シュメール人が残してくれた大事なもの

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人類太古の都市ウルのジッグラト(古代期シュール人の神殿)付近に出土した粘土板には、当時の人々の暮らしに対する風刺文が色々刻まれている。

「快楽のためには結婚、よく考えてみたら離婚」
「喜びに満ちた心で花嫁、悲しみに満ちた心で花婿」
「楽しみ、それはビール。いやなこと、それは遠征」
「パンのあるときは塩はなし、塩があるときはパンがない」
「いつかは死ぬのだ、遣ってやろう。長くも生きたい、貯蓄しよう」
「友情は一日続くが、血の関係は永久に続く」 

数千年以上も昔の人達の思いは現在の日本で語らせても違和感なく通じるし、そこら辺の下手な漫才師や漫談師よりもウケるかもしれない。

●男は快楽を得るために妻として、でも、生活のことをよくよく考えたら離婚に至った。最近の男女平等論者が読んだら、貴重な粘土板がぶっ壊されそうな気がしないでもないが、妻とする女は、見た目の好みで選ぶものじゃないって事。それは、(結婚を前提に)付き合う相手を選ぶ基準としての教訓になり得る。

●花嫁(妻)が幸せに満ち足りていけばいくだけ、花婿(夫)は色々と追い詰められていく。
男の(女性に対する)愚かさの歴史は長い。妻を満足させる為に夫は馬車馬のように懸命に労する。それ故、専業主婦が多かった時代には、「俺が食わせてやっている」意識が強かった男達は、夫と言うよりは主人然と振る舞うことを当たり前のように捉えていた。夫からの暴力的支配に怯えて暮らす妻達が少なくなかったのは事実でしょう。しかし、夫婦としての年輪を重ねて行けば行くだけ、立場は逆転していく。特に夫が仕事をリタイアした後の家庭の中では、「何も出来ない男」(家の事情を)「何も知らない男」として、妻や子供達がいなければ何の役にも立たない能無し亭主と朽ち果てる。
隣近所との付き合いを上手に出来る多くの妻たちに対して、仕事上(表面上)の人間付き合いしか出来ない多くの男達は、「夫」とそての魅力が失せれば朽ちていくのみ。だから、先に妻を亡くした男は心身が急速に衰えて後を追うように死に至るケースが多く、方や、先に夫を亡くした女は逆に生き生きとするケースが多い。

他にも色々と書かれているが、面白いのは、メソポタミアでもエジプトでも、太古の昔から「近頃の若い者は・・・」という言葉が各所に現れること。

兎も角・・・

夫婦(男女)観、死生観、快楽、物欲、友情その他、人の思い(心)というものは何千年経とうとも、何万年経とうとも、何も変わることは無い。この事実だけは分かる。

一日だけでいいから友達になってくれ、一晩だけでいいから寄り添ってくれ、なんていう付き合い方は大昔からあったという事も良く分かる。そして、そのようなことを繰り返すよりも家族、親族を大事にしなければならないという事を分かっている。けれども、人は楽しみの誘惑には得てして負ける。

お金も、どうせ死ぬのだからパーッと遣ってしまおう、などと思ってみても、いざ死なない(死にたくはない)と思えば遣うのをやめて貯めておこうとする。昔も今も何も変わらないのが人の気持ち。そして、どうせなら、戦争よりは酒飲んで過ごしたい。当たり前だが、戦争なんて大昔から誰もが嫌っていたわけだ。でも・・・

歴史を書く学者や一般人達も、「この国家の最大版図はここまであった」とか「この王は大王となった」とかその他諸々、とにかく国の拡張具合や発展具合にばかり必死になる。大国に憧れ、小国の人々にも生活が営まれたことなど思いやれない。歴史を知って自国の現在に活かそうという人達が思い描くのは「防衛」と「(領域拡大含む)成長」。でも、歴史を知ることの本質は、人々の暮らしの大切さに迫ることでなければならないと思う。

誰しも、過去の大帝国の版図に心躍るし、そういう活劇を好む。けれども、国家の最大版図なんてものは、人の心の領域の広さに比べれば狭過ぎる。人の思いは宇宙の果てでも間に合わない。だから人は「無我の境地」にも達してしまう。
目に見える領域の強固さに拘ってばかりいると、心の境界が剣先のようになって、誰彼構わずに傷つけてしまう。人はそうあってはならない、という事を古代シュメールの粘土板は教えてくれる。
何千年も経とうとしているのに、まだ(現代の)お前らは、女も理解出来ていなければ戦争の愚かさも理解出来ていないではないか、と。
シュメール人はドライで、且つユーモアもある。人生の悲哀も感じさせる。そして、現代人よりは「国家」の作り方を分かっていた。何故なら、最初に国家を創った人達だから。
シュメール人が粘土板を残してくれたことを「粘土板」という遺物にだけ感謝していては歴史を知ったことにはならない。大事なものは手には取れなくても目には見えて来るし、耳には聞こえて来る。同じ、人だから。そして・・・

強大な国家も、地域も、企業も、世帯も、
集った人の『暮らし』を大切に出来なくなったら廃って終わる。

※NHK出版の「四大文明」のメソポタミア版の取材記事を参考にさせて頂きました。

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