円の話

時を紡ぐ~Japan~

そもそも「外国為替相場」とは…

単純に言うなら、米ドルやユーロ、英ポンド、人民元などの”通貨”を商品として見立てた市場価値の推移です。

2023年の「外国為替相場」に於ける$¥レートは、1$=127¥~151¥という、いわゆる円安領域を推移しました。

150円で計算すると、10年間で7億ドル=10年間で1050億円という途轍もない大型契約となるということで、メジャーリーガーの大谷翔平選手の話題が連日連夜報じられました。もうそろそろ140円に近付き「70億円損した!」などという言葉も飛び交うなど、この騒動はまだまだ続いていきそうですが、それはさて置き、今回は『円』に纏わるエッセイです。

外国為替と内国為替

そもそも為替(EXCHANGE)とは?

国内外に於ける債権・債務・商取引や、資金移動に際し、現金を渡し合うことをせず、銀行他金融機関を介す仕組みがいわゆる為替取引。為替取引には当たり前だが各国の『通貨』が使用され、国内取引=内国為替では日本円が使用される。しかし、『円』は日本国内でしか使用出来ない独自通貨。だから、海外と取引を行う場合は、外国為替の仕組みを利用することになる(=外国の通貨を使用する)。

輸入の場合=>輸入者は、円貨を外貨に交換して取引(支払)を行う。
輸出の場合=>輸出者は、取引(受取)で得た外貨を円貨に交換する。

この円貨<=>外貨の交換は、為替相場に大きく左右される。
円が高い時には多くの外貨を得られるために輸入しやすくなったり、外国旅行もしやすい。一方、日本製品を外国人は買い辛くなったり、日本への旅行がし辛くなる。
円が安い時には少ない外貨しか得られないために輸入し辛くなったり、外国旅行もしにくい。一方、日本製品は安くなるので外国人は買いやすくなったり、日本への旅行もし易い。

外国で稼いだ金を国内に持ち込む場合は、当然、円安が有利になるわけで、だから、外国で活躍している日本人選手の契約年俸が物凄く高く感じられる(大谷さんが、外国で稼いだお金をどのタイミングで日本へ移すのかは当たり前だが知らないし、知ってどうなるという問題でもない・笑)。

日本円

倒幕前後の通貨・財政事情

徳川幕府が倒幕され武士の時代が終わった。が、明治新政府誕生期の通貨制度は徳川幕府時代を引き継いだままだった。因みに、幕末期の徳川政権の財政は破綻寸前だったと言われている。そもそも、東日本の金(計数貨幣)と西日本の銀(秤量貨幣)が”国内通貨”として同時流通していたにも関わらす、金銀の交換為替も曖昧だった。しかも、金の価値を知っていた外国人商人達にも良いように騙され、幕末期の日本から大量の金が海外に流出していたことは周知の事実。お人好しの日本は、『黄金の国・ジパング』などと煽てられて、本当は貧乏なのに金持ちのフリして大盤振る舞いしていたのであろう。

明治新政府は、国家の本当の財政事情を知り、近代化を推し進める為の財源が極めて乏しいことに大慌てした。財政難と通貨問題の解消のためには、近代的な通貨制度の確立こそが重要課題と位置付けて、反徳川とか親徳川とかそういう垣根を取っ払い、兎に角、経済に明るい人材を登用していく。

「円」決定の逸話

(早稲田大学のWebSiteによれば・・・)

明治政府発足当初の1868年には、『純正画一な貨幣』を製造することの重要性が話し合われ、翌1869年に大隈重信から以下のような建議がなされる。
●第一に、外国貨幣が円形で携帯に便利であり、この際旧来の方形を円形に改むべきである
●第二に、両分朱は四進法のため計算上非常に不便であるから、各国にならって十進法とすべきである
新貨幣は十進法によるものとし、その価名を円形の「」とすることが決定された。そして、1871年(明治4年)に公布される。同時に、円の補助単位として「」および「」が用いることも決まる。

通貨の価値基準を量る為には、金本位制の導入も必要となった。金と円の交換レート(量目)を決定するに際しては、米国訪問中の伊藤博文の建言が採択される。つまり、日本の「円」は作られた当初から「米ドル」を意識した貨幣であったと言える。

