雌性(女性/母性)怪説

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“人類人口”と女性数

●アウストラロピテクス(=代表的な猿人類
●ホモ・エレクトス(=ピテカントロプス)(=代表的な原人類
●ホモ・ネアンデルターレンシス(=ネアンデルタール人)(=代表的な旧人類
●ホモ・サピエンス・サピエンス(=ホモ・サピエンス)(=代表的な新人類
消え去った旧人類から私たち現生人類に至る迄、誕生して来たヒトの数はどれくらいいるのだろう?そういう疑問を持つのは愚かしい?でも、国家の公的機関に於いては、将来人口を推定予測する為の重要な”疑問”らしいですよ。

将来人口予測など、国家の将来政策を導く重要な公的機関と言える厚労省機関の一つが国立社会保障・人口問題研究所。この研究所が公開している様々な数値データの中には、毎年の出生数や死亡数などの他、西暦元年からの世界人口推移数字なども見ることが出来る。

西暦元年の人類社会は2億人~4億人で構成されていた。それが、1800年後には約8億人となった。それから200年後には約61.5億人と急激に膨れ上がった。(※2023年の推計は、約80億4500万人)。
この人口膨張は果たして何を意味するのか?
・戦争規模拡大(大量の兵隊要員を国家が必要とした)
・経済競争拡大(戦争と同じ理由で、国家が、多くの分野で労働要員を必要とした)
それらの事が国家政策にとって最重要案件となり、自然と結婚~出産を加速させた?
無論、言うまでも無く、労働人口が増えないと現役を退いた年金暮らしの高齢者を救えなくなる。その事も結婚奨励~出産奨励の一因となっているでしょう。

しかし、2010年をピークにして日本国家は人口減少へ向かう(実際に、2015年の人口は、2010年よりも約百万人少ない。それ以降は年々減少を続けていて、回復する兆しは見えて来ない)。

国家が、他国に負けないという強い意思を持ち、その意思をあらゆる政策に反映している時代には、人口は自然に増える。しかし、国家が自信を失い始めると、社会はその空気を敏感に察知して人口を抑制し始める。つまりどういうことか・・・

国家が、他国と争って負ける事を怯えるようになると、そこに暮らす人々は、他人と争って負ける事を怯え始める。人々は、「自分だけでも生き延びる」為の準備に入る。自分以外の家族を守る事への不安が、本能的に「結婚を必要としない」「家族を必要としない」というような生き方へと向かわせる。そういう人々が多く暮らすようになった国家は、必然的に改革を恐れる憶病な保守的な国家となり下がって、他国の顔色伺いばかりをするようになる。

という話はさて置き、どれだけの「ヒト」が地球上に誕生したのか?日本の公的公表数値のみならず、世界各国の数値などからそれらを予測する人(研究者)もいて、インターネットでは、それらを検索する事も容易に出来る。西暦2千年までの過去1万年間の出生数予測を行った人は、その数が約3300億人だと書いている。また別の人は、紀元前5万年から2017年までに約1100億人だと書いている。随分と開きがあるが、人口数などまるで見えない部族、民族も多数あることにより、5万年で約1100億人はちょっと少ないような気もするが、間を取って、約5万年間に、凡そ2千億人くらいのヒトが生まれたかもしれない。大雑把な2千億人ですが、女性がその半分を占めると仮定すれば、5万年間で約1千億人の女性が生まれた。そして現在の地球上には、約40億人の女性が生活している。

女”性”

猿人、或いは原人であった頃の”女性”は、霊長類の他の種族や哺乳類同様に、発情期を隠さない(=隠せない)メスであった事が科学者(人類学者?)により既定されている。動物のメスの発情期は周期的に訪れる。霊長類である人類も例外に非ず、子孫を残す本能が失われない限り発情期は備わっている。が、ホモ・サピエンスは、食文化と被服文化を変化(進化)させ続け、それに伴い性意識をも変えさえる事となる。現代女性ほどではないにせよ、古代でも女性達は化粧することに余念がなかった。化粧を含めて女性達の被服意識は常に変化し向上する。そして、食欲を我慢してでもボディラインを保とうとする。それが健康維持の為であったり、自分自身の楽しみであったりしても、『女性美』は常に男性を魅了する。

ホモ・サピエンスの女性達が、地球上のどの生物の雌とも異なるのは、「化粧」「食欲」その他を感情で制御し、特に決まった発情期を必要とせず、性欲(発情)制御さえ可能としたこと。自分の欲さえコントロールしてしまえるのだから、彼女たちにとっては男を騙すくらいは簡単なのかもしれない(笑)

ホモ・サピエンスにのみ起きた出産事情

動物の雌は、発情期を失った時に急速に老いて生きる役目を終える。動物の雌にとって発情期は、子孫を生す為に最も重要な本能なのだ。ところが、人類の雌(女性)は、発情期を失くしてより一層女性らしくあり続けられるように進化した。いや、発情期を失ったのではなく、常に発情期にありながらもそれを上手に制御出来るようになった。常に湧き上がる性欲を充たす為に避妊をも可能にした。どうしても性欲を抑え切れない場合、女性の方が解決する為の手段を豊富に持っている(ように思える)。

