ウクライナ支援が未来への投資?
ロシアとの戦争が始まった時、日本人の有識者とかいう人達の多くは「すぐに終わる。相手にならない」と、半ばウクライナを扱き下ろした。が、2022年6月、ウクライナ大統領ゼレンスキーは、ビデオメッセージで「私たちは敗れることはない!なぜならわれわれはコサックの一族だからだ!」と、強く訴え自国民を鼓舞した。約1ヶ月後のウクライナの「国家の日」(7月28日)には、公開動画の中で、以下のように語りかけた。
「我々にしてみたら、自由でない生き方は生きる価値に値しない。何処かの誰かに守られる代わりに(その誰かの)強制に従うことは、我々の存在意義を失くすということだ。自由と自立がないウクライナはウクライナに非ず。我々は奴隷というこ言葉を受け入れない。この単語は、我々の辞書にも勿論あるが、我々の脳裏にはない。我々は、息絶える時まで、最後の弾薬が尽きるまで、最後の一人(兵士)となってでも諦めず戦うのみだ」
絶対にロシア(プーチン大統領)には屈しない覚悟を示し、その通りに、2024年2月の今日現在(2月22日)に於いても、徹底抗戦し続けている。大体、日本の評論家さんは甘過ぎるるよ。この両国の戦争が短く終った試しはない。そんなもの、ちょっと歴史を調べたらすぐに分かる。(参照記事)
ところで、今週来日したウクライナのシュミハリ首相が、20日に行われた記者会見で、「日本はウクライナの経済回復と復興のリーダーの一人になると確信している」と、経済支援の継続と投資拡大を期待する発言を行った。
両国の会議終了後には、岸田首相が基調講演を行って、ウクライナへの支援の正当性の理由として、「未来への投資」であると訴え次のように述べられた。「農業、製造業、IT産業といった第1次産業から第3次産業に至る網羅的な経済発展を目指し、官民一体となって強力に支援する」。更に、共同声明では「復興のあらゆるフェーズにおける日本の継続的な支援」が約束された。
日本まで来て何も成果無しでは立つ瀬がないでしょうから、日本側としては精一杯の誠意を見せた。日本企業は結構ウクライナで現地支援してますから、他国に比べても支援している方だと思います。単純に武器供与程度しかしていない国に比べたら全然マシです。地雷撤去技術(工作機械)も提供してますし、復興支援も行っています。でも、本当に未来投資になるの?
日本が今までさんざん「未来投資」して来たアジアやアフリカ各国は、現在、経済の落ち込みが著しい日本に対して何かしてくれている?ハッキリ言って、今の日本は貧乏国に成り下がり、先進国家でもない状態でしょう。それなのに、相変わらず金をくれとしか云わない国々。日本はそれ(お金)しか求められないけれど、欲しいのは仕事でしょう?でも仕事なんてくれないでしょう。ウクライナもそうなるに決まってる。無償に等しいボランティアめいた仕事ならくれるけど、正規の受発注に結び付くのか極めて懐疑的である。嘗ては、ウクライナだって日本には手厳しかったソ連邦の中でも重要な位置付けにあった国。そんなに甘くはないと思うし、全ては無に帰すことも有り得るよ。ま、そういうのは百も承知で見返りなんて期待せずに「心意気」にて支援するんでしょうけど。
さて、久々のコサック話へ。
コサック現る
クリミア半島を除く黒海沿岸北東部~アゾフ海北岸一帯~現在のウクライナ東南部とロシア南西部に広がる平原地帯は、ウクライナ語で「荒野」と呼ばれていた。何故そういう地名だったのか、タタールに破壊され尽くしたからかどうか理由は知らないけれど、相当広大な平原です。
