ヒトと社会

ALLジャンルエッセイ

認知革命

認知革命とは?

ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、代表的著書『サピエンス全史』の中で、今から約7万年前頃から約3万年前頃にかけてホモ・サピエンスが手に入れた新しい思考と意思疎通の方法を「知恵の木の突然変異」と表現した。不肖私はキリスト教徒でもなんでもないので、アダムとイヴが齧ったリンゴの実が”知恵の木”に生っていたとかいう話には一切興味はない。が、他の人類ではなくホモ・サピエンスだけに知恵の突然変異が起きたという説には賛同する。

この頃のホモ(ヒト)属ヒト科には、旧人類(ホモ・ネアンデルターレンシス/ホモ・デニソワ)と新人類(ホモ・サピエンス)があり、旧人類と新人類は地球上に共存していた。が、上述のように突然変異の大進化を果たせたのはホモ・サピエンスだけだった。

ネアンデルタール人やデニソワ人やその他の旧人類をどれほど持ち上げたところで、地球の覇者として生き残った人類はサピエンスだ。ネアンデルタール人やデニソワ人には芽生えなかった知恵が湧いたことを疑う余地はない。ネアンデルターレンシス他にも同様の進化が起きていたら、特に、サピエンスよりも(体格的に)大型の人類だったネアンデルターレンシスにサピエンス同様の知恵が付いていたら、小型人類のサピエンスは駆逐されていた筈である。
約7万年前。それが約7万5千年前だとするならば、まだピテカントロプス・エレクトゥスなどの原人類も生活圏を持っていたかもしれない。原人類や旧人類と一対一の決闘をしたならば、サピエンスはあっけなく倒されたかもしれない。しかし、サピエンスは、強者に対抗する術(手段)を豊富に持ち、仲間との連帯意識を高める”情報共有力”を駆使して、身体的能力だけなら数段上であったろう他人類を圧倒してしまった。

原人類から”完全に”生活圏を奪い、旧人類を追い詰めて行ったサピエンスは、この世(地球)の人類の覇者となる。しかし残念ながら、動物園がない時代に、原人類や旧人類を保護することは出来なかった。サピエンス以外の人類は、僅かな化石人骨として生きた足跡を匂わせるのみに留まっている。

兎に角、何故か人類唯一の大進化を遂げたサピエンスは、この期間(約7万年前から約3万年前)に、舟、ランプ、弓矢、針(裁縫には欠かせない)などを発明する。それらを進化・応用して日常生活を激変させたり、生活圏を拡張させていく。宗教や交易、社会的階層化の最初の段階へ足を踏み入れたのもこの時期だと言われる。

現代人は、突然変異を起こしたご先祖様方に大いに感謝しなければならない。という事はさて置いて、この劇的な進化を、現代社会は「認知革命」と名付けた(1950年代に出来た言葉)。

現代高齢化社会を大きく悩ませている「認知症」。そのおかげで認知という言葉自体はしょっちゅう耳に入って来る。しかし、”認知”という言葉が何を意味するのか簡潔に述べよ、と言われた場合、即座に答えられる人ばかりではないのでは?

この認知という言葉は、心理学用語で、「何かを認識・理解する心の働きを指す場合と、その結果を指す場合と、或いはそうした認識を可能にする能力、構造、機構を指す場合などに用いられる語。」とのこと。ようするに、「自分が視たものが何であるかを知っていること(知ること)」が認知。そして、革命というくらいですから、それまでは知らなかったことを次から次へ知っていった。つまり、知識の拡大が物凄い速度で起こって行った。それを”情報共有”する「サピエンスの社会」が地球上に幾つ箇所も出来上がって行った時代が、今から約7万年前(若しくは7万5千年前)辺りに始まったという認識で良いのでしょう。

因みに、フリー百科事典の”Wikipedia”には、認知科学と呼ばれる諸学問、いわゆる知的運動の総称が認知革命だと、簡潔に書いてあります。
心理学ー認知心理学ー進化心理学ー文化心理学
人工知能ーニューラルネットーコネクショニズムー計算機科学
言語学ー心理言語学ー生成文法ー認知言語学
神経科学ー認知神経科学ー脳科学
哲学ー心の哲学ー認知論

今から7万年も前に始まった事なのに、その言葉(認知革命)自体は1950年代に使われ始めた。これこそが正に歴史。歴史は、未来へ向かうほどに(科学の進化によって)過去を明るみにします。

オーストラリア発見

驚きの認知革命を起こしたホモ・サピエンスは、今から約4万5千年前辺りに、ホモ(ヒト)属としては初めてオーストラリア大陸へ進出した。それまでの人類の如何なる種も、其処(オーストラリア大陸)へ到達していない事は明らからしい。

