アフリカ・アラビア周辺史

東欧史

ヴァンダル(1)

スラヴ系国家ポーランドは、ピャスト朝として建国された。その国家の始まりからポーランドを支えた民がヴァンダル人である。 ヴァンダル人は、その昔シレジアに在って、シリンジィ・ヴァンダルとも呼ばれた。やがて彼らは西ローマ帝国を滅亡へと追い込む。
アフリカ史

ラグビーの歴史アレコレ(11)~人種差別問題を乗り越えたスプリングボクス~END

俺たちは、今やラグビー・チーム以上の存在だ。全てのこと(習慣の違い、肌の違い、先祖の国の違い、宗教の違い、生活環境の違い、何もかも)に慣れないとこの瞬間には出会えなかった。 南アフリカはきっと変わる。 俺たちも変わる。変わらないとならない。
アフリカ史

リーキーとアフリカ

ケニア・キクユ族の生活圏に生まれ育ったルイス・リーキーは、イギリス人でありながら、キクユ族の子どものように育った。 ケンブリッジ大学へ進学後、ケニアの現地事情に明るいことを理由に発掘調査団の一員に選ばれる。この経験が、彼を、人類学へ導いた。
アフリカ史

ケニア独立運動史~光と影~

「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった。」 初代ケニア大統領ケニヤッタの名言。
西アジア史

「水」と「情報」の価値を知るユダヤ人

イスラエルは、水の為、情報の為なら命をかける。 「水」と「情報」。この二つの価値を世界で最も知るイスラエルは、この二つを駆使してパレスチナを抹殺しようとしている。 「水」も「情報」も無料で手に入れる日本人は、無料の恐さを知ろうともしない。
アフリカ史

南アフリカの1989年

激動の年、1989年。そのクライマックスはベルリンの壁崩壊、そしてビロード革命。 しかし、南アフリカの12月は別の出来事で沸き返った。それが、"囚人"ネルソン・マンデラとデクラーク大統領の接見。 やがて二人は、ノーベル平和賞を共に受賞する。
西アジア史

パルミラの女王ゼノビアと帝政ローマの戦い(4)~パルミラの落日とローマの貴婦人~

手錠と鎖で繋がれた美麗女王ゼノビアの敗北とパルミラの落日。 ローマと共に歩んでいたなら、パルミラは恐らく世界を変えた。 パルミラこそが第二のローマ、或いは新ローマになれたであろう。そして女性史は大きく変わり、女性の地位問題なども無かった。
西アジア史

パルミラの女王ゼノビアと帝政ローマの戦い(3)~ゼノビアの大敗北とアンティオキア~

ゼノビアは、稀に見る女君主だった。それは疑う余地はない。 しかし、勝ち過ぎた事で、聡明且つ冷静で感情に流される事の無かったゼノビアでさえ、自身と自国を過信した。 パルミラこそが東方帝国、自分こそが東方皇帝と、ローマ帝国を過小評価してしまう。
西アジア史

パルミラの女王ゼノビアと帝政ローマの戦い(2)~王妃から女王へ~

砂漠の薔薇。ゼノビアは、夫亡き後に、自ら女王としてパルミラに君臨する。 遂に、敬愛する"祖先"クレオパトラの国エジプトも統治下に置いた。 ギボン曰く、「女性による統治といえば、感情問題による紛糾が付き物。しかし彼女には当て嵌まらない。」
西アジア史

パルミラの女王ゼノビアと帝政ローマの戦い(1)~パルミラ王国と美麗女王ゼノビア~

パルミラ王国の女王ゼノビア。祖先クレオパトラ(7世)以上の最高の美女、且つ、歴史上稀に見る最高の女性指導者。 砂漠の薔薇と称され、現代に於いても色褪せない魅力を放つ。 敵対し、勝利を重ね、しかし最後は屈したローマ帝国で、彼女は余生を送る。