地域的な特徴としては、荒野はリトアニア大公国とポーランド王国、モスクワ大公国、クリミア・ハン国とオスマン帝国の国境地帯、即ち、しょっちゅう入り乱れる争乱地帯。これらの国々が成り立つ以前から、スラヴ語派諸族、北方ゲルマン(ノルマン=ヴァイキング)、遊牧騎馬民族諸族が交流・衝突する地域であり、定住(安住)が難しく都市化し辛い、故に、平原・高原・森林平原などが自然のまま残る地域でもあった。つまり、ハッキリした所有者が現れない(現れてもすぐに取って代わられる)無国籍な地域。その相当広大な”自由な風土”に「コサック」が登場する。
コサックとは、ウクライナ語で軍事的共同体。軍事的共同体なので軍隊組織ではあるが、国家を持たなかった彼らは統率された国軍ではなく、いわゆる「傭兵」です。そして、コサックは一つじゃなく大小幾つも存在した。コサックとなった人々は、農奴制から逃亡した農民、没落した貴族、タタール人(の内、盗賊行為を繰り返した賊徒兵を中心とする反体制派)等々。
コサックは、民族や部族で統一されているわけでもなく、利害関係で結ばれている。いや、利害関係だけで結ばれているわけでもなかった。政治思想や宗教思想や色んなものが絡み合って一つのコサックが形成された。コサック内に掟のようなものはあったろうけど、基本的には、金と力を持っているリーダー(貴族もいれば、盗賊団のボスもいる)の下に集っている。
コサック同士が連携し合っている場合もあったでしょうけど、基本的には、各コサックそれぞれが自由に傭兵契約を結ぶ。ポーランド、リトアニア、ロシア、オスマンなど主たる契約先は国家。契約先同士が戦争となった場合は、コサック同士が敵対し殺し合う。裏切りも日常茶飯事だったようです。
ザポロージャ・コサック
大方のコサックは荒野の中を勝手に領地化した。日本で言えば野武士。野武士も自由意思と金で動いた。コサックは、黒海やアゾフ海周辺の村や町に対する強奪行為を繰り返した為に極めて嫌われていたが、時の経過とともに、都市国家(は、言い過ぎで、せいぜい村社会)のような形を成すものと、傭兵軍団として特化するものと、盗賊行為に明け暮れるもの、という具合に枝分かれしていった。
最初の契約者かどうかは定かではないが、周辺諸国との争いも少なくなかった当時のポーランド王が、その軍事力がどれほどのものか試すために、ルテニア人(=東スラヴ人の中心的部族の一つ)のコサックと契約して南部の防衛を任せてみた。数年間はちゃんと仕事?をしていたが、1552年の或る時、そのコサックの首領(ドミトロ・ヴィシネヴェツキという貴族出身者)が、「俺たちは、「国」を持つべきではないのか!」と煽るとヴィシネヴェツキに賛同するものが続出。”お試し傭兵”は「国家宣言」。現在のウクライナ・ザポリージャ市内を流れるドニプロ川の島(川の中の島と言っても面積は約24k㎡ある)を占拠した。此処(ホールツィツャ島)を首都(=シーチ)とするザポロージャ・コサックの誕生です。首都=国家=島=村みたいな感じだったでしょうけど。
ところが、ポーランド王は面倒くさかったのか「勝手にしとけ。但し、仕事しろ」みたいに、防衛業務を続けてくれるなら島くらいはくれてやる的な対応だったようです。実際のやり取りは知らんけど。
川の中の島とは言っても、”首都”ですからね。まぁ、賑わったでしょう。ところが、賑わう場所は目立つ。目立つから狙われる。6年後の1558年に、ザポロージャ・コサックはクリミア・ハン国の攻撃を受けて島から逃げ出すしかなかった。クリミア・ハンとの戦いに敗れて逃げ出した、ということは、ポーランドから見たら”役立たず”という烙印を押されたに等しく、”国家再建”も厳しくなった。
ポーランド王から半ば見放されたザポロージャ・コサックを救った?(利用しようとした?)のがリトアニア大公。リトアニア大公の傭兵として働いていたら、リトアニアがポーランドと合併して、ポーランド・リトアニア共和国が成立(1569年)。自分達を見捨てた?ポーランド王に与するのも癪に障ったのか、ザポロージャ・コサックの大半は荒野を彷徨った?
