史書に触れる幸福感

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実証主義が歴史学を変えた

ヤーコプ・ブルクハルト

歴史をその始まりから語り始める事は不可能である

その言葉を残したのは、19世紀のスイス・バーゼルに生まれた歴史家カール・ヤーコプ・クリストフ・ブルクハルト(1818年~1897年)。氏にとって、初めての出版作となった『ベルギー諸都市の芸術作品』を発表した1842年には次の言葉を残しました。

私にとっては背景が主要な関心事である。そしてそれは文明史によって与えられる。私はそれに身を捧げようと思う」。(ブルクハルト氏は、文化史及び文明史を専門分野とした人です。)

父親が教会の説教師であった事から、神学を学んでいた氏でしたが経緯は分かりませんが歴史学に転学すると、1840年にもっと深く歴史を学ぶためにベルリン大学へ行く。当時のベルリン大学の歴史学教授は、近代歴史学の父と称されるレオポルト・フォン・ランケ。この頃のランケは44、5歳で、既に、ドイツにおける歴史学の指導者的立場にあり、実証主義に基づく教育を実践していた。

因みに、ランケより以前の歴史研究者は「歴史家」と呼ばれ、ランケ以降の歴史研究者は「歴史学者」と呼ばれるようになった。ランケが歴史学分野で果たした業績はそれくらいに画期的で偉大なこと(※実証主義に基づき、史料批判による科学的歴史学を確立させた)。

ランケに学び、後にベルリン大学の歴史学教授となり、更には、プロイセン学派を牽引して、プロイセンを中心とするドイツ統一を加速させるきっかけを作ったヨハン・グスタフ・ドロイゼンも、ブルクハルトが師事した一人です。

直観から出発することができない場合はなにもしない」という考えに徹したブルクハルトは、正しい知識の裏付けがあって得られたことに対し、それ以上の余計な”味付け”を足さない人だった。言い換えれば、余計な知ったかぶりの空想語りを嫌った。(・・・不肖私とは真反対。お恥ずかしい限りです)

ブルクハルトが関心を示したのは、歴史事象そのものよりもその事が起きた時代の雰囲気。即ち、一時代や一国民の心理を深く解釈することを志した氏は、偉大な歴史家として位置付けられるわけです。

氏は、頑固と言えば頑固一徹で、生まれ育ったバーゼルをこよなく愛します。19世紀ドイツの指導的歴史家にして自身の恩師でもあるランケより後継者として指名され、ベルリン大学への招きを受けた時もそれを丁重に断り、バーゼル大学の員外教授としてその生涯を全う。派手さを嫌い、「うまく隠れて生きた者こそ、よく生きた者」という自身のモットーを貫きました。

ちょっと別の視点から見ると、当時、ベルリン大学の歴史学教授の中には、ヨハン・グスタフ・ドロイゼンも名を連ねていました。と言うより、ドロイゼンを中心にしたプロイセン学派が学内を席捲していたと云われます。そういう雰囲気の中に身を置くことは、非政治的学者という心地好さを奪われかねず自らの主義に反する事になる。そういうことを予見出来たのでバーゼル大学の員外教授で居続けたのではないかなと勘繰るところです。

もっと多くの史書を書き残すことが出来たし、(同時代の史家に限らず現代の史家からも)もっと多くの史書を書き残して欲しかったと云われるブルクハルトですが、「印税の為の仕事はしないし、出版屋の下僕になるつもりもない」として、晩年の30年間は著作活動の一切を止めて指導者(教育者)として後進育成に専念します。エライ人だな。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

ブルクハルト氏に最も影響された人と見做されているのが、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年~1900年)。

ニーチェは、1869年からの10年間をバーゼル大学の古典文献学教授として過ごしました。ニーチェは歴史学者ではなく哲学者。そして、ブルクハルトが手法として嫌っていた歴史哲学者です。それ故に、出会った当初は歴史認識を巡り激しく対立し激論を繰り広げたと云われる。が、ニーチェは、次第ゞに、ブルクハルトの生き方に魅せらていく。いつしかニーチェは、他者への手紙などにブルクハルトの生き方について触れるようになり、「隠者のように人と離れて生活している偉大なる思想家」と紹介し、尊敬の念を示します。非政治的歴史学者であったブルクハルトとの親交が、後にニーチェを、権威と離れた在野の哲学者という生き方に導くことになったのかもしれないですね。

ニーチェを語り始めたら、違う方向へ行ってしまうので・・・

世界的な哲学者であるニーチェは、なんとオペラ『コジマ』など作曲活動もしているのですが、『コジマ』のモデルは、コージマ・フランチェスカ・ガエターナ・ワーグナー。この女性は、チャイコフスキーが親友ニコライ・ルビンシテインからさんざんに貶された楽曲を送ったハンス・フォン・ビューロの妻だった女性(参考記事)。ビューロとは不仲になった後に、ルヒャルト・ワーグナーと愛人関係になり子を生す。そしてビューロと正式離婚してワーグナーと再婚。なんか知らんけど、ワーグナーと親交があったニーチェはこの女性を「素晴らしい人」だと絶賛している。

