人間最大の能力は「嘘」

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嘘は、ヒトの本能。

嘘から逃れることは出来ない

嘘を吐くことは毛嫌いされる。しかし、ホモ・サピエンス・サピエンスとして生まれ、「嘘を吐いたことがない」というヒトは大方いない。ホモ・サピエンス・サピエンスとしてこの世に生を受けた以上、”嘘を吐いてしまう能力”を保有することを避けられないし、保有した能力は間違いなく利用する。それは逃れることが出来ないヒトの本能。

ホモ・サピエンスは、嘘を事実に出来る

目の前にある物体、経験した事実、自分の目で実際に見た(錯覚は無視)、自分の耳で実際に聞いた(空耳そらみみは無視)、等々、”実際”にあること、実際にあったことに嘘はない。しかし、脳みそが異常に発達してしまい、何事も「考え」に即して動くような習性が身に着いてしまったホモ・サピエンス・サピエンスは、まだ起きていない、まだ何もない事を「事実」「現実」に出来る能力を持つに至った。つまり、空想して企画や計画に結びつけ、それを具現化する為に様々な設計を施し、製作(制作)に入り、試験を行い、完成させ、運用し、また修正し、「自分達で事実を作る」ことを可能とした。

つまり、一事が万事、嘘から出た真で成り立っているのがホモ・サピエンス・サピエンスが築いて来た文化・社会である。(移動性)狩猟・採集者であった時代から、考えが先に有っての行動を取って来た。工夫しながら前へ進み、工夫を間違えれば一歩でも二歩でも後退して考え直して違う道を取ったりする。猪突猛進ばかりではなく、常に考えた。考えながら進むから曲がりくねるが、曲げ具合さえも考えている。本来は何もない空間の中に橋を架け、ビルを伸ばし、飛行機を飛ばし、電波を飛ばし、ロケットを飛ばし、宇宙へさえ出た。ホモ・サピエンス・サピエンスさえいなければ、地球の姿は、もっと自然のまま、有りの儘だったのは間違いない。が、現代の恐竜に等しきホモ・サピエンス・サピエンスを滅ぼすことが出来るのも、恐竜を滅ぼしたと考えられる巨大隕石の衝突や超氷河期到来、或いは超熱波期到来しかないかもね。

ヒトの嘘を終わらせられるのは、ホモ・ヒューマノイドロス?

と思っていたら、(肉、野菜、水分を必要としない)ヒューマノイドによって乗っ取られる可能性が微かだが出て来た?ヒューマノイドに自分の脳を植え付け永久に生き続けようと本気で考え始めた人達がいる以上、可能性はゼロではない。が、ヒューマノイドは”人類”ではない。ホモ・ヒューマノイドロスなんていう名を冠することはないだろうし、未来はどうなるのだろうね。 未来はどうなるか以前に、ホモ・サピエンス・サピエンスが語り継いできた神話、伝説、そして事実と思しき「歴史」にも、事実以上の尾ひれがついている。その話を共有し合っている時点で、全ての人間は嘘(虚構)に加担している。 また話が突飛な方へ向かってしまったけれど・・・

嘘吐きと正直者・・・だれがそれを決めるのか?

ホモ・サピエンス(サピエンス・イダルトゥとサピエンス・サピエンス)以外のヒト達(ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・デニソワその他)も、ヒト以外の動物も、鳥も、イルカやシャチその他多くの生物も、情報を伝達する手段として何らかの言語(言葉/鳴声等)を用いている。ヒト以外の生物が、言葉(鳴声)の中に、どのような意味(情報)を含めているのかはハッキリとは分かっていない。動物や鳥や海洋生物、昆虫、その他が、仲間と情報共有して「会話」をしているかもしれない。庭で寝そべっている可愛い猫や、競走馬と言葉が通じ合えたら面白いけど、猫や馬が嘘吐く能力に長けていたら困るね。特に競走馬。「今日は勝ちます!絶好調です!」とか、「今日は調子悪い。無理だねェ」とか言ってもらっても、嘘吐きだと恐くて馬券が買えないでしょう。但し・・・

調教師も競走馬を指して「調子いいよ」とか「調子悪いよ」って言うからね。調教師は、嘘を吐いたわけではない。が、調子が良くても負けるし、調子が悪くても勝つ。結果だけで、「正直者」とか「嘘吐き」とは言えない。調教師を嘘吐きだと評価すること自体が嘘である。

大嘘吐き人間よりも始末が悪い人間とは?

