冷笑する指導者が大嫌い

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紀元前6世紀辺りのシチリア島に始まったと言われているレトリック(修辞学、弁論術)。特にシチリアでなくても世界中の何処にでも雄弁な人はいた筈だ。

言葉を巧みに操る見事さを修練し、例えば演説に活かす。弁が立つほど上に立てる。言葉で人を言い負かす、その技術を手に入れたい。そのような思いを強く持つのは、政治家や弁護士や教職者や聖職者や軍人や経営者や、兎に角、人の上に立ちたい人たちだろう。人の上に立ちたいのなら、先ずは言葉遣いを覚えろ、言葉遣いを教えてやるから金払え、逆に言えば、言葉遣いを教える技術が金に生る。それに気付き、学問として体系化した最初の人たちがシチリアに暮らしていた人たちだった。

シチリア以外の何処にだって、話術に長けた人達はいたに決まっている。然りながら、話術が、教育として金に生ることには気付かなかったし、そもそも、お金を払って勉強するという教育システムの中に「話術」を入れるという発想はなかなか思いつかない気がする。”喋りが金に生る”?なるほどね。そして現代では、ブログその他で”喋るように書く”それを読ませることで金が生る。なるほどね。ブロガーとして少しでも稼いでいる人たちは古代のシチリアに感謝ですね。不肖私は、多分お喋りですが、無駄なお喋りばかりで稼げません(苦笑)

さて、シチリアに生まれ育ったゴルギアス(紀元前483年~紀元前376年)が、レトリックの原型をギリシアのアッティカへ持ち込んだ。そしたら忽ち「そうか、喋りが金に生るのか!」と得心したアッティカに近いアテナイのお喋り好きさん達を中心にレトリックは飛躍的に発展して、更に哲学が絡む。

哲学とは、単純に言えば「知を愛する学問」ですけど、知識欲が学問として金に生る。これに気付いたのはもっと古くから発展した文化圏(例えばシュメールやエジプト)だったでしょうけど、レトリックと哲学を融合させた古代ギリシアで、更に両方の学問(修辞学と哲学)は完全に『金の生る木』として聳え立った。

ゴルギアスは、初期のソフィスト(金を受け取って学問を教える人達。主に、修辞学者や哲学者を指す)の中でも最も有名な一人になった。
「机上の空論」という言葉と共に、討論最中によく耳にするのが「詭弁に過ぎない!」という言葉。”詭弁”とは、たとえ間違っていても論述によって言い包めてしまおうということで、正に、レトリックの革新こそが詭弁を生んだ。だからゴルギアスは、「詭弁の父」という有り難くもない称され方もする。

ゴルギアスがいなければ修辞学の発展は無かったかのように言う人もいるでしょうけど、ゴルギアスがいなければ別の誰かが学祖となっただけでしょう。人や社会にとって必要なものは、誰かが必ず気付いて始まる。そういうものですから、特定の個人を高く見積もる過ぎることはない。ソクラテスやプラトンやアリストテレスにしても、この方々が哲学の開花に手を貸すことが出来なかったとしても、きっと誰かによって哲学は発展した。

古代ギリシアの哲学者アンティステネス(紀元前455年頃~紀元前366年)は、アテナイの市街地から約12キロほど離れた海辺の集落ピレウスに生まれ育ち、当時のソフィストに修辞学などを学んだ。このアンティステネスが学んだ相手というのがゴルギアスのようです。高額授業料を要求していたと噂されるゴルギアスに学べたという事は、アンティステネスはけっして極貧ではなかった。しかし、優れた教養者は清貧こそ重んじるべきという考えを持ったアンティステネスは、家では上半身裸、外出時には袖なしの外套のみを纏うようになる。いわゆる風雅人とは真逆の雰囲気を好むアンティステネスは、或る時、ソクラテス(紀元前469年頃生まれ)の噂を耳にする。

