2024-02

民族・部族興亡史

キンメリア族の終焉とオリエント世界の興亡史(紀元前1200年のカタストロフ以降~アッシリア滅亡まで)

アッシリアは、サルゴン朝以降急拡大し、オリエント世界に覇を唱えた。 エラム、バビロニア、フリギュア、ウラルトゥなどの挑戦をことごとく退けた。 更に、キンメリア族を服従させると、エジプトをも征服した。が、アケメネス朝に取って代わられる。
民族・部族興亡史

キンメリア族のアナトリア乱入

キンメリアは、紀元前9世紀頃の黒海北岸の草原地帯に何処からともなく移動して来た遊牧騎馬民族。 現在の南ウクライナの黒海沿岸部を領土化したが、キンメリアの治政が国家と呼ぶに値するかどうかは懐疑的。 但し、歴史的な部族であったことは間違いない。
民族・部族興亡史

ペルシアの興りと人種区分

パフラヴィー朝第2代皇帝、通称パーレヴィ国王は、初代皇帝の父レザー・シャーにも増してアーリアン学説を強く支持した。 アーリア人の国を意味する「イラン」という言葉は古代~中世にはなく、歴史的にはエラムであり、メディアであり、ペルシアであった。
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イランの興りと遊牧騎馬民族

『イラン』という名前は、イラン人曰く「アーリア人の国」を意味する言葉。 『ペルシア』という名は、アケメネス朝当時の首都ペルセポリスと周辺地名「パールス(パールサ)」という二つが由来。 でも、紀元前6千年から5千年以上の間、『エラム』だった。