ヒト社会には、自分以外のヒトが何かを成すこと、成そうとすることを異常な程に妬み、嫉み、貶す事で日常のうっぷん晴らしをするヒトが実際に存在する。自分以外のヒトが目的や希望の言葉を発すると「大言壮語」だと決め付け、結果を成しても「運が良かっただけ」としか言えないような性根が腐ったヒトにだけはなりたくないものだ。が、得てして自分では何も行動しない、先導役になどなろうとしないそういう否定人間は、意外と、大嘘吐きではないのかもしれない。ただ、周囲に対して嫌がらせをして愉しんでいる、誰からも好かれないし、付き合っても一銭の徳にもならない人間というだけのこと。このようなヒトには、どんな情報を与えても信じないし、本当に危機的状況が起きた時には、余計に逃げ遅れて、周囲に面倒をかけそうなのだが・・・

ヒト・コミュニケーション本能

ホモ・サピエンス・サピエンスの言葉には、短い単語一つの中にも、多くの情報が含まれる。その言葉やイントネーションがどういう状況(意味)を指示してさししめしているのかを察知する能力は、常日頃から、出来るだけ多くの人と意見交換(つまり会話)していく中でしか高められない。しかし、それは本来、誰でも普通に得られるし、高められる能力だった。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、『サピエンス全史』中に、次の一文を書いている。

(引用=>)「人間が子供を育てるには、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した。」(<=引用終わり)

核家族化が当たり前の現代社会とは違い、本来の人間社会は、親族、一族、部族がひとかたまりで生活圏を成していた。子どもの頃から、同世代、次世代、先世代、先々世代・・・の人達と接するのが当たり前の事として育っていた私たち現生人類は、逆に捉えれば、接する人が少ない社会では本来のコミュニケーション能力や危険察知能力、危機回避能力、他を花開かせることが出来ない。当たっていないかもしれないが、大家族があり、隣組との付き合いが深かった頃の日本社会に育った世代に対して、付き合いが希薄になった日本社会に育った世代は、生きようとする為の工夫力が弱くなったのではないか?と思う。学力に基づく知識力や、インターネット等々を駆使出来る情報収集能力に関しては、昔よりは今の世代の方が遥かに秀でているし、知識層の厚みが断然違う。そして何よりも外国が身近になったことで、異国人に対する怯えもかなり薄くなった。国際結婚も当たり前のように起きている。でも、どのように表現すれば伝わるか分からないけれど、「助けられる能力」「好かれる能力」(そのようなものを能力と呼べるかどうかは疑問だが)のような、ヒト・コミュニケーション本能に於いて、大きく劣っている割合が増えているように感じる。育った世帯環境、隣近所環境等々の格差(経済力だけでは埋められない格差)が生じていて、しかも、先述したように、性根が腐っているとしか思えないような(救いたくもない)ヒトに育つ割合が増えている。この何とも言いようのない澱んだ感じが災いし、全体経済力はまだどうにか上位にあっても、国家・国民としての力強さが見えず、寧ろ、劣化していく国家・国民のように映っている。

また話が大きくズレたけど・・・

ヒト・コミュニケーション力の発達は、言葉を短くした?

言葉で情報を伝達する時、たった一つであった筈の情報がホモ・サピエンス・サピエンスでは六つにも七つにも情報が変化する(ホモ・サピエンス・イダルトゥがどうだったかは知る術を持っていない。なので此処から先は、ホモ・サピエンスとだけ書きます)。

例えば、サバンナでライオンと遭遇した時「気をつけろ!ライオンだ」と同じような言葉を旧人類も新人類(ホモ・サピエンス)も仲間へ伝え合う。が、その言葉の中身を想像比較すると・・・
●旧人類の「気をつけろ!ライオンだ」は、単純に「危険な相手だ!」という意味で、殺せ!生け捕れ!逃げろ!隠れろ!という言葉程度は含まれる。だが、「気を付けろ」だけでは、こちらが意図するところを分かってくれないので、恐らく、「殺そうぜ!」「逃げようぜ!」「隠れようぜ!」などの付帯言葉を必要とするなど、会話の言葉が自然と長くなる。