純金1,500mg=1円での導入が試みられ、20円硬貨、10円硬貨、5円硬貨、2円硬貨、1円硬貨という5種類の西洋式本位金貨が日本で初めて鋳造~発行される。この金平価1,500mgが1円という量目は、当時の国際貨幣制度確立案として米国下院に提案が為されていた1ドル金貨の金純分とほぼ等しい量とされる。早い話、金の含有量が同じであるのだから、日本の新政府は、1ドル=1円として自国通貨を国際デビューさせようとしていたわけだ。いやいや、ご立派な政治家達だと思うよ。全然、自国を卑下していない。非常に分かり易いレートです。

金・銀と両の価値

確かに、”東の金”と”西の銀”の比価がいい加減だったり、外国人に騙され易かったりしていた幕末期だったろうけど、外国と対峙していくには何もかもを正さねばならない。そのように覚悟を決めてからの幕府方は何にでも真面目に取り組んだ。その姿勢は、武士の時代を終わらせた元々の武士達(明治政府)も認めていたからこそ、渋沢栄一他、徳川幕府方で仕事をしていた面々を重用したのでしょう。

ところで、明治新政府は、貨幣司二分判(明治二分判=量目3g 金純分22.3%)2枚を1両と換算した。やがては1両を1円とした(現在の三井住友銀行である当時の三井組・小野組が換金を担当。三井広報委員会のWebSiteを参照)。この換金をそのままのイメージで受け取るのは笑止千万!って事にもなるでしょうけど、読み取り方によっては、「『円』という通貨の価値が凄く高かったってことだよね!」ってことになる。或いは、『両』を暴力的に無価値とした。いつまでも武士の時代の貨幣を持っているとろくでもない事になるぞ!という脅し的な換算レートですね。流石に、皆、大慌てで両替に走ったでしょう。

江戸時代半ばの町方(現代の公務員)の俸給が年に2両と云われるから、どんなに安く見積もっても1両の価値は100万円くらいはあった。ということは、千両箱ってのは10億円が入る器だったって事になる。年末ジャンボ宝くじが1等7億円+前後賞で総額10億円。それを、換金して銀行から千両箱抱えて高笑いで出て来る感じですね。それだけの価値があった”1両”が、1円にしかならない時代が来たわけだから、それだけでも、明治維新ってのは物凄いことが起きたのだなって分かるよね。

・・・って、ちょっとふざけた内容で笑わそう的な書き方でしたが、あまり真に受けて大反論されたらどうしようかな。兎に角、『両』の時代は終わったのだけど、千両箱だけじゃなく『千両役者!』とかいう呼び方は今の時代も時折聞こえて来ますから、『両』(特に千両)に対する日本人の思い(憧れ)は相当なものだったのでしょうね。相撲の『十両』という番付名も、きっとそれだけ値打ちのある位として付けられたのでしょう。それに比べたら、『円』はまだまだだね・笑

とか何とか書いたけど、実際は、1円=100銭。1銭=10厘。という通貨単位だったのだから、例えば、現在の1円=1厘とするなら、1円=1000厘=(現代値)1000円という事になる。実勢評価値では、あくまでも仮定の価値として、明治初期で1円=(現代値)1万円。(※つまり、千両は1千万円程度・・・「千両箱」のイメージとしてはこれが妥当値かも)。明治30年頃で1円=(現代値)3500円。

ドル・円相場の始まり

明治維新が西日本の諸藩を中心に成された所為か、1885年(明治18年)、日本は(金本位制が当たり前だった)世界の潮流に逆行して、紙幣を銀と兌換だかんする銀本位制を採った。しかし、当然の如く銀価格は下落し、引きずられるようにして日本円も安値へ向かう。ところが、(良くない事ではあるが)戦争によって救われる。

円安で経済の先行き不透明になっていく中、日本は清国と対立。そして日清戦争へ(1894年~1895年)。全世界の予想に反してこの戦争に勝利した日本は清朝に対して多額の賠償金を請求するのだが、この支払いを英ポンドで受け取り、大量の英ポンドを英国に持ち込んで金に兌換することに成功(1897年頃)。恐らく、それを認めた英国政府との間では、1902年に正式発効する日英同盟の密約でもあったのではなかろうか。邪推に過ぎんけど・・・

