民族・部族興亡史(1)=古代南欧の火薬庫・イリュリア=

民族・部族興亡史

イリュリア

古代イリュリアの版図推察

古代イリュリア人は、紀元前2000年よりももっとゞ古い時代(先史学の総意としては、青銅器時代)から、現在のアルバニアを中心にアドリア海沿岸部を主な居住域として歴史を歩んだ。南欧・東欧に詳しい史家達の一般的見解としては、彼らの最大版図は、ギリシア西北部、アルバニア全領域、旧ユーゴスラヴィア全領域(現在のスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ヴォイヴォディナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、北マケドニア)に加えて、パンノニア平原のハンガリー、スロヴァキア全領域、イタリアのアドリア海沿岸中・北部まで、かなり広範に分布していたらしい。但し、現代感覚で言うところの支配領域というわけではなく、「ある程度の人数が住んでいた」だけのところも含まれる。イリュリア人の支配地としては、アルバニア、(北マケドニア以外の)旧ユーゴスラヴィアハンガリー・スロヴァキアの西部だと考えられるが、それにしたってかなり広大な領域だ。彼らの後に台頭して来るマケドニアやローマに先駆けた”知られざる”大国家と言っても過言ではない。但しである。実に大きな領域ではあるが、一つの身内(一つのイリュリア人国家)としてまとまることが凄く苦手な、物凄く仲の悪い部族の集合体でもあった。そういうイメージだから、イリュリアは歴史上重要な人達(例えば近隣の、ギリシア人やマケドニア人やローマ人)みたいにはなれなかった?

ギリシア神話から始まるイリュリア

左絵=ギュスターヴ・モロー作『ゼウスの雷光にうたれるセメレー』 中央地図=主なイリュリア部族分布図  右絵=イーヴリン・ド・モーガン作『蛇になったカドモスとハルモニアー』 wikipediaよりお借りしました。

イリュリア人の共通祖先の名前は、ギリシア神話に登場するイリュリオス。イリュリオスの父は、神話の英雄カドモス(フェニキアの王子でテーバイの始祖)。母は、アフロディーテの娘ハルモニアー。兄1人(ポリュドーロス)、姉4人(アウトノエー、イーノー、セメレー、アガウエー)が何れも不幸な死や不幸な人生に陥った。

※そもそも、全能神ゼウスが、セメレーに恋焦がれ情交し子を孕ませた事に対し、ゼウスの妻ヘラが猛烈な嫉妬心からゼウスの手によってセメレーが焼き殺されるよう仕向けた。それが左の絵。それでも怒りが収まらずセメレーに関係する者達全てを呪ったことによる。だから、全能の神ゼウスの女好きが全てを祟った。・・・それ以前に、ヘラはアフロディーテにも嫉妬していて、その娘が人間の美女ハルモニアーとなり、人間の王子カドモスと恋愛したことがそもそもの始まり。女好きもほどほどにしとけ!という戒めと、女(女神)の嫉妬ほど怖いものはないぞ、という話からイリュリアの歴史は始まる。

家族が呪われたことに苦悩したカドモスはハルモニアと共にテーバイを去った(テーバイの王位を譲渡されたポリュドーロスも殺されたが、一応、血族に引き継がれていく)。行き着いた先がイリュリアで、其処で新たに生を受けたのがイリュリオス。カドモスはやがて呪いか気狂いか蛇神と変わり、蛇となったカドモスと愛を交わし続けたハルモニアーもやがて蛇神となる。それが右の絵。二人はイリュリアをイリュリオスに託してエーリュシオン(死後の世界)の野に棲んだ。

このようにして、イリュリアの王となったイリュリオスには、6人の息子(エンケレウス、アウタリエウス、ダルダヌス、マエドゥス、タウルス、ペルレバス)と3人の娘(パルト、ダオルト、ダッサロス)があった。孫には、タウランティ、パルティーニ、ダルダニ、エンチェレア、アウタリアテ、ダッサレティ、ダオルシがあった。アウタリエウスの庶子(つまり孫)にパノニウスが誕生し、更に、パノニウスの息子としてスコルディスカスとトリバルスが誕生する。以上のそれぞれが部族の長となり領土を切り拓いた。

