ラグビーの歴史アレコレ(1)~起源~

フットボール系エッセイ

アイルランドの国技 ~ゲーリック・フットボール~

「フットボールと言えば?」

日本人なら、「サッカー(アソシエーション・フットボール)」と答える人が圧倒的に多い。しかし、アイルランド人なら、「ゲーリック(ゲーリック・フットボール)」と答えるかもしれない。

ゲーリック・フットボール=ゲーリック・ゲームズはアイルランドの国技で、その起源は16世紀にまで遡り、初期ラグビールールに最も近いと云われる。勿論、ラグビーという競技が誕生したのはイングランドだから、ゲーリックを参考にラグビーが始まったわけではないでしょうけど、動画で見たら面白かったので、当タイトルを書き始める最初に登場させます。

アイルランドにゲーリック体育協会が設立された年は1884年。ゲーリックの語源は、アイルランド人が自らをゲール人(ケルト人)と称していたことに由来する。因みに、アイルランドの第一公用語は英語ではなくゲール語(とは言っても、ゲール語=ケルト語の消滅を文化的観点で保護する目的で公用語と指定されている。実際は英語がメイン)。

イングランドにフットボール・アソシエーション協会が発足したのは1863年。現在はサッカーの為の協会だが、設立当初は厳密な”サッカー・ルール”は確立されていなかったのか、ラグビー・ルール上に於ける最古参クラブであるブラックヒースクラブも創立メンバーとして加盟していた。しかし、アソシエーション協会が主張したサッカーとではあまりにもルールが違い過ぎた事に因り、ラグビー・フットボールを強く提唱したブラックヒースクラブは脱退。主要メンバーであるブラックヒースクラブの協会脱退は大きな波紋となり、その他全てのラグビー・フットボールクラブも脱退する。それと同時に、イングランド・ラグビー・ユニオン協会が設立する(1871年)。この騒動の発端となった大きなルール改正以前の競技ルールに最も近い形が、ゲーリック・フットボールという事です。

ゲーリック・フットボールのフィールド印象 H型のゴールの下部にはネットとゴールキーパー

ゲーリックでは、1チームのフィールドプレイヤーは15人。両チーム合わせて計30人で1つのボールを奪い合い相手のゴールを目指す。ゴールは、ラグビー同様にH型だが、ゴールの下の部分はサッカーのようにネットが張られていて、ゴール前では、ゴールキーパーが守っている。つまり、ボールをゴールネットに入れて得点を取り合う競技です。でも、ネットが張られていないゴール上部を通しても得点が認められる。H型の部分以外にラグビーのように「トライ!」したり、アメ・フトのように「タッチダウン!」したりは認められない。

ネットが張られていない部分へボールを通せば1点。ゴールネットを揺らせれば3点。ボールは楕円球ではなく円球。Wikipediaに書いてあることが分かりやすいので引用します↓

  • ボールは手に持って移動できる。その際の移動範囲は4歩までと決まっており、ボールをバウンドさせることにより更に4歩進むことが出来る。但しこれが許されるのは1回までである。
  • 上記規定の移動範囲内で、ボールを蹴るかフィスト・パス(ボールを掌か拳で打つパス)によって味方プレイヤーにパスが出来る。
  • このパスは自分自身に対しても有効である。これを行うことでプレイヤーはボールを持ったまま9歩まで進むことができる。
  • サッカーのオフサイドのような制度はない。
  • 相手が持っているボールを手ではじいたり、ショルダータックルは認められるが、ラグビーのように体全体でタックルすることは認められない。ラグビーのようなスクラムも存在しない。
  • 得点はH型ゴール(ラグビーのゴールポストにほぼ同じ)の上の空間にボールを蹴り通すか、ゴールポストの下のゴールネット(サッカーのゴールネットにほぼ同じ)の部分にボールを入れることで得点となる。ゴールポストを超えて得点すれば1ポイント、ゴールネットにボールを入れるとゴールとなり3ポイントが得られるが、サッカーのようにゴールキーパーがゴールマウスを守っている。

    以上、引用終わり↑


付け足すと、ダブルドリブルは許されない。サッカーのように蹴って進む(ドリブルやパス)のがスピードに乗れるし有効的。スクラムが無く、ショルダータックルは認められているが、体全体でぶつかっていくことは反則。ラグビーのような激突!みたいなコンタクト競技じゃないので女子にも好まれている。でも、タックル!タックル!!タックル!!!のラグビー好きにはちょっと物足りないかもしれない。