大量のきんを得られたことで、ようやく日本は金本位制を実行に移す。そして、1米ドル=2円ベースの安定相場で約20年推移する。それからの日本(大日本帝国)は、ロシアとの戦争にも実質勝利するなど世界が驚愕するほどの急成長を成して、円の信頼度を高めた。1914年に勃発する第一次世界大戦頃には、世界中が日本製品を競って求めるようになり、それに比例するように1ドル=1円台半ばの円高水準となっていく。これは、明治初期の1ドル1円為替と同じではなく、世界から日本の国力が認められての事だから価値があり凄いことです。

好事魔多し

日本は、自国通貨の競争力が一気に上がって、押しも押されぬ世界的な大国となった。これは本当にそうです。国土もそうですが、国家としての海洋領域は世界最大に等しく、このまま順調に安定を保てていたら、現在のアメリカに取って代わるような位置に行けた可能性だってゼロではない。ところが・・・

関東大震災が発生。首都圏を壊滅的被害に見舞われた事によって円相場は急落。1924年の1米ドルは2円63銭まで価値を下げた。その後は、「第二次世界大戦の歴史」で殆どの人が知っているように、1930年に世界恐慌が起きて、各国が相次いで金の輸出を停止する動きとなる。1931年には英国が金本位制を停止(1931年)。日本には大きな衝撃となったが、日本も金本位制からの離脱を余儀なくされて金への兌換停止に踏み切る。当然のように、物価の急上昇を招いてしまい国内は騒乱。対外的には、急激な円安ドル高を招く羽目となり、1932年には1米ドル=5円という超円安相場となった。これで、資源輸入(購入)が苦しくなった日本は最悪の手段を採ることになった(全てを米英が中心となった貿易策謀と受け取り、喧嘩を売った・・・が、引くに引けなくなり大戦争へ向かう)。

第二次世界大戦の大敗国となり、大借金国家に転落した日本は、誰かの保護を受けない限り自力再建は不可能な状況へと追い込まれる。その誰かが戦争相手の米国だった。

米国は、急激なインフレに見舞われた日本を救う手段の一つとして、通貨(円)を管理する。

終戦時の円は、1米ドルに対して15円。それが翌昭和21年には50円まで跳ね上がり(=超下落)、遂に、1ドル=360円の固定相場制が始まる(1949年)。それが21年間も続けられると、円安の日本製品が海外で結構人気となり爆発的に売れ始める。その事に焦ったのか、1971年8月に、当時のニクソン大統領が金とドルの交換を一時停止することを宣言。金という後ろ盾を失った日本円は”固定相場制”という牙城を出ざるを得なくなる。そして日本円は、久々に変動相場制市場へと戻る(1973年)。

其処から先の日本経済は、円高政策に突き進んで大成功(円安で成功を見せかける今の弱々しい経営者とは肝の座り方が違ったのでしょう)。GDP世界第二位の経済大国という位置付けになった。更に、米国本土の土地・建物を買い漁るなど、エコノミック・アニマルとも侮蔑された。が、儲けりゃいいんだよ!と、戦争で傷ついた姿は消えていく。ところが、バブル経済の崩壊だ。一時は79円台まで上がっていた円の価値がまたもや一気に下落して、1998年には140円台まで落ち込んだ。でも、円安はまたもや日本製品のバカ売れを生み、「良い円安」とかいう変な言い方が流行る。ところがゞ、リーマン・ショックである。これにより2011年には75円32銭という歴史的円高となる。そして・・・

今は150円前後。今の状況は、本当に「評価されない日本」「評価に値しない日本」という最悪の結果である。自国通貨の安さを喜ぶような愚かしい様を全世界に晒した大きなツケだ。まぁ、変動相場制の為替だから、また近いうちに上昇するでしょうけど、その上昇が国力を認められての上昇とはならない気がします。つまり、通貨が踊らされているだけ。だから、上昇幅も少ないでしょうし、すぐに円安へと逆戻りするでしょう。「良い円安」なんて無い!

自国通貨の弱さを喜ぶような国家には、明るい未来は訪れない。

円が求められないということは、縁を結ぼうという相手も少ないということに等しい。つまり、(通貨が弱い=)国力が弱い国家は好かれない。個人にも通じる。円(=お金)が少ない人には縁も少ない。あ、私の事です(笑)

コメント