・・・ほうら、変な方向へ行くのでニーチェはお終い・笑

J.M.ロバーツ

尤も、ブルクハルトの如き、優れた直観力を備えている人だけに歴史を物語る権利が与えられるのであれば、歴史を好きになる人なんていやしなくなる。歴史を物語る人が多ければ多いだけ、世の中は面白いに決まっています。でも、あくまでも趣味的に留めないと素人史家の知ったかぶりが度を超すと恥をかく。不肖私こそが一番用心しなければ(苦笑)何度も言いますが、此処は歴史サイトじゃなくエッセイサイトです。

ところで、明らかにブルクハルトの影響を受けている史家の一人が、20世紀の英国に生まれ育ったジョン.モーリス.ロバーツ氏(1928年~2003年)。

オックスフォード大学・マートンカレッジ卒で、後に母校の学長となるJ.M.ロバーツは、不肖私も愛読させて頂いた通史『世界の歴史』『ヨーロッパの歴史』などの著者。20世紀を代表する通史の大家であるロバーツは、(史家が)歴史を物語って行く上では、「長期的に見て、その出来事が人間の社会にどれだけ広く大きな影響を与えたかという点に基づく歴史的事実の取捨選択が必要」と書いています。

歴史の事実は一つの筈なのに、複数の事実(説)が語り継がれている場合が少なくない。少なくないと言うより、複数の国家や人が絡む歴史は、どれが真説でどれが邪説かがハッキリと分かっていない場合の方が多い。故に、歴史学者は自身の価値を賭けた取捨選択を迫られる。「歴史学者(プロ史家)」はプロであるが故に、その取捨選択の結果を、史家でも何でもないただの歴史好きの人々から貶されることもある。因果な商売ですね。だいたい面白過ぎるよね。膨大な歴史史料や発掘旅行などで得た知識を多角的に精査して、何年もかけて書き上げられたプロ史家達の歴史書が、ただの読者に貶される。膨大な時間と経費やその他様々な行動に対して何も尊敬しない。”愛好家”ほど怖い人達はいない。

歴史に限らず、例えばスポーツ分野でも、プロ・スポーツ選手をぼろクソに貶すただのスポーツ好きがたくさんいますよね。ほんと・・・言論の自由とか表現の自由とかって怖いよね。

フェルナン・ブローデル

20世紀最大の歴史家とも評されるフェルナン・ブローデル氏(1902~1985)。名著『地中海』があまりにも有名ですが、氏は、「歴史は物語られるもの」だと書いています。ブローデルのような人が物語った内容だから、『地中海』や『物質文明・経済・資本主義—15〜18世紀』に目を通した人はそれを信じる。そして、別の大家が書いた内容と比してみる。相違点があれば、どちらが正しいかではなく、どうして相違するのかを考えてみる。そうすることで、新しい見方が出来るかもしれない。

誰がどう語ったかで歴史はいとも簡単に覆される。覆されては困る「正史」「真実」ならば、絶対に覆されないように記録・保存されなければならない。しかし、例えば今のこの時代のことも、未来では好き勝手に物語られて、現代では誰も知らないようなまるで違う歴史として物語られても何ら不思議ではない。そして、誰も知らないような語られていない真実は、未来にこそ明かされる。それが歴史の扉。

クリストファー・I・ベックウィズ

何年か前に発行された『ユーラシア帝国の興亡(副題:世界史四000年の震源地)』という¥4,500(だったかな?)の本がずっと気になっていた。でも、書店に行くと何故かそのことを忘れていたり、在庫なかったりと読んだことがなかったのですが(他に読みたい本が多過ぎて)、昨日、遂に(忘年会前の待ち時間に)立ち読み出来た。速攻で買いたくなった。荷物になるので昨日は買い控えたけど、自分へのクリスマスプレゼントとして買おう。不肖私がずーっと読みたかった地域や部族の事が結構書かれていた。

著者は、クリストファー・I・ベックウィズ氏(1945年~)。現在は78歳になる米国の文献学者・言語学者。ユーラシアの歴史をこんなに勉強出来て凄く羨ましい。読書させて頂いて、少しでも知識分けてもらおう。

壮大な通史が好きなんだけど、兎に角、史書を読むのはほんとに楽しい。読書だけして暮らせるなら史書に埋もれた部屋でずーーーっと過ごしていたいけど、それは叶わない夢なので、仕事現役退いたら、せめて図書館の傍、歩いて数分のところで暮らしたい。それも恐らくは無理だけど・笑

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