ゲーリック・フットボールは、トップリーグでも全員アマチュアで専業は許されていない。基本的に、トップ選手でも職業(本職)を別に持っている。そして、リーグに所属している選手は、必ず、そのクラブのホームタウン地域の自治体に在住、在学、在勤していなければならないので、選手もファンも地元意識をより一層煽られる。ゲーリック・ゲームズの実際の試合中継は見たことが無くて、ネット動画でちょこっと見たくらいの程度ですが、なかなか面白い。地元チーム愛は芽生えそうです。

と言うわけで、拙い文章ですが通じましたよね?ラグビー、サッカー、オージー、アメ・フト、バスケット、ハンドボールなど、多くのボールゲームの原点はゲーリックにあるみたいな感じ。

アイリッシュは、イングランド人が考案したサッカーやラグビーに魅了されながらも、ルールが定まらずに変化し続けたフットボールに対して「面倒臭い!」と思ったのかもしれない。だから、当初ルールに近いゲーリック・フットボールを競技し続けて、現在でも国技として愛している。尤も、ラグビー競技に於いても、アイルランド代表は世界有数の強豪ですけどね。

ケルトの伝統競技ハ―リングと、シンティと、クリケット

元々スポーツや芸術に対する造詣が深いアイルランドでは、既に14世紀には、ケルト族を起源とする伝統スポーツ『ハ―リング』(15人制で行う、ホッケーとサッカーを併せたような競技。)を国家的公式競技として確立していた。でも、ハ―リングのナショナルチームはアイルランドにしか存在しない?

グラスゴーを中心に、親アイルランドの住民が多数暮らしているスコットランドの伝統スポーツには、ハ―リングと似たような競技『シンティ』がある。シンティのナショナルチームは、スコットランドとイングランド以外に、アメリカ合衆国とロシアが持っているみたいだけど、多分、本場(スコットランド)とはレベル差がある。

ハ―リングとシンティのルールを互いに改編した特別ルールで行われる「アイルランド・ハ―リング代表vsスコットランド・シンティ代表」の国際試合は、両国間の伝統の一戦として大変な盛り上がりを見せるらしい。ハ―リングでは選手も監督もチームもプロ化せずにただただ「勝利の栄冠」のみを目指す。一方、1880年代からスコットランドを中心にイングランドチームも加わってメディア報道も行われているシンティでは、専業化している選手もいるらしい。でも、両競技とも基本的には国際メジャー化していないので、少し似ているクリケットのプロ選手ほどは稼げない・・・でしょうね。

左から、ハ―リング、アイルランド国章、スコットランド国章、シンティ   

ハ―リングの歴史は、紀元前14世紀頃まで遡り、神の一族と人間によるハーリングの試合が行われた。とケルト神話に記述されている。その試合で負けた人間(アイルランドへ移住しようとしていた人間達)は、その後の神一族との戦争でも負けたらしいが、兎に角、古代から行われていた競技という事。

そしてクリケットの起源は、「棍棒でボールを打つ競技」をヒトが始めた古代期(いつの事かは分からない)にまで遡るらしい。クリケットの起源に倣うならば、フットボールの歴史的起源を、「ヒトがボールを掴んだり、投げたり、蹴ったりし始めた古代期」にまで遡ることも出来るよね?

紀元前1世紀には、世界各地で、娯楽的に(現在のあらゆるフットボールと)似たようなことが行われていた。特に、古代ギリシア人と古代ローマ人は、娯楽と言うよりもオリンピック競技(古代オリンピック)を目指して多くの球技を行っていた。約1300年間に287回も開催された古代オリンピックの中に、現代のフットボールのような競技があっても何ら不思議な話ではない。

イングランドの伝統祭事

クリケットの第二起源(いわゆる中興の祖)は1301年。当時のイングランド王室が、娯楽として始めたらしい。市民社会が「クリケット」を知ったのは16世紀中期。元々は子供の遊びだったが、大人もプレーし始めてスポーツとして認知された。一気に広まったクリケット界に、プロ選手が登場したのは1660年代後半。1697年には、サセックスで優勝賞金(相当の大金)を賭けての大会(試合)が催されたと記録されている。徳川幕府時代だった当時の日本では考えられない。

イングランド伝統のフットボール祭

フットボールの第二起源は?と云うと、これもしっかりと既定されていて、当時のプランタジネット朝のヘンリー2世がイングランド王だった頃(1154年~1189年)に始まった”伝統の奇祭(危祭?)”ハグボールがそれに当たる。つまり、遅くとも12世紀が起源という事でクリケットより若干先んじているらしい。ハグボールには逸話があり、”ボール”とされたのは、処刑された罪人の頭部だったというもの。この説は”人気”らしいけれど、真偽のほどは分かっていない。

ハグボールは伝統の祭りとなったらしいけど、1660年代になると「シュローヴタイド・フットボール」という名称に変わる(いわゆる、フットボール祭)。

ハグボールもシュローヴタイド・フットボールも、ほぼルールは変わらないという事なので、シュローヴタイド・フットボールがどういう祭りなのか書くと・・・

シュローヴタイド・フットボールとは?