7万年前に認知革命が始まって、4万5千年前まで、何と2万5千年もの時が必要だった。東アフリカから(戦いの)旅を始めたサピエンスは、レヴァントを根城にしていたネアンデルタールを駆逐した。が、海を越えるという作業を成すには幾千世代を必要としたわけです。最後の戦いの相手は、ホモ・フローレスや、ホモ・ソロエンシスでしたでしょうけど、インドネシア(ジャワ島含む)を手に入れても、オーストラリアという場所は途方もない先だった。

そもそも、海の先にそのような大陸があって、其処へ向かわねばならない理由などサピエンスは持っていなかった筈だが、彼らは海を越えるという「大冒険」に数万年かけて勝利した。オーストラリアという言葉は勿論なかったし、そこが、「大陸」と呼べるほどの広大な場所だった事すら想像もしていなかった。が、想像もしていなかった場所に一度足を踏み入れた時、サピエンスは更に進化したのでしょう。

でも、以上のような書き方で本当に正しいのだろうか?確かに、ジャワ島を経由して、バリ島、ロンボク島、スンバワ島、コモド島、フロレス島、ロンブレン島、ティモール島という具合に進んで行った場合、ティモール海を渡ってオーストラリアへの航海は数百キロあって厳しそうだ。しかし・・・
ボルネオ島、セレベス島、バンガイ諸島、スラ諸島、サナナ島、(此処から約百キロには相当苦労しただろうけど)ブル島、マニバ諸島、セラム島、そして、ニューギニア島まで行ってしまえば、モア島経由でオーストラリア大陸のヨーク岬へと渡った。こっちの方が現実的でしょう。海を渡る苦労よりは、パプアニューギニアまでも各島々に何かとんでもない化け物達がいて、それらとの戦いを制しながら進むのに数万年要したと考えるべきかもしれない。当然、人類未踏の地であるオーストラリア大陸にもとんでもない”大物”達が大勢いたでしょうけど。

ボルネオ島からフィリピン方面へ向かった”チーム”もあったでしょうし、ルソン島からバブヤン諸島、バタン諸島などを経て台湾へ辿り着いた人達もいた?いるかな?ルソン島からバブヤン諸島への冒険くらいはしたでしょうけど、飲み水や食糧確保が絶対的に厳しいと思われるので、このルートでの台湾島到達は無いと思います。ハラリ氏はそれがあると思っているようですけど、海水は飲料水にはならないし、魚を釣っての旅というのも非現実的。今でこそ地図があってルソン島から北へ向えば台湾があると分かるけど、数万年前の人類には分からない。其処へ行こうとする理由が見当たらない。しかし、中国本土側から台湾島への到達という事なら何となく理解出来る。

サピエンスの社会

ホモ・ネアンデルターレンシスやホモ・デニソワも言語を持っていたし集団生活圏を持っていた。ですが、ホモ・サピエンスはそれまでの人類が持っていなかったような様々な社会を作り始めた。

家族、親族、一族、部族、民族、集落、村、男社会、女社会、敵、味方、・・・。色んな社会を各地に作って、別の社会とコミュニケーションを図るか、或いは、敵対するかした。それもまた「思考」の進化を呼んだのでしょう。「社会」という言葉を好もうが好むまいが、サピエンスは、何万年も前から、社会という集団を持ち進化を遂げた。社会という集団を持たねばこのような進化は無きに等しい。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏著の『サピエンス全史』には、下記のようなことが書いてあります。
===以下、『サピエンス全史』より引用===
ホモ・サピエンスは本来、社会的な動物であるという。私たちにとって社会的な協力は、生存と繁殖のカギを握っている。個々の人間がライオンやパイソンの居場所を知っているだけでは十分ではない。自分の集団の中で、誰が誰を憎んでいるか、誰が誰と寝ているか、誰が正直か、誰がずるをするかを知ることのほうが、はるかに重要なのだ。
===以上、引用終わり===

つまりヒトは、腹が減っていることより、危険を察知することより、誰が志を同じくし、誰が信用出来て誰が信用出来ないか、など、他人のことを気にする習性になった。そして、他人からどのように見られているかを気にするようにもなった。
一人(個人)やほんの少人数で生きられる間、ヒトはヒトのままであった。しかし、(漢字のように言い表せば)ヒトはヒトの間に生きるようになった。そしてヒトは、人と人の間に生きる「人間(ニンゲン)」に成った。人間に成ったヒトは、自分の周囲のヒトの知恵や生き方を学ぶ(利用する)真似をすること、真似をしないこと(反教訓にすること)などを覚えて更なる進化をする。要するに、社会こそがヒトにとって「生きる糧」なのだ。それを無碍に出来る反社会的なヒトが真っ当なヒトからは嫌われるのは必然的なこと。

・・・それにしても、漢字ってよく出来ているな。そういう部分では中国人を尊敬出来るのに。

コメント