それはそれとして、どうして人類の女性達だけが発情の制御機能を働かす事が出来るようになったのか?その答えは、他の生物達に比べて圧倒的に巨大な脳と、その脳を収める為の頭蓋骨の大きさにあると言われている。

例えば、体重60kg程度の哺乳類の平均的な脳の大きさは約200㎤。ところが、250万年前に誕生した原人類の脳は、成人で約600㎤。現生人類の成人の脳は約1200~1400㎤もある。現生人類よりは旧人類のネアンデルタールの脳の方が大きかったという検証結果もあるが、兎も角、突然変異した霊長類ヒト科ヒトの脳は、それまでの哺乳類に比べて圧倒的に巨大化した。当然、胎児の脳もそれなりに大きい。そのように頭骨の大きい胎児を宿すようになったというのに、直立歩行を始めたおかげで、母なる女性達は大きな代償を払う羽目になった。

直立歩行を可能とする為に、腰回りを細める必要が生じたホモ・サピエンスは、他の動物に比べても特徴的な体型となった。しかし、それによって女性の産道は狭まってしまう。即ち、痛みや苦しみどころの話ではなく、女性は、出産と引き換えに命の危険に晒される事になった。ホモ・サピエンスの女性の産道では、他の動物達の赤ちゃんのように、出産後すぐに立ち上がれるような状態での出産は不可能となった。すると・・・
ホモ・サピエンス女性の母性本能は、先ず、自らの体型を変化させた。骨盤の形はふっくらと大きなお尻、いわゆる女性特有の”腰つき”になった。しかし、それだけでは命の危険は回避出来ない。胎児の脳と頭蓋骨がまだ十分には発達していない比較的小さく柔軟な状態時に出産するという、人間の赤ちゃん特有の誕生期(十月十日とつきとおか)が出来上がった。神様が起こした奇跡のようなものだが、それにより、人間の赤ちゃんは、生命の維持に必要な機能の多くが未発達な段階で生まれて来るようになった。仔馬は、誕生後間もなく駆け回る。子猫は(特に♂は)、生後数週間で母親の許を離れて単独で餌を探すようになる。それに比べてホモ・サピエンスの子どもは、何年にも渡り年長者を頼らねば生きていけない。食物を与えてもらい、危険から保護され、そして教育を受けないと自活に辿り着けない。

発情よりも子育て重視

本能だけに生きた猿人の子とは違い、恐れや喜びを余計に感じやすくなったホモ・サピエンスの子どもは、余計にいつまでも親を必要とした(特に母親を)。母親側も、我が子への授乳期の伸びと、授乳する喜びを覚えた事により、本能以上に女性特有の母性本能が現れる。

というような事で、突然変異で(その理由は分からない)脳が異常発達し、体型が変化し、思考も変わった。特に女性は、他の動物とは違って単なる雌では無くなり「女性オンナ」として確立された。
女性は、発情して交尾を求めることよりも我が子を守ろうとする行動が先に立つようになり、交尾が減った。交尾が減れば出産する子の数も減る。しかし、だからこそ余計に、生まれた子を大切に守ろうとする。それが母性愛を高め、母性愛をたっぷり受けたヒトは人類愛を身に着ける。当然ながら男性には父性愛が強く芽生え、パートナーの女性と我が子を守る意識がより高まった。男性が、男性としての自覚を増す事に対して女性は安心感を覚え、信頼して子育てに専念する。信頼される男性も「男性オトコ」として確立する。

「男性」と「女性」と「子ども」は「家族ファミリー」として結束する。家族は力となり、家族の力は社会の力となる。人間の社会(世界)は、社会の中に生きる各家族との信頼関係によって成り立っている。筈だったが・・・

発情制御による弊害

人間は、時に欲を我慢し切れなくなる。オスが決まった相手のみ求め、メスが決まった相手にのみに応じるということは確立していない。オスはメスを求め、求められたメスは時と場合により、求めて来た相手を気に入れば発情する。この動物本能が失われない限り、女性は、一人の男性で満足する事はない(逆も然り)。ごく稀に?生涯ただ一人を愛する者も登場するが、極めて特異な人、奇特な人だ。寧ろ、性的欲求を無理に抑え込む方が不健全である。しかし、ヒトは、不健全である事よりも、「人らしくある事」を求める。つまり、信頼とか信用とかいうホモ・サピエンスにしか思いつかなかった言葉とそれに基づく行動と我慢。

女性はより女性らしく、そして美しくなった。それにより男性は性欲を揺さぶられ続ける。ところが、「人間らしさ」を追求し過ぎたあまり、男も女も子づくりセックスに励み子孫繁栄させるという「野性的な本能」を失った。

12~3歳になれば大人への階段を登った昔と違い、現在は20歳になっても、下手すれば30歳、40歳になっても、親は子を子ども扱いし続ける。思考的に大人になりきれないから、いつまで経っても親になろうとしない。今のままでは「人間界」は危うい。そのうちに、次の新たなるヒト科が出現して、今の人間界は駆逐されていくのではなかろうか。そんな気がします。

今回も、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著、『サピエンス全史』を読んだ感想的に書いてみました。

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