民族・部族興亡史(2)=スラヴ語族と騎馬民族(キエフ・ルーシ誕生以前の東スラヴ史)=

民族・部族興亡史

古代スラヴ語族

ウクライナもロシアも、スラヴ語系部族が中心になって建国された国家だと云われます。が、スラヴ語系部族と言っても多過ぎますのでね、分かりやすくする為にスラヴの歴史から入っていきます。

不肖私もしょっちゅう間違った使い方をしますけど、スラヴ民族と書いちゃいけないらしいです。あくまでも、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する各部族を総じてスラヴ人と指す。

古代スラヴ人(初期バルト・スラヴ人)を含むインド・ヨーロッパ語族は、結局メソポタミア文明を興した人達の後裔という事で良いのかな。メソポタミアから旅立った様々な人たちが東へ西へ南へ北へと分散していく。その東西南北へ別れ行く基点となったのがコーカサス地方。そして、其処から最も近い黒海北岸一帯を陣取って領域を拡大していったのが『バルト・スラヴ人』ということになる(※あくまでも、クルガン仮説を基にしたら、という一つのケース)。

左から「クルガン仮説」に基づく、インド・ヨーロッパ語族の拡大例、、、キーウにあるスラヴ神ペルーンの木像、、、古代バルト・スラヴ族の領域。。。何れもwikipediaよりお借りしました。

コーカサスからは最も移動距離が少なくて済んだ黒海ステップ周辺に定住を始めたスラヴ人は、最も保守的で言語の広がりも見せなかったと云われている。故に、スラヴ人同士であれば多少の違いはあっても大体言葉が通じ合って仲間意識も強かった。と推察されている。そして、現在のウクライナやロシア西部を中心に居住域を広げていった。

ゲルマン人やノルマン人が何故スラヴ人より遠くへ向かった理由とか、西や南へ向かった人たちの理由は知りません。

大敵

遊牧騎馬民族

スラヴ語族の領域もゲルマン民族の各部族同様に、遊牧騎馬民族の標的となったことは間違いない。

遊牧騎馬民族は、イラン系とテュルク・モンゴル系に大別される。有名な部族を備忘録的に列記しておきます。

  • 古イラン系諸族=>キンメリアスキタイサカサルマタイマッサゲタイダアイイッセドネス人アラン、 他 (※スキタイ=サカ、サカ支族=サルマタイ、マッサゲタイ、ダアイ、イッセドネス…というのが定説)
  • テュルク・モンゴル系諸族=>突厥テュルク丁零高車鉄勒ウイグルキルギスオグズカルルク月氏(=大月氏)東胡(=鮮卑)モンゴル・タタル、 他
  • 出自不明のミステリアスな部族=>匈奴フン 他

基本的に、農村や漁村を形成して気の好いスラヴ人達にとって、言葉の通じない騎馬で疾走する喧しい遊牧民族達(現在で言うなら、住宅地を暴走族が迷惑を顧みずに走り回るようなもの)は話し合う余地のない敵でしかなかった。が、敵は強過ぎた。生活領域を破壊され、西へ、北へと追われた。

騎馬民族側が、騎馬ではなくて単に遊牧民の牧夫として生きていたらそれなりに仲良く出来ただろうけどね、動くものを従わすことが動物の本能。人間は、ラクダや馬や巨象まで調教して乗り回すようになる。そしてそれらを乗り回して見ず知らずの他人を追い回すことを喜ぶようになる。逃げ惑う者を捕らえて暴力を振るう。ろくなもんじゃない。

それらに対抗する為に、人間は知恵付いて基地や城を持ったり、飛び道具を発展させたりするのだが、今度は戦艦や戦車や戦闘飛行機に飛び道具を備え付けて襲う。そして、コンピュータ~AI技術と、留まることを止めない。全て、他人を屈服させる為。おっと、いきなり話が飛躍するので軌道修正。

ポントス・カスピ海ステップに於ける騎馬民族の興亡

ユーラシアステップ一帯で、イラン系の遊牧系騎馬民族が台頭し始めたのは紀元前15世紀頃と云われる。早い話、インド・ヨーロッパ語族に含まれる人達なので、スラヴやゲルマンやケルトと同じ時代に登場して来たってことですね。

