“らしさ”を求める人は少なくない。「自分らしく生きる」「貴方らしく生きて欲しい」「日本人らしく」等々、多くの人が多くの場面でその言葉を用いる。
“らしさ”というのは逃げ込みやすい場所なのでしょう。だからその言葉を用いる事で皆が安堵する。「成功」すれば”らしさ”の追求の賜物のように言い、「失敗」しても”らしさ”の結果なので仕方ないと言う。
“らしさ”に秩序やルールは関係ない。『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏はっ次のように言う。
===以下、『サピエンス全史』より引用===
たいていの人は、自分たちの生活を支配している秩序が想像上のものであることを受け容れたがらないが、実際には、誰もがすでに存在している想像上の秩序の中へと生まれてきて、その人の欲望は誕生時から、その秩序の中で支配的な神話によって形作られる。したがって、私たちの個人的欲望は、想像上の秩序にとって最も重要な砦となる。
===以上、引用終わり===
自分らしくは、それで責任を果たせる人にのみ許される
「自らの心に従うように」という言葉。この言葉通りに行動したら多くの人が犯罪者となる。今、腹が減っているけど金が無い。今、セックスしたいが恋人がいない。今、・・・。心が欲するままに何かを求めるなら盗むし犯すし・・・。
しかし、犯罪者にならない人も「自らの心に従う」からこそ自制する。つまり、心の中で想像上の秩序という超難解なプログラミングをいとも簡単に”組める”人は、そう簡単に犯罪に手を染めることは無いということ。”自分らしく”生きることを許されるには、少なくとも、想像上の秩序をプログラミングされた心の持ち主であること。それが出来ない人にまで「自分らしく」生きられては社会秩序が成り立たない。
ロマン主義、国民主義、資本主義、人間至上主義など色んな(生き方の)主義があるけれど、日本は、自由民主主義の旗印を掲げていて、殆どの主義主張を認めている。だから、「自分の心に従う」人々同士が対立するのは当たり前。ただね、あまりにも我慢し過ぎて生きていたら心が壊れる。だから”らしさ”という逃げ場が必要とされる。自分的には、「自分らしく」なんていう言葉を使った記憶が無いけれど、そういう言葉を時折口にしないと心が壊れる人が、日本には大勢いるのでしょうね。
「自分らしく」と「ありのままの自分」
ところで、「自分らしく」に似た言葉として「ありのままの自分」という言葉があります。
「自分らしく」にはどちらかと言えば”そうありたい”という願望の含まれる余地があり、「ありのままの自分」には文字通り”全てありのまま”だから何の余地も飾りもない。なので、「生きる」を付け足す場合、「自分らしく生きる」は有りだと思うけど、「ありのままの自分で生きる」は無いと思う。
「ありのままの自分」は今を見せる(晒け出す)みたいな表現には似合いの言葉だと思う。そして、「ありのままの自分」の今を見せられる人は素敵な人だと思う。普通、何か着飾りたいだろうし、虚飾(化粧)したいだろうし、なかなかどうして「ありのまま」は見せられない。だから、「ありのまま」を見せ合える相手に出会える人は超ラッキーだと思う。何の重みもなく相手に身を委ねられるし相手の身も受け取れる。そういう人達って、やっぱ理想の恋人同士だったり理想の夫婦って事なんだろうね。
人類最強の人は、「自分らしく」生きられて、(いつだって)「ありのままの自分」を見せられる人だと思います。が、そういう人は意外と多いのかもしれないし、そういう生き方が出来ている人ならば、自分を他人と比較することなく自分を見失わずに生きられていると思います。残念ながら、今だにそういう人に出会えたことがない。
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