というような事であるなら、イリュリア人はギリシア人系の部族という事で良くないか?でも、イリュリア人はイリュリア人で、ギリシア人はギリシア人らしい。だったら、ギリシア人が異民族(バルバロイ)と呼んでいた古代マケドニア人もマケドニア人で良いのでは?でも、ギリシア人は、古代マケドニアに関しては、世界を席巻した”ギリシア人”として持ち上げている。そして、現代のマケドニアをけっして認めようとせず、『北マケドニア』という名称で一段落ついたものの、今後もマケドニアという名称を巡って何度も衝突しそうな感じだ。実に複雑な人達である。

イリュリア人の支族

南に隣接するギリシア諸国家も同様だったが、イリュリオスの国=(古代)イリュリア王国は、(冒頭に書いたように)ギリシア諸国家以上に各部族同士の仲が悪かった。現代でも旧ユーゴ一帯はヨーロッパの火薬庫と呼ばれるほど争いが絶えないが、古代イリュリアの頃から騒乱の火種だった。

紀元前4世紀頃にバルデュリスという名の王が出現して、イリュリア人諸族を統一したと言われるが、それも旧ユーゴ・スラヴィア同様にほんの一時いっときの出来事だったようだ。ところで、どういう支族があったのか、代表的な有名支族を神話に合わせて書き出してみると以下のようになります。翻訳ミスは上得意だから紹介内容の信憑性は極めて低い、という自信はあります。間違いがあれば怒らんといて、コメントでご指摘お願いしますね(笑)

アウタリティア族=アウタリエウスから始まる支族。(呪われた山脈を越えたリム川とタラ川の谷間、および西モラヴァの谷に住んでいた。※モラヴァは、現セルビアを流れる河川域)最大領域は、アルディエイ川とスコドラ湖から内陸に位置し、東はダルダニ川まで、北または北東はトリバリ川まで広がっていた。が、紀元前310年頃にケルト人=ゲルマン人の侵略に遭い敗北。ケルトと同化した人々はボスニアに住み着き、その他の人々はマケドニアに亡命。最終的には、北マケドニア南東部のパロルベリア山脈に移住させられた。(マケドニア人もイリュリア人も辿って行けば同祖では?)

タウランティア族=タウラスから始まる支族。現在のアルバニア・ドゥラスを中心にアドリア海沿岸部から二つのドリン川(ブラックドリンとホワイトドリン)に挟まれた平野部の全てを支配した最も古い王国と云われる。やがてタウランティア族は何らかの理由により北上を始め、紀元前10世紀以前に現在のクロアチアに移住し、更にイタリア半島東部へと進んでいった。この人達の後裔が、アルディアエイ族になるのかもしれない。

アルディアエイ族=出自不明だが最も有名な部族。タウランティア族系とも考えられる。現在のアルバニア、コソボ、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアという広範に分布し、南のアドリア海岸と北のコニツの間、ネレトヴァ川沿いとその右岸に居住していた。山の民・アウタリティア族と犬猿の仲の海の民である。ギリシア諸国やローマと熾烈な海洋権力争いを繰り返していたどちらかと言うと荒々しい部族。プレウラトゥス2世の跡を継いだ嫡男アグロン王と王妃テウタが有名。

エンチェレイ族=エンケレウスから始まる支族。・・・と言われているが、イリュリア人とは違うエンヘレ人の王国=エンチェレイとする神話もある。それに因ると、エンヘレ人は、イリュリア人と近接する現在のアルバニア、モンテネグロ、北マケドニアのドリン川周辺、シュコドラ湖とオフリド湖の地域に住んでいた古代の人々。エンヘレ人は、ダッサレティアに圧せられ、ダッサレティアに対抗する為に英雄カドモスを王に迎えイリュリア人と同化する。

ダッサレティア族=現在のアルバニア南東部と北マケドニア南西部の間のイリュリア南部の内陸部に住んでいた。ダッサレティア族は、イリュリア南部の最も有力な部族でイリュリア王国の中枢部族と思しき存在。エンチェレイ王国が弱体化してイリュリアに同化した紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて湖水地方のエンチェレイ領域を全て併合しイリュリア王国を建国した・・・とか?

