オートクチュールとプレタポルテ

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生地から仕立てるスーツも、既製品のスーツも、値頃な価格で手に入る時代になって久しい。装いで商談が決まるというわけでもないけれど、スーツは戦闘服のようなものなので、それに投資出来なくなった時には”戦場”から去る時と思っている。コートもシャツもネクタイもシューズも時計も・・・これでも結構ビジネスファッションには投資している。仕事でもう少し良い結果が伴うならいつもニコニコ出来るんだけど(苦笑)

取り敢えず高価なスーツ1着仕立てたら、3~4年くらいは着る。つまり、3~4年くらいはスーツに合わせた体型維持に努めるわけだから、日頃のだらしなさを少しは抑制出来る。という風に考えれば服装に投資するのはけっして悪くない。服装一つで気構えも変わるから、スーツやシューズに対する手入れも惜しまない。70歳くらいまではスーツ生活を続けられるように頑張ろう。

ところで、日本語の”仕立て”と、フランス語の”オートクチュール“とでは、意味は似ているけれど、言葉の印象度が随分違います。それもその筈で、オートクチュールは単なるオーダーメイドではなく、高級オーダーメイド。特別なお客様からの特別な注文を受けた服(それも言い過ぎだけど)。

“パリ・コレ”は、オートクチュールを手掛けるデザイナー(メーカー)が、その腕前を競う場として1910年頃にスタートしました。この特別なイベントが誕生した背景には、シャルル=フレデリック・ウォルト(1825年:リンカンシャー生、英国名=チャールズ・フレデリック・ワース)の夢追い人生ありです。

チャールズの父親は弁護士ですが”飲んだくれ”。一家はいつも貧窮していたらしい。チャールズは、13歳でスワン&ガードナーという生地屋で働き始めます。転機が訪れたのは1845年。20歳のチャールズ青年は、王室御用達の絹織物商ルイス&アレンビーへ転職する。この転職がきっかけとなり、チャールズは単身フランスへ赴く。

当時の英国は、紳士服の世界では群を抜いていましたが、婦人服の本場はパリ。そこで婦人服の素晴らしさに触れたチャールズは、それ(婦人服)を手掛けて勝負しようと一大決心に至る。しかし、第一次~第二次世界大戦では共に戦う事になる英仏は、この頃は凄く仲が悪い関係だった。どれだけ熱い思いを語っても、チャールズはパリでは余所者扱いを受け続けた。が、1847年。22歳になったチャールズは、フランスの名門高級織物商「ガシュラン」へ転職出来た。ガシュランに在職した10年間でチャールズの才能は大きく花開く。チャールズは、フランス名のシャルルを名乗るようになっていますので、此処から先はシャルルで通します。

ガシュランは織物商であり服飾ブランドメーカーではなかった。けれども、当時のガシュランの経営陣は、高級仕立て服部門の立ち上げを考えていて、その責任者として採用したばかりのシャルルを大抜擢する。もしかすると、失敗しても全てこの英国人の所為にしてしまう考えがあったのかもしれないけれど、シャルルは当時としては(無かった)奇抜なアイデアを披露する。

それまでは、新着発表服の殆ど全てが人形マネキンに着せられていた。シャルルはそれ(マネキン)に代えて生きた素材(つまり人間)に服を着せた。とびっきりエレガントな女性たちが顧客やバイヤーの目の前で製品を披露した。そして飛ぶように注文が入った。これが全世界の女性の憧れの職業の一つ「ファッション・モデル」の始まりになった。

成功者として認められたシャルルは、人生の伴侶を得ます。彼女は、シャルルのお気に入りの専属モデル兼ガシュランの優秀な売り子でもあったマリ・ヴェルネ(きっと相当な美人さんだよね)。

1858年。シャルルは、ガシュランの同僚でスウェーデン人のボベルグと共に、クチュール店「ワース・エ・ボルグ(ウォルト&ボルグ)」を立ち上げて独立する。そして布地の仕入~アトリエ設置~専属のマヌカン配置~年4回の創作衣装発表会(コレクション・ショー)など、現在のオートクチュール・システムの基礎を作ります。

二人の成功のきっかけは、当時の皇帝ナポレオン3世妃ウジェニーが、ワース・エ・ボルグのコレクションを身に着けた事に因る。以来、フランス皇室御用達の仕立て屋(クチュリエ)となった彼らは、フランスのファッション界を大きくリードして行きます。

1868年に「フランス・クチュール組合」(現在のパリ・クチュール組合)を創設。

シャルルは、1895年にこの世を去りますが、「ワ―ス・エ・ボルグ」は、シャルルの二人の息子ジャン・フィリップ・ウォルト(デザイナー)とガストン・ウォルト(経営者)が引き継ぎ大発展させていく。この頃、ワース・エ・ボルグで働いていたのが、キュロットスカートの考案者ポール・ポワレ。

以降、様々なデザイナーがパリで学び、育ち、世界各国でファッションの花が咲く。当然、ニッポンの「ケンゾー」などもその中に入る。

「パリ・コレクション(通称パリ・コレ)」は、現在はオートクチュール技術を競う場ではなく、如何に、大衆に受け入れられるかの既製品を競う場となっています。「既製品」と日本語で書くと何か、あ、そう、みたいな感じですが、フランス語では”プレタポルテ“。パリ・プレタポルテ・コレクションが、現在の「パリ・コレ」です。つまり、既成品を競っているわけですが、とても既製品なんてもんじゃないですよね。ですから、プレタポルテには”高級”既成品と言う意味が込められています。

服、お洒落を楽しむ、という事を与えてくれたパリ・コレはやっぱり凄い。そして、現代の4大コレクション(パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク)に加えて、トーキョーを入れて5大ファッションショーとか日本では勝手にそのように言っている。でもね・・・
ファッション以前に、周囲に不快感を与え、身だしなみ(=お洒落という意味ではない)なども全然気にしない人が大勢いる日本だから、もっとゞ廃れていくよ。お洒落で元気な若者~紳士・淑女が颯爽と街を闊歩する。日本中にそういう都市がたくさんある未来が来ればいいけれど、ちょっと無理かな。

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