I LOVE RUGBY

フットボール系エッセイ

二つのラグビー

最近、ラグビーに興味を持つ人が増えて来ましたよね?不肖私は、半世紀以上ラグビーを応援している(見続けて来た)いわゆるオールドファンって事になりますが、嬉しい限りです。今のところ、ワールドカップのような大きなイベントがある年に限定される現象とは言え、報道各局で、日に何度もラグビーを話題に取り上げてくれる。こういうことによって、確実にすそ野が広がる。やっぱり、国際試合で強豪国相手にいい勝負・・・・が出来ることは大きいです。

ところで、日本で「ラグビー」と言えば、フィールドプレイヤー15人同士のいわゆる15人制ラグビーのことを指します。オリンピックに採用されているラグビーは「7人制ラグビー」若しくは「セブンズ」と呼ばれていて、15人制の「ラグビー」とは混同しないような呼称の配慮がなされています。

しかし、厳密に言えば・・・
15人制ラグビーは「ラグビー・ユニオン・15人制」
(オリンピック競技採用されている)7人制ラグビーは「ラグビー・ユニオン・7人制」
という表現が正解。

ラグビー・ユニオンと起源を同じとするもう一つのラグビーが存在する。それが、フルコンタクト・ラグビーです。
13人制ラグビーは「ラグビーリーグ・13人制」
10人制ラグビーは「ラグビーリーグ・10人制
(非オリンピック競技の)7人制ラグビーは「ラグビー・リーグ・7人制」

”フルコンタクト”という言葉の持つイメージで、物凄く激しい競技のように思えますが、どちらかと言えばラグビーリーグの方が、選手の怪我を極力防ぐルール的配慮がなされている。ユニオンとリーグの試合を見比べたら、ものの1分もしない内に「あれ?」みたいな違和感を感じると共に、リーグは(イマイチ激しさが足りずに)「面白くない!」と言う人が(ユニオンを見慣れた日本では)圧倒的かなと予想します。

ところが、世界を見渡せばそう感じる人ばかりではなく、寧ろ、リーグの方が断然人気競技という国も少なくありません。それどころか、日本とは逆に、ユニオンを殆ど知らずリーグしか行っていない国もあります。
因みに、オージー・ボール(オーストラリアン・フットボール)が断然人気のオーストラリアは、ユニオンでも世界的な強豪国ですけど、ユニオンの人気は国内7位でリーグは3位。そういうところからも、今年のワールドカップでオーストラリア代表(愛称・ワラビーズ)が振るわなかった原因が見て取れます。オージー・ボールはめっちゃ激しいフルコンタクトフットボールですけど、フルコンタクトは許されていないユニオンも相当激しい。しかし、リーグは何となく緩い。そのリーグの方がユニオンよりも人気スポーツ。というのが何とも不思議な気がします。因みに、実はラグビー・オーストラリア代表はリーグの方が早く出来て愛称はカンガルーズです。

ラグビーリーグは激しさが足りない?激突感がない?

確かに、モールとかラックとか組まないし(スクラムは組む)、リーグ日本代表の試合とか見てると(ごめんなさい)何となく気怠く感じるけれど(ほんと、ごめんなさい)、世界のトップクラスのリーグの試合を見てご覧。もうメッチャ凄い。

モールとかラックはありませんから、逆に言えば常に走ってる。スクラムで押し勝つなんて言う発想がまるでない。とにかくアクロバティックで、アグレッシブに猛突進して(と言うより縦横無尽に)走り勝つ、激しく走り勝つ。80分間、兎に角走りまくる。選手一人の走行距離をユニオンと比較すれば、リーグの圧勝でしょう。攻撃中に6回タックルで倒されたら攻守交替になるので、兎に角、倒されないような強靭な肉体に鍛え上げている、且つ、驚くべき走力(それでも倒されれるけど)。倒された後のリセットが緩いだけでそこはやっぱ(?)だけど、いやいや凄いよ。残念ながらリーグ日本代表(愛称はサムライズ)は世界ランク50位くらいだけど、上位クラスの試合の迫力はまるで違うから。