遊牧民の営みに必要な豊かな草原地帯=ステップの黒海周辺一帯では、キンメリア人スキタイ人サカ人サウロマタイ人(サカ支族)、マッサゲタイ人(サカ支族)、ダアイ人(サカ支族)、イッセドネス人(サカ支族)その他が群雄割拠し覇権を争った。現在のウクライナ南部を本拠としていたキンメリアと、ウクライナ全土~南ロシアという広範に影響力を持ったスキタイの攻防は後者が勝ち、キンメリア人はアナトリア方面へ南下していく(紀元前9世紀頃)。アッシリア、バビロニア、エラム、フリギュア、リュディア、更にエジプトという国々が覇を競っていたアナトリア・メソポタミアでキンメリア人も結構頑張ったが紀元前6世紀半ば頃に、彼らの名は歴史から姿を消していった。

キンメリアを追い出したスキタイ=サカは、人類史上最も早く騎馬化した軍隊を本格運用した民族と目されている。その騎馬軍団の力を如何なく発揮してキンメリア人を追撃するようにコーカサス山脈を越えて現在のイラン北西部・ハマダーン州辺りを中心にかなりの広域を支配した。その支配は約30年に及びその期間の中でオリエント一帯への遠征を繰り返したが、やがて古イラン系諸族の逆襲を受け撤退する。
スキタイ・サウロマタイ(サルマタイ)・マッサゲタイ・ダアイなどはやがて合併するが、クリミアで再起を図るグループは、予てよりクリミアを狙っていたポントス王国軍の侵略に遭い敗北。ポントス王国の軍門に下り、ポントス王国配下だったボスポロス王国に吸収合併される。
それからあまり間を置かずに、ポントスとボスポロス連合軍は共和政ローマ軍に敗北して滅亡。それに伴いクリミアのスキタイは消えて無くなることになる。

クリミア以外、例えばマッサゲタイの先やサカ族の本拠地などで再起を図ったグループも、テュルク系遊牧騎馬民族やモンゴル・タタール系のそれらに吸収合併されたか滅亡したものと考えられる。それ以外は、スラヴ語派諸族と同化していった。

3つのスラヴ

東スラヴ12部族分布

ゴート族は、アラン族(古イラン系遊牧騎馬民族)やフン族(出自不明でミステリアスな遊牧騎馬民族)に攻撃されていく中で西ゴート族東ゴート族に枝分かれして、尚且つ、クリミア・ゴート族を派生させる。このゴート族(特に、クリミア・ゴート族)やノルマン人=ヴァイキングと深く関わり合って行くのが東スラヴ12部族

  • ロシア ≪ヴャーチチ族(現在のモスクワ州、カルーガ州、オリョール州、スモレンスク州、トゥーラ州、ヴェロネジ州、リベツク州)、クリヴィチ族(現在のスモレンスク州、プスコフ州)、スロヴェネ族(現在のノヴゴロド州=スロヴェンスク)≫
  • ベラルーシ ≪ドレゴヴィチ族(現在のホメリ州、ヴィーツェプスク州、フロド州、ミンスク州)、ラヂミチ族(現在のホメリ州、マヒリョウ州)、クリヴィチ族(全域)、ウリチ族(黒海北岸一帯)≫
  • ウクライナ ≪東ポリャーネ族キエフ族(現在のキーウ周辺)、ドレヴリャーネ族(現在のジトーミル州コーロステニ周辺)、シヴェーリア族(現在のチェルニーヒウ州、スームィ州)、チヴェルツィ族(現在のオデーサ州)、ドゥレーブィ族ヴォルィニャーネ族ブジャーネ族(チェコ全域~スロバキアの一部、ドイツ北部、ポーランドの一部、ベラルーシの一部にぶんぷしていたが、ゲルマン民族に敗れてキエフ族に吸収される)、白クロアチア族(やがて、南スラヴ族の祖ともなりクロアチア建国へ)≫
  • ポーランド ≪西ポリャーネ族ポラン族(全域)・・・西スラヴ族とする方が正しいけれど≫