・・・支族を調べてたら際限なくなっていくので取り敢えず話を先に奨めます。

ローマとの確執

何でも欲しがり見境なく遠慮もしないローマ人は、西へ東へ南へ北へと食指を伸ばす。

部族間の仲が悪かろうと何しようと、歴史ある人々は永遠に敬うべきだ!と思うのだけど、先住民族を敬うことなくその土地を乗っ取り、時には皆殺しさえ厭わなかったローマ人達は、イタリア半島の先住民族やガリア人、ゲルマン人らに対して行ったように、イリュリア人の生活領域も当然の権利であるかのように侵害する。

イリュリア戦争

共和政ローマが、イリュリア人と最初に起こした戦争の相手がアルディアエイ族であることはほぼ間違いない。共和政ローマとイリュリア(アルディアエイ族)は三度戦い、三度ともローマが勝った。

第一次イリュリア戦争

第一次戦争は紀元前229年に勃発。翌紀元前228年に終わる。この時のイリュリア側の指導者は、紀元前231年に夫であるアグロン王を亡くした王妃テウタ。テウタは、即位はさせたもののまだ幼かった嫡男ピネスの摂政という立場だったが、実質「イリュリアの女王」と呼称されている。兎に角気が強い(荒い)女性で、ローマの商船に対する海賊行為を扇動し、それに対して苦情を申し入れたローマ側の使者を殺害した。この事に憤慨したローマ元老院は、イリュリア(=アルディアエイ)へ宣戦布告。この当時、ローマは第一次ポエニ戦争(カルタゴとの戦争)を経験して海軍力を強化していて、その試運転的に200隻を超す艦船でアドリア海を航行。イリュリア側は、初めて新興国家ローマの脅威を肌で感じ取り大きな損害を被る前に和解を申し出た。が、この和解は、ファロスの統治者であるデミトリウスが、摂政テウタの同意を得ずに独断で行ったこと。恐らくローマとの密約があった。自分の意志ではない和解案(テウタの引退、私財没収など)に対し怒り心頭に発したテウタは約1年間籠城するが、遂に降伏し、その後は歴史上から姿を消す。そしてデミトリウスが摂政となるが・・・

第二次イリュリア戦争

摂政の筈のデミトリウスが王位を簒奪し新たな王となる。これはローマが望んだことと考えられる。が、デミトリウスは強かな男だった。第一次戦争の轍を踏むまいと、密かに大量の艦船建造を行い、カルタゴと連携する。

ローマ軍の主力部隊がガリア遠征を行っている際中の紀元前220年にデミトリウスはローマに宣戦布告。年が明けて紀元前219年にカルタゴが来襲し、第二次ポエニ戦争も勃発。ローマは、ガリア、イリュリア、カルタゴと、同時に三方と敵対する羽目に陥り、建国以来最大の危機を迎えた。が、デミトリウスは欲が強過ぎた。一気にローマを目指せば良いものを、ピュロスを襲って艦船50隻強奪するとか、逆方向のキクラデス諸島を取りに行くとか・・・

ローマは、カルタゴとの戦いを最優先すると勝手に決めつけたデミトリウスに対して、ローマの執政官ルキウス・アエミリウス・パウルスは、カルタゴとの戦いを一旦捨て主力艦隊をアドリア海に展開させた。そして一気にイリュリア側の沿岸部主要都市を複数陥落させる。デミトリウスは逃げるのが精一杯で、防衛戦を放り投げてマケドニアに亡命した。・・・完全にリーダー失格です。

一方、イリュリアには完勝したルキウス・アエミリウス・パウルスですが、カルタゴのハンニバルを勢い付かせる結果になったことは否めない。最終的にはローマはやっとの思いでカルタゴを追い返しましたがかなりの痛手を被った。そして、ルキウス・アエミリウス・パウルス自身もカルタゴ軍相手に敗死しています。