因みに、ドン川の中流域~下流域を拠点としたいわゆるドン・コサックは、やがてロシア・ツァーリの傭兵となり、ロシア最大の軍事貴族集団と化します。
登録コサック ~軍事貴族化~
ポーランド・リトアニア共和国が始めた「登録コサック」制度は、認められたら貴族に準ずる身分が保障されるというものだったけど、要するに、(貴族にしてやるから)「死ぬまで戦え!」という契約。しかも、「登録コサック」の名称が「ザポロージャ・コサック」という名称になった。多分、元々のザポロージャ・コサックからの登録者が多かったのでしょう。面倒臭い話です・笑
当時のポーランド王ジグムント2世が登録を認めたコサックは300人程度に限られたと云われるけれど、当たり前ですよね。貴族に準ずる人数を300人ってのは潤沢な資金が必要になる。最初に登録制を思いついたリトアニアでは予算が足りずに登録コサック制はポーランドに先を越された。でも、リトアニアは結果的にポーランドと合併するけどね。コサックは、もともと非国民(=賊人)扱いだったから、貴族に準ずる身分になれるなんてね、本人たちも驚いたろうけど。でも、自由な生き方はし辛くなる。
この300人の登録数は1578年には600人に増えた。増やしたのは、ジグムント2世崩御後に即位したトランシルヴァニア公ステファン・バートリ。賢帝と呼ばれた人だし、トランシルヴァニアは興味深いので何れ深く触れますが今回はスルー。この人から、登録コサック制度の条件面がアップした。なので賢帝かどうかはちょっと疑問。
登録コサックには、一生軍人として兵役拒否は出来ないことを大前提に、自由権・自治権・土地所有権・行政権・裁判権などが付与された。更に、大かた全ての税金が免除。給与制(国家公務員に準ずる)、そして、平時に於いては職業選択の自由と商行為(貿易行為)の自由までも認められた。これ、絶対にいいですよね。自衛隊の幹部よりも更に特権みたいです。
しかも、(非戦闘員でも働ける)兵器製造工場と病院まで備えたトラフテムィーリウというコサックの為の町まで用意された。至れり尽くせりです。そりゃ、多くの領民(と言う名の兵隊)を連れて来て登録したくなるよね。1630年代までに、8千人の登録コサックがあったと云われる。だが、そうなると国庫が破綻する。コサック側も、ろくな戦闘員を連れて来ない。風紀が乱れる。結局、ポーランド・リトアニア共和国の内部崩壊を引き起こすことになる。
ウクライナ・コサック
取り敢えず、ザポロージャ・コサックは、その活躍が顕著であった為に広大な領地を有することになった(リトアニアが勝手に、そこを彼らの土地として了承した)。彼らはそこをウクライナと呼び「ウクライナ・コサック」に名を改めた。
つまり、国家としてのウクライナの始まりの原点は、リトアニア大公国の領邦国家ということになる。
(領域的には)古くはキエフ大公国だったとか、ハールィチ・ヴィルィーニ大公国だったとか、そういうところにウクライナ国家の祖を求めると大きく見間違う。見間違うから、日本ではクリミア半島の件も、西ロシア(東ウクライナ)の件も、ウクライナの主張ばかりを盲目的に支持して、常日頃からのロシア憎しも加担して「ロシア出て行け!」となる。まぁ、ロシアだからねェ、プーチンだからねェ、北方領土返さんからねェ、当然日本人からは嫌われるよ。ロシアが広大過ぎるからね・・・でも、広大なロシアが全てコサックだったらもっと怖かったよ。ロシアが社会主義とか捨てて、自由主義に寛容なツァーリ国家という原点回帰してくれたらいいんだけどね。ま、百年後は分からんけど、それを見ることは出来ない。知らんけど。
話を戻すと、リトアニア大公がウクライナ・コサックを容認したのは、彼らを利用して土地を拡大させて、引いては、リトアニア大公国の膨張を図る目的だったから。ウクライナ・コサックはその通りに暴れ回ってロシア・ツァーリやハプスブルク帝国やオスマン帝国などと戦い、領域を広げる。
しかし、領域が広がると、元々一体感の無いコサックですから広がった領域に対する奪い合い(内部分裂)が起こる。そうなって来ると手が負えなくなり、リトアニア大公の権威失墜にも繋がる。ポーランドでもリトアニアでも厄介者となっていくコサックは、「お前たちの領域はポーランドとリトアニアのものであって、お前たちだけのものではない」と言われ始めたものだから、「は?約束がおかしい!」と反発し蜂起軍となりポーランド・リトアニア共和国の転落の始まりとなって行く。
因みに・・・
現代のロシアは、ウクライナとの戦争を勝利に導く為の「契約軍人」を募集している。外国人傭兵じゃないので、どっちかと言うと、登録コサックに近いよね。
その「コサック」の棟梁であるヘーチマンとして最も有名な一人であり、ウクライナが国家(コサック国家)として樹立する礎となったボフダン・フメリニッキーについての話で結びたかったけど、それは別タイトルで書くことにします。
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