ソクラテスは、自称「哲学者でも何でもないただの人」だったが、ペロポネソス戦争で複数の戦線に従軍した体験が彼を変えたのか、”哲学を語る一般人”として突然変異した。哲学界の重鎮(ゴルギアスも含む)たちはこぞって「素人如きが」と言い負かそうとしたけれど、ソクラテスは、最強の力「無知の知」で言論武装し尽く論破して見せた。すると、修辞学や哲学の”卵”たちはこぞってソクラテスに憧れるようになり、(ソクラテスは)あっという間にアテナイのスーパースターと化した。アンティステネスは、自分が師事した先生(ゴルギアス)を弁論で負かした相手に、是非、話を聞いてみたいと望み、毎日片道約3時間以上を歩きアテナイのソクラテスの下に通い詰めた。

清貧な格好に、当時の哲学者の象徴とも言えるずだ袋を持ち、杖を突きゞ歩くアンティステネスの噂が巷に広がると、その姿を真似る貧しいながらも哲学者に憧れる人達が後に続くようになり、ソクラテスはその行列に苦笑した。更にアンティステネスに対し次のような言葉で苦言を呈した。「アンティステネスよ、悪いが私には、君が纏っている外套の隙間から、君の自惚れが見えてしまう」(=飾らない、普段の姿でおいでなさい)。

それ以降、アンティステネスとソクラテスの関係がどのようになったのかは分からないが、アンティステネスもプラトンらと同様に、ソクラテスに教えを受けた者である(つまり弟子)と自称した。が、アンティステネスは独自の世界観を持ち、キュニコス派の開祖となった。

キュニコス派とは『冷笑主義シニシズム(Cynicism))』を標榜する学派。冷笑主義者とは、まぁ早い話、何に対しても(対社会や対人や対物・・・)皮肉ばかりしか返さない、或いは、何の興味もないとばかりに傍観している、とーってもイヤな態度の人間達。

禁欲生活に嵌まった人は、アンティステネス以前にも数多存在したでしょう。けれども、度を越えた禁欲によって他人との協調性に著しく欠け、皆と何かを成すことにも一切無関心となり、ひたすら「徳」の探求に励むことを哲学的に提唱したのはこの人が最初ということだ。

ソクラテスはけっしてそのような人ではなかったし、寧ろ、社会や人に対して熱量の高い人だった。ソクラテスが冷笑主義者でなかったことは、「キュニコス学派の祖」と位置付けられている人がアンティステネスであることにより明白である。弟子が先生よりも先ってことは無いですからね。

プラトンも冷めている人ではなかった。でも、アンティステネスは冷めた。ソクラテスの教えに傾倒し過ぎた所為なのか、他人の考えを否定することの度が過ぎた。自分自身も自分以外の全てに対しても極めて冷ややかに見るようになり、静かなる「徳」こそが唯一の善であって、総ての幸福は欲望から自由になることによってのみ達せられると説いた。つまり、禁欲による不自由さこそが人間を究極の幸福へ導く?ということだろうか。

やがては、既定の学問、既存の芸術、贅沢、快楽を欲すことなどを尽く軽蔑したアンティステネスは、反文化的且つ禁欲的生活の優位性を唱えることになる。この考え方も「有りだね」と認めた人たちは、それまで多くの人が共有して来た社会道徳や伝統や慣例などを無視、或いは否定して、万事に対し冷笑的振舞いを示すようになった。まあ、日本に於ける妙ちくりんな反日・反国家の偉ぶった左翼評論家たちの態度にも通ずるものと思うけど、哲学界は、そういう不遜な態度でいることさえもご立派な学派にしてしまう。
しかし、ハッキリしているのは、シニシズムの者たちの言動に頷く者は、いつの世でも極めて少数派に過ぎない。多くの人たちは「笑って過ごせる日常」こそを求めているのだから、しかめっ面で否定的な事ばかりを言う人間たちを強く支持する道理がない。つまり、シニシズムのような人間たちが社会のトップに立つことは絶対に無い!と断言出来る。否、不肖私の断言などはよく外れるけれど、こればかりは当って欲しいものです。

