仇で返すが如き仕打ちを行った。 頼尚が、尊氏を救わず、後醍醐帝側に付いていたらもっと違う九州、もっと違う日本だった。
時を紡ぐ~Japan~

観応の攪乱と大内・少弐・大友、それぞれの事情

足利尊氏は、鎌倉幕府を倒すまでは英雄と言えたかもしれない。 しかし、西国の武将たちにとっては、けっして好ましい人物ではなかったかもしれない。 尊氏と後醍醐帝の争い、尊氏・直義の兄弟喧嘩などに振り回され、少弐氏などは破滅の道を歩む事になる。
東アジア史

民族・部族興亡史(8) =匈奴5=

匈奴は、遊牧騎馬民族で間違いない。しかし、呼韓邪単于の時代には親漢傾向が顕著となり、反漢派は民衆の支持を得られなくなっていった。 武力的には呼韓邪を圧倒していた兄・郅支は、漢からは敵と見做され匈奴を追われるように出て西進。康居と手を結ぶ。
東アジア史

民族・部族興亡史(7) =匈奴4=

遊牧騎馬民族匈奴は、長い長い漢帝国との戦いの中で政治的には漢に近くなった。 つまり、部族ではなく「国家」的な集団になったわけだけど、だからこそ権力争いが激化する。 そして、男と女の愛憎が絡み、個人の好き嫌いに左右され、牧歌的面白味は欠けた。
東アジア史

民族・部族興亡史(6) =匈奴3=

漢帝国には、優秀な人材が大勢いた。武帝の治政期も人材豊富だった。 しかし、皇帝の非を指摘出来ない取り巻きに囲まれた環境で、武帝の治政には過ちも目に付いた。 一方匈奴は、漢帝国の高官や将軍を好条件で帰順させ、漢の政治や軍略を導入していった。
東欧史

テュルク(2)

テュルクの足跡を辿れば、中央アジア、シベリア、西アジア、北アフリカ、インド北部、東南アジア、東欧の特に黒海周辺~パンノニア平原~ボヘミア辺りまで、 ユーラシア大陸の6割くらいに及ぶ。それだけの広範囲にテュルク系の部族史や国家史が刻まれている。
東欧史

テュルク(1)

多民族多言語で構成されるトルコ共和国。人種の坩堝と言われるこの国の主軸となるのがトルコ族。外国語風に言えば「テュルク」である。 トルコ国民=トルコ人を説明するのはトルコ国籍保有者で説明も何も簡単に済むが、テュルクの歴史説明は容易ではない。
東欧史

ウクライナ史 ~コサック現る~

ロシアがウクライナとの戦争に投じている「契約軍人」は登録コサックに近い。 登録コサックは、生涯軍人。兵役拒否を出来ないことを前提に、自由権・自治権・土地所有権・行政権・裁判権などが付与された。 が、国家財政を圧迫した。ロシアは大丈夫なのか?
ALLジャンルエッセイ

『歴史』を確認出来ないヒト達の話

ホモ・サピエンスの歴史の始まりは、今から約7万年前。 ですが、現実的にはほんの数千年前のシュメール人から「歴史の言葉」(文字)が姿を現し始めたのであり、 それ以前のヒトを歴史利用するなど以ての外なのである。と、個人的には思うのである。