商人の通った道は、武器(軍事)の道になる

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ヘロドトスは、”ステップ・ルート(=草原の道)”という言葉を史上初めて書物(『歴史』)に記したと云われる人ですが、「全ての道はローマへ通ずる」という表現を借りるなら、「ユーラシア大陸の全ての道は黒海に辿り着く」と言えるくらいに、黒海とその周辺地域こそ”世界の交流地”であった。

黒海の北側沿岸部に結構広範な領域を持っていた遊牧騎馬民族キンメリアは、アナトリア遠征を繰り返したが、結果的にはアナトリアに覇を唱えることはならなかった。そういう気も無かったのかもしれないけれど・・・

そのキンメリアを駆逐した遊牧騎馬民族は、ギリシア人からは「スキュタイ」と呼ばれ、ペルシア人からは「サカ」と呼ばれた部族。この部族自身が自分達の部族名をどのように名乗っていたのかは今のところ誰も知らない。が、取り敢えず、日本に於ける一般的な呼び方では、「スキタイ族」。

スキタイは、畜産に限らず、貴金属と動物意匠を特徴とする独自の製造文化を持っていた(黒海北岸文化、或いはスキタイ文化)。彼らの”製品”は、ステップ・ルートを通じて東方へ伝わった。紀元前3世紀頃の匈奴の遺物には、スキタイの影響を色濃く受けている推察されるものがあるらしい。

東アジアにも、既に芸工的技術文化は起きていたが、スキタイ文化と融合した事で進化を生み(=騎馬隊や刀剣・砲台技術など)やがては、東方の騎馬民族が西進する源になった。それはそうだ。実際にどうやって作られているか実際に”現地を”見てみたくなるし、放牧に適した素晴らしい場所には行きたくなるし、その人たちを見てみたいと思うのが人間だ。

「草原の道」に留まらず「オアシスの道」そして「海の道」など、いわゆるシルクロードを行き来した商人の存在こそが東西の文化交流を成した。人にとって最も重要な何かは全て商人が教えてくれる。
肌色の違い、髪色の違い、目の色の違い、言葉の違い、宗教・信仰・思想・思考の違い、服装の違い、食の違い・・・、違いだらけの各地域を行ったり来たりして、物珍しい品を紹介し売買を成立させていく。欲しい物が見つかれば、武力に任せて見ず知らずの相手であろうと破壊し奪い取る。そのような暴力的な為政者とは全く違う思考を持つ「商人」という存在が早くからあったからこそ、人は、歴史を積み重ねることが出来た。それは間違いないと思います。

但し、商人が商売にのみ徹して公明正大でいてくれたら良かったが、商人がそれぞれの商売先で、”陰口””告げ口”のようなことを行うようになった。商売相手を気持ちよくさせる為に情報を誇大化したり、誤情報を捏造したり、つまり、嘘も方便「儲けの為なら何でもあり」という姿勢になった。そして為政者は、商人が知っている(知っているフリをしているだけであっても)「秘密」を欲しがり、「秘密」を盗んで来ることに長けている商人を政治利用する。戦争にも利用する。
戦争は軍人が起こすのではなく、儲けの為なら戦争さえ利用する商人によって起こされる。軍人は、商人が持ち込む「情報」に動きを左右されてしまう政治(民政、王政、軍政等々)に従うのである。

儲けばかりを追うと、必ず良くない未来が待つ。が、知らない人のことを然も知っているかのように思い込むのも諍いへ繋がる。何よりも重要なことは、全ての事を正しく知ること。そしてそれ以上に重要なことは、知らない事は素直に「知らない」と認め、知る必要があるのなら素直に教えを乞うこと。それらが出来れば、人はけっして道を踏み外さないで済みます。

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