ラグビーの進化の原点は、労働問題にあった

英国発祥のラグビー・フットボールは、1820年代を競技起源とします(別タイトルで詳しく書くのでここはスルー)。ラグビー・フットボールとしてある程度ルールが確立したのは1850年代~1860年代。競技としてのラグビーが始まったものの、就職と同時に(ラグビーは)やめるものだった。今でもそうですが、昔から、ラグビーには怪我が付き物。学生ならまだしも、(エリート)ビジネスマンが、大怪我でもして仕事に穴を空けるなど許されない。だから、社会人になってもラグビーを続けるという人はほんのごく僅か。それも、あくまでも趣味程度で、例えば大学や高校のOB戦で楽しむものだった。今でもその名残は有り、「オール・ケンブリッジ」や「オール・オックスフォード」など、現役学生とOBが一時的にチームを編成して試合を行う事が続いています。が、現在のようにラグビーを専業化するなどのことは、始まった当初は有り得ない話だった。

ラグビーは、怪我をする可能性が最も高い競技の一つであり、首や背骨を折れば死ぬ事だってある。もしも日本で、練習や試合中の事故が増えたらマスコミがここぞととばかりに大騒ぎして、(特に学校に於いては)「禁止するべきだ!」と言い出すだろう。学校ラグビーを中止へ追い込むような法案だって作ろうとするだろう。しかし、ラグビーを始めたイングランド人は違った。元々、伝統祭事から生まれたフットボール競技だから、絶対にやめない。やめないどころか、趣味的な娯楽にせよ「絶対に負けるな!」とチーム力を磨くことを怠らないし、その為に体を鍛えるし、試合はいつでも本気だった。
「それって、趣味の領域を逸脱してないか?一銭の得にもならないのにバカらしい」って、日本人は呆れて馬鹿にするだろうけど、イングランド人は馬鹿にしなかった。特に北部イングランド人を中心に、趣味の領域を逸脱しているのなら、仕事にしたらどうだ?これ(ラグビー)で食えたら最高の人生じゃないか!という声が出て来た。
イングランド南部では、最高のアマチュアスポーツとして称えられたラグビーを、イングランド北部では、”最高の”稼げるスポーツ(専業化)に持って行こうとしたわけだ。

イングランドに限った話ではなく、スコットランドでもウェールズでも、裕福な人達は「南部」に多くて、「北部」の人達は総じて仕事に追われ、好きなことに時間を掛けることが難しかった。ブリテン島の男たちにとっては、好きなことの最たる対象がフットボールだった。(※実は、隣のアイルランド島でも同様だったことをブリテン島の人達は知ることになる)。自分たちで集まってフットボールを行うことは勿論、大学や高校のフットボールや、自治体や企業のフットボールを観戦することも大好きだった。フットボールの中でも、アソシエーション・フットボール(=サッカー)は、曜日を選ばず楽しまれていたのですが、体力消耗の著しいラグビー・フットボールに限れば、リーグ戦など試合が行われるのは大体週に一日で、それも土曜日に行われることが慣例となっていた(日曜は礼拝などもあり、家族と過ごす大切な日でもあったので、試合日は土曜ということになっていた)。

裕福な南部では、早くから週休二日制が導入されていて、土日休みだから選手活動には支障が生じないのだが、働き詰めの北部では、日曜だけが休みで週に6日働くことが当然だった。だから、土曜が試合日と決められると「選手」としての活動が出来なくなるし、観戦にも行けない。いや、観戦は我慢出来ても、十分に「現役」でやれる年齢の人達にとって、仕事で試合に行けない(出られない)というのは辛かった。辛いのは選手だけではなく、強豪チームにとって必要な選手が「北部人」だった場合、チーム成績を左右する大きな問題だった。
クラブ側は、重要な試合の度に、北部に生活基盤を置く選手達に対して、「次の土曜は仕事を休んでくれないか」等の要請を行う。選手達もそのようにしたいけれど、ラグビーはアマチュアスポーツだったので出場しても金にはならないし、試合を欠場しても収入が減ることはないけれど、仕事を休めば収入が減る。これは生活が苦しい北部人にとっては重大なこと。それで、クラブやラグビー協会に対して、「土曜の試合を優先しろと言われるのならそうしたい。ところで条件もある。クラブや協会で”休業補償“をしてくれないか」と交渉する。
しかし、ラグビーをする理由で金(賃金と思しき休業補償)を支払うことは、選手達がラグビーで金を得ることと一緒のことであり、協会やクラブ側は「アマチュア主義に反する」として、その要求を認めようとしなかった。

リーグ(13人制=ラグビーリーグ)

北部イングランド人が、試合に出たくても仕事も休めないと苛立ちを募らせていた頃、同じような苦悩を”専業化(=職業ラグビー=プロ化)”によって解決を図ろうとする”国”が現れた。それがスコットランド