ロシア人には、「東スラヴ人は総じてルーシ人と呼ばれる人々であり、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の共通祖先である。」と主張する人が少なくない。ロシア人とウクライナ人は同祖で仲良く出来ると言いたいのだろう。しかし、東スラヴ人の全てがルーシ人になったわけでもないし、現在のウクライナに分布していた東スラヴ人(東ポリャーネ、ドレヴリャーネ、シヴェーリア、チヴェルツィ)がそのまま現在のウクライナ人の祖と言えるものでもない。

因みに、ロシアによる上述的主張は汎スラヴ主義的思想と言われ、その考えでソヴィエト連邦は構成された。そして、南スラヴ人達はユーゴスラヴィアを建国し、西スラヴ人はチェコ・スロヴァキアを建国するに至った。結局、三ヶ国とも失敗に終わったが、暴力的な終わり方にならなかったのはチェコ・スロヴァキアのみであって、旧ユーゴや旧ソ連は今でも一緒の国を成した同士が戦っている。だから、隣の民(国)との付き合いほど難しいものはない。

西スラヴ

騎馬民族に追われてか、自発的な西進か、兎に角、ボヘミアの森林地帯方面へ向かったのが西スラヴ語族。先述の東スラヴ12部族の内、ポーランドの西ポリャーネ族はポラン族として西スラヴに含まれる。

チェコでは、ドゥレーブィ族~ブジャーネ族がゲルマン系部族の侵入に遭い東へ。キエフ族に吸収合併される。が、やがて新たな西スラヴ語族(チェック族)が席捲してチェコの支配者となる。

現在のポーランド南西部、チェコ東部、ドイツ南部という3ヶ国に跨る国家領域だったシレジアは、西スラヴ族のシレジア人の国家だったけれど国自体は消滅して、シレジア人は以上の3ヶ国などに居着いた。

  • ポーランド ≪ポラン族レフ族(全域)、レヒト語諸族(全域)/ポラン族=レフ族がレヒト語諸族を全吸収合併する形でポーランド族を名乗る。他に、シレジア人(旧シレジア国家領域)、カシューヴ人
  • チェコ ≪チェック族(西スラヴ族とケルト系ボイイ人が混血し合った”ハイブリッド型スラヴ族”)、シレジア人(旧シレジア国家領域)、モラヴィア族(旧モラヴィア国家領域)≫
  • スロヴァキア ≪スロヴァキア族(全域)、モラヴィア族(旧モラヴィア国家領域)≫
  • ドイツ ≪ソルヴィア高地族(現在のザクセン州北東部)、ソルヴィア低地族(現在のブランデンブルク州南東部)、シレジア人(旧シレジア国家領域)≫

南スラヴ

西スラヴ語族同様に、騎馬民族に追われたか自発的かは定かじゃないけれど、パンノニア平原を抜けてバルカンやアドリア海方面へ向かったのが南スラヴ語族。

  • スロベニア ≪アルプス・スラヴ族スロベニア族
  • クロアチア ≪白クロアチア族=クロアチア人(南西スラヴ語族とイリュリア人のハイブリッド型スラヴ?)≫
  • セルビア ≪セルヴィア人
  • モンテネグロ ≪セルヴィア人=モンテネグロ人
  • ボスニア・ヘルツェビナ ≪ボシュニャック人、セルヴィア人クロアチア人≫

第一次世界大戦当時から、ソヴィエト連邦のように汎スラヴ思想主義を提唱して、戦争終了後の1918年に「ユーゴスラヴィア」という一つの国家になったものの結局は大失敗だった。

~~~西スラヴと南スラヴ~~~
結局のところ、フン族に追われて西へ逃げたスラヴ族のうち、パンノニア平原を境に西北へ向かったのが西スラヴ族で、西南へ向かったのが南スラヴ族。二手に分かれて生き延びた。という説が最もシンプルで分かり易い。

ウクライナ史を書くつもりでしたけど、それは次回回しにして、今回のエッセイははスラヴの変遷史。本読みながら書いたけど、自分自身結構勉強になりました。

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