東欧史 テュルク(2) テュルクの足跡を辿れば、中央アジア、シベリア、西アジア、北アフリカ、インド北部、東南アジア、東欧の特に黒海周辺~パンノニア平原~ボヘミア辺りまで、 ユーラシア大陸の6割くらいに及ぶ。それだけの広範囲にテュルク系の部族史や国家史が刻まれている。 2024.02.26 東欧史民族・部族興亡史西アジア史
東欧史 テュルク(1) 多民族多言語で構成されるトルコ共和国。人種の坩堝と言われるこの国の主軸となるのがトルコ族。外国語風に言えば「テュルク」である。 トルコ国民=トルコ人を説明するのはトルコ国籍保有者で説明も何も簡単に済むが、テュルクの歴史説明は容易ではない。 2024.02.25 東欧史民族・部族興亡史西アジア史
東欧史 ヴァンダル(4)~マルコマンニ戦争3~ ローマを戦争勝利に導いたヴァンダル族は、ローマの協力者としてダキアの西半分と現在のハンガリーが領地として保障された。 それに加えて、ローマの市民権を望む者にはそれに見合う教育を受ける条件で移住が認められるなど、ローマと共に歩むようになった。 2024.01.27 東欧史民族・部族興亡史西欧史
東欧史 ヴァンダル(3)~マルコマンニ戦争2~ 歴史的には敵対していた時の方が目立つスラヴのヴァンダル族とゲルマンのゴート族。ですが、マルコマンニ戦争では同盟していた。 因みに、ゴート族にもヴァンダル族にも複数の部族・国家名称があるけれど、住んだ地域によって名前が違っていくのは珍しくない。 2024.01.25 東欧史民族・部族興亡史
東欧史 ヴァンダル(2)~マルコマンニ戦争~ ローマに苦戦するイラン系王朝パルティアからの要請で、 同じイラン系の遊牧騎馬民族集団(総じてヤジゲ族)は、隣接するヴァンダル族と共にローマ属州ダキアに侵攻した。 同時期、ゲルマニアの諸族が次々とローマに反抗。これがマルコマンニ戦争と呼ばれる。 2024.01.24 東欧史民族・部族興亡史西アジア史
東欧史 ヴァンダル(1) スラヴ系国家ポーランドは、ピャスト朝として建国された。その国家の始まりからポーランドを支えた民がヴァンダル人である。 ヴァンダル人は、その昔シレジアに在って、シリンジィ・ヴァンダルとも呼ばれた。やがて彼らは西ローマ帝国を滅亡へと追い込む。 2024.01.23 東欧史民族・部族興亡史西アジア史
東欧史 古代のヨーロッパ文化変遷~主役はスラヴ?~ 紀元前4900年頃に成立したヴォルガ川中下流域のフヴァリンスク文化と、紀元前4500年頃に成立したドニエプル川中流域のスレドニ・ストグ文化。 この二つの合流文化であるヤムナ文化は、古代バルト・スラヴ系文化(プロト・スラヴ)の基層と云われます。 2024.01.14 東欧史民族・部族興亡史
LOVE & EROS バートリ・エルジェーベト~処女の生き血を啜る美女~ アブノーマルなマゾヒスト、残虐なサディスト、レズビアンでもあり、あらゆるフェティシズムを好む者であり、自身の美に対する究極の欲求を持っていた。 この人の名は、エリザベート・バートリ。トランシルヴァニアとハンガリーの影の支配者。そして吸血魔女。 2024.01.12 LOVE & EROS東欧史
民族・部族興亡史 民族興亡史(3)=キエフ・ルーシ= ゲルマン民族系部族の多くが遊牧系騎馬民族相手に太刀打ち出来なかった中で、殆ど無傷だったのがノルマン人ヴァイキングだった。 フン族がスカンジナヴィアへ向かわなかっただけの事だったかもしれないが、東スラヴ人は藁をも掴む思いでヴァイキングと握手した。 2024.01.09 民族・部族興亡史
民族・部族興亡史 民族・部族興亡史(2)=スラヴ語族と騎馬民族(キエフ・ルーシ誕生以前の東スラヴ史)= 古代スラヴ語族は、コーカサス地方を北上し、黒海北岸一帯を陣取って領域を拡大していった。 しかし、遊牧騎馬民族に侵略されて、東、西、南という3つのグループに分かれた。 汎スラヴ主義者は、一つのスラヴに戻れると狂信的思想を持つがそれは絶対に無理。 2024.01.07 民族・部族興亡史