人数が少なければ、時間が作れなければ、「7人でやればいいんじゃないか」という考え方を持ったスコットランドは、イングランド以上にラグビーを楽しんでいた。チームの半数が仕事で来れなくても、或いは相手チームが来れなくても、15人を半分にしてでも「試合をしたかった」。7人制の基となる。

発祥がイングランドであろうと、ラグビー無しの生活は考えられないようになっていたスコットランドでは、「優れた選手のプレーはお金を出してでも見る価値がある」と、プロ化を容認する動きへ転じていた。これに対して・・・
「お前ら、ふざけるな!ラグビーは崇高で神聖なスポーツであって、金儲けの手段じゃない!」と綺麗ごと言って否定したのがイングランド。憤り、「懲らしめてやる!」と”国際試合”を申し入れた。ところが、専業化へ向かっていたスコットランドは技磨きを怠っていないのでイングランドが思う以上に強かった。コテンパンにやっつけて「それで、プロと言えるのか!」と一笑に付そうとしたイングランドの目論みはものの見事に外れた。対して、発祥国イングランドとの試合で自信を着けたスコットランドでは、早速、ラグビー選手の専業化を目指すことになる。けれども、ラグビー・フットボール・ユニオン(RFU=15人制ラグビー協会)は、「イングランドではプロを認めない」として、イングランドの選手達にはアマチュアである事を強いた。
繰り返すけれど、裕福な南部イングランド人はそれでラグビーが楽しめるが、貧窮している北部イングランド人はラグビーに興じることが出来ない。そして、北部イングランド人の中には、頭の堅いイングランド・ラグビー協会とは訣別して、スコットランドへ”出稼ぎ”に行くことを選択肢とする人達が続出する。

時が過ぎ、1895年。北部イングランド人とスコットランド人は、新たなラグビースタイルを確立してプロ化する。それが、13人制ラグビー”リーグ“。

13人制のラグビーリーグでもワールドカップが開催されている。15人制のラグビー・ユニオンのワールドカップは今回のフランス開催大会で10回目だが、13人制は既に15回開催されている。圧倒的に強いのがオーストラリアで、11回優勝。そして第二位が3回優勝のイングランド?ではなく何と「イギリス」。イギリスという代表チームはイングランドチームが主力で、スコットランドチーム、ウェールズチーム、そして北部アイルランドチーム(アイルランドチーム)からもメンバーが入っている混成チーム。でも、イギリスチームの出場する大会に、イングランドも、スコットランドも、ウェールズも出ているみたいだから、なんかイマイチ理解出来ていないけど。残り1回の優勝国はニュージーランド。ユニオンのオールブラックスほどではないにせよ、ラグビーリーグのニュージーランドも世界的強豪です。

兎に角、オーストラリアが圧倒的な強豪で、続いてイギリス(主力はイングランド)、そしてニュージーランド。この3ヵ国で15回の優勝を占めているわけですが、この3ヵ国以上に、ラグビーリーグを国民的な娯楽スポーツとして楽しんでいる国があります。

南半球への波及

話を少し巻き戻すと、スコットランドやイングランド北部を中心に13人制のラグビーリーグがプロ化を鮮明にしたことで、「そりゃ、いいね」と注目したのが英国やフランスに植民地化されていた地域。特に、人種差別問題の解決に苦労していた南アフリカニュージーランド、そしてオーストラリアは、国民に娯楽を与えて政治への不満のはけ口とする為にスポーツの専業化に前向きとなる。しかし・・・

●南アフリカは黒人を受け入れたがらない白人が多く、長い間、白人と黒人が一緒のグラウンドに立つことが出来なかった。
●ニュージーランドは、現地人(マオリ族)の方がラグビー選手になることに憧れて上手く行った。上手く行ったどころか、水を得た魚のように、楕円球を得たマオリ人は白人を凌駕する程にラグビー上手になった。
●オーストラリアは、工業化以上に娯楽産業(観光産業)で稼げる国を目指し、スポーツ専業化によりラグビー他フットボール大国となっていく。そして幾つもの人数制ラグビーや、別ルールフットボール競技を作った。
🔶オーストラリアの考え方をそのまま持って行ったようなのがアメリカ合衆国。何でもプロ化して、ただのプロではなく、数千万、数億円、数十億円、数百億円もの収入を得る選手まで出て来る。これは明らかに愚かしい方向へ行き過ぎた。