ホモ・サピエンスも同様に・・・
●事前にコミュニケーションを高め合っている新人類の「気をつけろ!ライオンだ」には、言葉の抑揚やそれに伴う仕草によって「気付かれずに去ろう(或いは隠れよう)」「気付かれずに殺そう(或いは生け捕ろう)」「気付かれたら逃げよう」「気付かれたら殺そう」等々の意味を感じ合うことが可能となった。つまり、イントネーション(抑揚)で言葉の真意を感じ合う事が出来るように、ヒト・コミュニケーション本能のようなものが発達した。だから、短い言葉であってもこちらの意図を汲み取ってもらう事が可能になった。その事は、現代日本の少年少女達が、次々と、ワンフレーズの新語を生み出し、その新語で会話し合えることに通じ合う。但し、彼ら彼女らは、その新語を大人達と共有することを自ら嫌い、公用語化は出来ないが。

天敵を天敵じゃ無くす、擬人化能力を持ったサピエンス

ライオン話を続けると、ホモ・サピエンスの「気を付けろ!ライオンだ」の言葉には、ライオンが敵じゃないからこそ「刺激するな」という意味も含まれるようになった。「それは殺してはならない。何故なら、ライオンはわが部族の守護神であるからだ」という意味や「希少な価値がある。捕まえろ」という意味も付け足された。認知革命によって誕生した宗教の中には、ライオンを守護神として崇拝した部族が確かにいる。が、ライオンに気をつけるのは、本来は、身の危険を感じてのこと。まさか、ライオンを敬うヒト種が登場して来るなど、他のヒト達や動物達には思いも寄らなかったことでしょう。ライオンを守護神とするべき何らかの事象が伝説化されて、それが宗教的なものへ繋がったのでしょうけど、ライオン自身が驚いている事でしょう。
象牙彫りのライオン人間(ライオンの被りものを着た人)の像がドイツのシュターデル洞窟で発見されています。それは推定約3万2千年前のものですが、その頃のドイツにライオンが生息していたのかどうかは分かりませんが、明らかに、ライオンを守護神とした宗教は存在していた。だからそれは「像」として彫られた。が・・・
ライオンを守護神として信じた者達もいれば、ライオンは危険な動物以外の何物でもないとする者達もいる。前者は、ライオンは守護神という「噂」を信じ、後者は「噂」を流した者達を嘘吐き呼ばわりする。今の世の中、ライオンを守護神として信じている者はほんの少数派でしょうから、多分、認知革命期のヒト達は、ライオン人間の格好をする人たちときっと争った。そして、ライオン人間側は負けた。

宗教

ナザレのイエスが処女受胎したとか、そんな大嘘を誰も信じてはいなかっただろうけど、イエスとその一味が始めた何やら胡散臭い信仰話は今世紀現在、世界で最も多くの信者を持つキリスト教の素地となった。”ライオン人間教”は多数派工作に失敗したが、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教、仏教、ユダヤ教・・・などは、多くの信者を持っている。何らかの「現象」に尾ひれがつけられ宗教と化した。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、『サピエンス全史』の中で、(引用開始=>)現実には存在しないものについて語り、『鏡の国のアリス』ではないけれど、ありえないことを朝食前に六つも信じられるのはホモ・サピエンスだけであるという点には、比較的容易に同意をもらえるだろう。(<=引用終わり)と述べていますが、全く問題なく同意します。

ホモ・サピエンスは、嘘を吐く、虚構を築く、そういう能力を手に入れてしまったことにより、全く見ず知らずの者と(一生顔を合わすことも、言葉を交わすこともない相手であっても)何かを成すことが出来るようになった。選挙などはその最たる証。例えば、東京で生まれ育った誰かを、福岡県の人間が然も知っている相手であるかのように選挙で一票を投じ支援する。どんなに腹黒い人間か、逆に、どんなに優れた人間か、そんなことはどうでもいいかのように「噂」だけで政治を託すことが出来る。そんなことは、ホモ・サピエンス以前のホモ(ヒト)属の誰かたちは絶対に行わなかったであろう。知りもしない相手(男か、女か、何歳か、どんな生活者か・・・)にメール出来るようなそんな戯けたことが出来るのもホモ・サピエンスならではです。それの何処が「賢い」ヒトなのか・・・
まァ、これほど面白おかしい動物は地球上に今までいなかったことだから、ホモ・サピエンスの何万年かの歴史を見ている地球外生命体がいたら、腹を抱えて笑っているのでしょう。人間は、だから面白い。

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