事物に対して冷めた態度でいることを奨励した。宗教を否定し、風俗を嫌い、住居も衣服も食事も最低限で質素であることを良とし、挙句の果てには社会ルールさえも無用とした。兎に角、自分の思うまま、自然のままであることこそが尤も人間らしく生きられると提唱する。これって、「禁欲生活しましょう」に等しいけれど、禁欲は人間らしさになりますか?人間は欲深い生き物であり、宗教を欲し、風俗を好むし、良い家、良い服、美味しい料理を欲しがる。その為に(仕事や学問を)頑張るものです。

冷笑主義者は、神も仏も否定し己の信じる徳のみを求道する。故に、死後の世界なども冷笑主義者は否定する。ソクラテスは、死刑確定時に下記のように弟子(プラトン他)に語ったとされる。
死後のことを知っている者など誰もいないが、人々はそれ(=死後の世界の否定)を最大の悪であると難じる。しかし、それ(=難じる行為)こそが自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると言うような妄信もしない。
この事により、当時のギリシア・ピタゴラス教団などで流行っていた輪廻転生説をやんわりと否定し、ピタゴラス教に嵌っていたプラトンらを諭したとも云われる。故に、ソクラテスは神話否定者=冷笑主義者の元祖と思われるかもしれないが、ソクラテスは、死後の世界に期待もしていたからこそ、最期はそれ(死後の世界=究極の無知)を知るために理不尽な極刑を甘んじて受けた。

『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏も以下のように書いている。
===以下、引用===
冷笑家は帝国を建設せず、想像上の秩序は人口の相当部分(それも、とくにエリート層や治安部隊の相当部分)が心からそれを信じているときにだけしか維持できない。キリスト教は、司教や聖職者の大半がキリストの存在を信じられなかったら、2000年も続かなかっただろう。アメリカの民主主義は、大統領と連邦議会議員の大半が人権の存在を信じられなかったら、250年も持続しなかっただろう。近代の経済体制は、投資家と銀行家の大半が資本主義の存在を信じられなかったら、一日ももたなかっただろう。

キリスト教や民主主義、資本主義といった想像上の秩序の存在を人々に信じさせるにはどうしたらいいのか?まず、その秩序が想像上のものだとは、けっして認めてはならない。社会を維持している秩序は、偉大な神々あるいは自然の法則によって生み出された客観的実体であると、つねに主張する。人々が同等ではないのは、ハンムラビがそう言ったからではなく、エンリルとマルドゥクがそう定めたからだ。人々が平等なのは、トマス・ジェファーソンがそう言ったからではなく、神がそのように人々を創造したからだ。自由市場が最善の経済制度なのは、アダム・スミスがそう言ったからではなく、それが不変の自然法則だからだ。
===以上、引用終わり===

神も仏も信じない、禁欲でしか徳は得られない、伝統も習慣も学も芸も捨てて「新たな境地」へ・・・などとしかめっ面で云う者達に民衆が靡くわけがない。しかし、底知れない大欲を隠すために笑っているばかりの者に対しても民衆は訝しがる。民衆を従わすには「大義名分」が必要で、大義名分を言い表すには「神」「自然」「法則」などを上手に登場させなければならないし、指導者は、神や自然や法に対して第一の理解者であることも必要。間違った宗教や正さなければならない法を知るには、間違いに対する「理解」も必要だから。それは、冷笑主義者ではとても真似出来ない業であり、冷笑して否定するばかりの者の前には、ピラミッドの頂点に導く階段など用意されない。
しかし、だからと言って冷笑主義者の存在を「何の力もない詭弁者」と看過しているばかりでは危険。弁が立つ人間の存在こそが人々を苛立たせて要らざる対立を煽り戦争を引き起こす。口は禍の元というのは歴史の中で数多繰り返されて来たからね。

ダラダラと書いたけど、以上のようなことよりも何よりも、不肖私の身近に、凄く冷ややかで、且つ、物凄く激しく他人を言い負かそうとする経営者がいるが・・・物凄く苦手な存在である(苦笑)ただそれだけが言いたくて、でも今回もまたダラダラと余計なことも書いてしまったのである。終わり。

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