オーストラリアで圧倒的な人気を博すようになったラグビー・フットボールですが、海外へ向かったオーストラリア人達はその先々でそれ(ラグビー・フットボール)を余暇に楽しんだ。すると、それを見ていた現地の人々が興味を示す。中でも、ラグビーリーグに対して一際ひときわ強い関心を示したのがパプアニューギニア。

左から クムルスのエンブレム 、パプア・ニューギニア国旗、パプア・ニューギニア国章 

1949年に、パプアニューギニア・ラグビーフットボール協会が設立され、1960年代になると、ラグビーリーグはパプアニューギニアの国民的競技スポーツに成長し、国技と位置付けられた。国技とは言うものの、まだまだ発展途上中の国家であるパプアニューギニアで、一つのスポーツを国際的水準にまで引き上げることは容易ではない。・・・筈であるが、ラグビーリーグの国際ランキングに於いて、パプアニューギニアは8位以内をキープしている。ラグビーリーグのワールドカップ常連国でもある。ここがユニオン(15人制)を本格的に強化したら、十分にジャパンのライバルになりそうな気がする。今は、世界ランクで80位台くらい。でも、ラグビーリーグに慣れ親しんで国技ともなっている国だから、ユニオンが盛んになることはないかな。間違いないのは、リーグ日本代表がパプアニューギニアと試合したら、多分、木っ端微塵にやられます。歯が立ちません。ユニオンとは逆になる。

パプアニューギニアは、嘗ての大日本帝国と浅からぬご縁があった国ですので、別記事でもっと詳しく触れますので今回は以上、簡単に終えます。

ラグビー・ユニオンでは、ニュージーランド(オールブラックス)や、フィジー、トンガ、サモアなど、太平洋諸国が世界的な強豪国です。が、この国々でもラグビーリーグは盛んで、リーグとユニオンを掛け持ちでやっている選手も少なくないようです。オールブラックスのスター選手がリーグに移籍したり、リーグのスター選手がオールブラックス入りしたり、太平洋地域では、二つのラグビーは分け隔てなく、結構、交流しているようです。

日本で、15人制ラグビーが普及した理由

“北部”や南半球植民地で”勝手に”ラグビーが持て囃されてルールも変えられて、発祥地イングランドは何か「楽しくない!」となった?それで、”ザ・アマチュア!”に拘る綺麗ごと民族=日本人をラグビー仲間にしてくれた。

兎に角、日本には、綺麗ごと言いの大人が圧倒的に多い。だから、「スポーツで金を稼ぐとは何事か!仕事しろ!勉強しろ!」と五月蠅い。日本でも、イングランドのように、「ラグビーをする子は頭がいい」という社会風潮を醸し出し、特に地域の伝統校を中心にラグビー部が強くなっていく。確かに、瞬時の判断、率先力、勇気、持久力、自発力など全てが求められるラグビーでは、勝手な振舞いは許されずにリーダーを目指す人たちには好まれた。そして、早稲田と明治が伝統の一戦となり、それに慶応や筑波も加わって行ったが、大学ラグビーこそが「華」となった。イングランド人が思った通りに、日本に於けるラグビー(ユニオン)は、ミニ・イングランド化していく。
もしも、イングランド人よりも先に、スコットランド人が「金儲け」を謳ってラグビー(リーグ)を紹介していた場合、日本はラグビーに一切の興味を示さなかったと思う。そういう国民性だったから。

日本国内に於いて、”アマチュアスポーツ”としてはそこそこの人気を得たラグビーは、早明戦や社会人ラグビーの日本一対大学ラグビーの日本一が雌雄を決する日本選手権(今では大学勢はまったく歯が立たなくなったが)や高校ラグビーの冬の選手権などがテレビ中継の対象となった。代表チームによる国際試合も度々行われた。しかし・・・

今でこそアジアでは無敵のジャパンは『ブレイブ・ブロッサムズ』という愛称で海外でも親しまれているけれど、以前は可愛く『チェリー・ブロッサムズ』と呼ばれていて、フィジカル面で欧米人や太平洋諸国の民に大きく劣り、国際試合ではなかなか勝てなかった。と言うより、大差で負けることが珍しくなかった。でも、そういう時代の頃が懐かしくもあり、今後時折、ラグビーネタでのエッセイを書いてみようと思います。(と言うか、以前のBLOGで書いた記事を元ネタにしての書き直しです)

では、このエッセイは取り敢えず此処でお終いです。

コメント