●行われる場所は、現在のイングランド・ダービーシャー州アッシュボーン。
●行われる時期と日数は、1年に1度、告解の火曜日と灰の水曜日の二日間。
●同じ地域のライバルチーム同士のマッチゲーム=ローカル・ダービーを「ダービー・マッチ」と呼ぶようになったのも、シュローヴタイド・フットボールに由来する。

ダービー・マッチなので”競技(祭り)”の勝敗は分かり易い。1対1で行われ、基本的には勝者と敗者しかないが、勝負がつかない場合は引き分けの年もある。但し、1対1だが数千人同士のチームであり、アッシュボーンを流れるヘンモア川を挟んで南部のダウナーズと北部のアッパーズが「殺人以外は何でもあり(本当に)」の超過激な戦いを繰り広げる。

左、ダウナーズが目指すべきゴール / 真ん中 両陣営のボール奪い合い / 右、アッパーズが目指すべきゴール

フィールド(競技場)はアッシュボーンの街全体であり、ダウナーズとアッパーズは、午後2時のキックオフによってそれぞれのゴールを目指してボールを運ぶ。ダウナーズのゴールは川下側で街の西寄りになり、アッパーズのゴールは川上側で街の東寄りとなる。ゴールと認められるには、川の中にある石碑の真ん中の丸い色の変わった部分にボールを3回タッチさせること。ゴールまでボールを移動させることに関するルールはほとんど何も無い。何でもあり。手に持って走っても、足で蹴っても、投げてもいい。服の中や袋に隠して運んでもよい。隠れてもいいし、ボールを奪うのも(奪われない為の行動でもある)殴ろうが、蹴ろうが、タックルしようが何でもあり。街全体がフィールドなので、入っていけない場所は教会と墓地に限られる。個人宅の敷地であろうと庁舎であろうと交番であろうと・・・でも、泥棒は許されない。そして、相手より先に1点取ったら勝ち。それで終わり。でも、数千人同士のぶつかり合いでなかなかこの1点が遠い。夜10時までに両陣営共に3回タッチが出来なければ引き分け。二日目も始まりは午後2時で、1点も入らなければ終わりは午後10時。

最初にボールを投げ入れる役目はエライ人で、1928年には皇太子が投じた。後に国王となるエドワード8世ですが、この時以降、ロイヤル・フットボール祭とも呼ばれるようになった。
理解するには、この動画観た方が早い=>2019年のロイヤル・フットボール祭り

何故か、日本の玉せせり

話は飛ぶけど、福岡の筥崎宮では、 末社(玉取恵比寿神社)まで 運ばれた陰陽二つの木玉の内、陽玉を奪い合いながら本宮へ運ぶ「玉せせり」という祭りが毎年1月3日に行われる。これは室町時代から続いている祭りですが、陸側の男衆と浜側の男衆が競って玉を奪い合い、陸側が奉納すれば豊作の年、浜側が奉納すれば豊漁の年とされる祈願祭でもある。

筥崎宮の玉せせり(毎年1月3日)

アッシュボーンのフットボール祭も始まりはそういう事だったのではなかろうか?そして・・・

ノーサイドとオフサイド

殴り合うし、蹴り合うが、祭りが終われば同じ町の住民として協力し合わねばならないので、あまりにも激しくなった場合には、必ず仲裁が入りそれには従わねばならないらしいし、祭りが終わればそれこそ「ノーサイド」。怪我とか壊れた家は保険で直すってのが如何にも英国流です。

こっちも数千人の味方がいるが、相手も同様。だから、ボールを前にパスするなんてしない。自軍の奥深くにボールを隠しながら敵陣を突破していく。この方式がラグビーに受け継がれた。そして「オフサイド」という言葉もこの祭りから生まれたものらしい。つまり、待ち伏せ行為(卑怯な行為)は許されないって事なのでしょう。そして、相手をビビらずにタックル!・・・サッカーでは受け継げない事が多過ぎるけど、兎に角、双子の兄弟であるラグビーとサッカーは、五穀豊穣を願う祭りを原点として生まれた。『ラグビーの歴史』の第一回目は、そういう事で結論付けておきます。

(第二回目は、ラグビー誕生秘話・・・かな?)

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