第三次イリュリア戦争

紀元前168年。当時のイリュリア王は、ゲンティオス。前王プレウラトゥス3世の嫡男である。プレウラトゥス3世の治政は外交関係が上手く行き、ローマとも良好な関係を構築するなど、国民からも多くの信を得ていた。そして全部族が一つになったイリュリア王国であり、首都は、現アルバニアのシュコダルに置かれた。王朝の名はラベアタン王朝と言う。ところが、後を継いだゲンティオスはあまり評判の良くない王で、ダルマティア族とダオルシ族が独立宣言して出て行った。他の部族の幾つかもそれに追従したとされる。

そういう中で紀元前171年に第3次マケドニア戦争が勃発。ゲンティオスはローマ側に参戦したが、紀元前169年に突然ローマに対して反旗を翻す。ところがあっさり敗北。捕らえられたゲンティオスは、ローマに送還されて凱旋式の見世物とされた。

イリュリアの最期

時が過ぎ、紀元前40年代~紀元前30年代辺り、帝政ローマ初期のイリュリア人は、アドリア海に面するダルマティア族(現在のクロアチアの大部分)、ダルマティアの北と接する内陸部のノリクム族(現在のスロベニアとオーストリアの一部に跨る)、パンノニア族(現在のハンガリーのほぼ全土、ノリクムを除いたオーストリアとスロベニア、ダルマティアを除いたクロアチア、セルビアの一部、スロバキアの一部、ボスニア・ヘルツェゴビナ)という三部族に分かれていた。が、ノリクムには、ローマ人以前にケルト人(ゲルマン人)の侵入が繰り返され、ノリクムのイリュリア人はほぼ追い出されたかゲルマン部族と混血したらしい。その人たちが、古代のスロベニア人となったり、古代のオーストリア人となった。

イリュリア人はノリクムへ侵略して来たゲルマンを憎悪したが、同様に、イタリア半島南東部の生活領域を切り取ったローマも憎悪し、ダルマティアとパンノニアは結束してローマ帝国との戦争へ向かう。

イリュリア3領域のローマ属州化

しかし、強力なローマ帝国軍はダルマティアからイリュリア人を一掃する。初代ロ―マ皇帝アウグストゥスは、難なく征服出来たダルマティアの港湾都市をシスキアと命名(現クロアチアのシサク)。そこを陸・海の重要拠点化して、パンノニアへの侵攻を開始する。

数年に及ぶ激しい攻防の末、パンノニアもローマ軍に陥落させられイリュリア人達は言葉(イリュリア語)も奪われ、ローマと同化することを余儀なくされる。その後、ローマ軍はノリクムへも侵攻する。結局、ローマは全てのイリュリア人領域を奪い取り、「属州ノリクム」「属州ダルマティア」「属州パンノニア」として支配した。その後の各皇帝がそれぞれの属州を合体させたり細分化したりと名称や領域が色々変わったが、イリュリア人は歴史上から姿を消した。

それどころか、ローマの属州化されたイリュリア人領域は、やがて、遊牧騎馬民族に贈り物として割譲される事となる。その話は次の機会に。

兎に角、最後までイリュリアは不幸だったが、滅亡した後も粗末に扱われた・・・ヘラの呪いは何処までも続いた?19世紀に『イリュリア王国』の名を冠した国家が歴史上に復活してオーストリア帝国の構成国家の一つとなったが、この国家もフランス帝国に割譲されたりまた戻されたりそして分割されたりと不幸な運命を辿った上で、当時のクロアチア王国に統合されたがクロアチア王国もやがて消滅する。

・・・でも、イリュリア人としてではなく、アルバニア人として彼らは現代まで民族の歴史を続けている。つまり、現代のアルバニア人はイリュリア人の後裔。と断定して構わないらしい。

で、女好きのゼウスと嫉妬の塊ヘラによって引き起こされたイリュリア人の歴史=アルバニアの歴史にはけっして華々しいものはないけれど、アルバニアという国はずーっとアルバニアとして歴史に刻まれ続けている稀有な国家である。ヨーロッパの国々はほとんど名を変えたり領土が劇的に変わったりしているのだけれどね。そして何よりもアルバニアは、全世界に(女性の)心の素晴らしさを教えたマザー・テレサが生まれた国です。ヘラの呪いよりは、きっとハルモニアーの愛が勝っているであろうアルバニア国家に幸あれです。

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