フランダースの犬を嫌うフランデレン

西欧史

クリスマス・ソングが似合うこの季節になると脳裏に浮かぶのが『フランダースの犬』とパトラッシュの縫い包み。

この物語の舞台となったのは、18世紀当時のネーデルラント連合王国のフランデレン地方(フランス語ではフランドル)の小さな村(”大都市”アントワープに接するホーボケンという村らしい)。フランデレンの英語表記が”フランダース”。舞台は現在のベルギーですが、この物語を書いた作家はイギリス人なのでフランデレンでもフランドルでもなく(英語表記の)フランダース。

フランデレン(フランダース)は、旧フランドル伯領(現在のベルギー北部〜フランス北部)を中心にして、ベルギー西部やオランダ中部にまで跨る地方を指します。

※ところで、オランダなんていう国名は本当は存在しない。”オランダ”をオランダと呼んでいるのは世界中で日本だけと言われている。正式にはネーデルラント(英語表記はネザーランド)です。当記事に限り、此処から先は、オランダという名を使わずにネーデルラントで通します。

中世期のフランデレンは毛織物業を中心に経済発展し、ヨーロッパ有数の先進地域と呼ばれていた頃もある。つまり、当時のファッションリーダー的地域だった。今も、フランスやベルギーの人達のファッションセンスは抜群ですからね。

『フランダースの犬』がテレビアニメとして放映されていた1975年当時の日本では、ネロの愛犬パトラッシュと共に、アントワープ(の聖母大聖堂)とか、作家ルーベンスとかの名称を多くの子ども達が口にしていた。その頃の日本の子ども達の多くが、大人になった現在に於いては、ベルギーにそういう町(アントワープ)があることを何も覚えていない(知っていたくせに簡単に忘却している)。地理や歴史を嫌う(疎んじる)のは勝手だが、あんなに涙していたのにねェ。うちも妹が毎回視てたので、不肖私も仕方なく付き合って視てたけど、最終回は多分泣いたよ。

因みに、うちの妹がパトラッシュの縫い包み応募に当選して、でっかいパトラッシュが送って来たけれど、その縫い包みは不肖私が3日以内に(プロレス技を掛け過ぎて)破壊してしまった。妹は、そのアニメを見てほぼ毎回泣いていたが、パトラッシュの残骸を見てなお一層大泣きした。うちに来た(縫い包みの)パトラッシュは、最終回を待たずして・・・死んだ。済まぬ事でした・笑

因みにゞ、うちの妹も、地理や歴史をあまり知らない大人になったが、ろくでもない兄ちゃんにパトラッシュを破壊された影響やろうか・苦笑

ところで、話の舞台であるベルギーやネーデルラントやフランスなどでは、『フランダースの犬』という物語を知る人はほんの少数らしい。しかも、この本を読んだ人たちの多くは「15歳になっても自分の人生を切り拓く事無く負け犬の様に死んだ愚かな男」「負け犬の死」として忌み嫌うらしい(※アメリカ合衆国でも(主人公が惨め過ぎて)原作のままでは受け入れられずに結末が書き換えられた。アメリカ版では、ネロのお父さんが名乗り出て助かるという話に変わっている)。ところ変われば人の受け取り方も随分と違うって事ですね。日本人は、何かと感情移入し易い国民性なのかな?でも、日本でもこの話はあまり好まれなくなったのか、1997年に再度創られたアニメは不人気で最終回間近に放送打ち切りの憂き目にあったということです(不肖私は、1997年版のアニメを知らない)。

ということで、『フランダースの犬』はお終い。ここから先はベルギーについて。

ヨーロッパの何処にも訪れたことがないので、当然、ベルギーについても本で読んだくらいの知識しかありませんが、わざわざこの記事を書くわけですから、実はベルギーが好きなんですよ。何故ベルギーが好きなのか?それは、ローマ史が好きだったので、当然のようにガイウス・ユリウス・カエサル(=シーザー)が書いた『ガリア戦記』も読み耽り、ベルガエ人とかアクィタニ人とかケルタエ人とかのファンですわ・笑

古代ローマが共和政から帝政へ向かう頃は、現在のフランス北東部からベルギー辺りには、ベルガエ人の部族が屯していた。やがて、其処ら一帯はローマ領のベルギカと呼ばれるようになる。

一番右=クローヴィス1世、真ん中=サリ・フランク族の移動  何れも、wikipediaより借用

時が経ち、起源400年頃。既に、ベルガエ人と呼ばれる人たちはいなくなっていたその一帯に、ゲルマン民族の大移動の波に乗って大挙押し寄せて来たのがフランク人のサリ族。サリ族は、嘗て自分たちを(”東欧から”)押し出したゴート族をピレネー山脈の向こう側(=イベリア半島)へ追い払い、現在のフランス北部とベルギーの大部分とネーデルラントの南半分くらいを占拠する(つまり、フランデレンの大部分)。やがてフランク系部族を統一した彼らは、サリ・フランク族を名乗る。

サリ・フランク族が本拠地としたのは、現在のベルギー・トゥルネー。そして、クローヴィス1世の治世期にフランク王国を建国。フランク王国初代国王となったクローヴィス1世は、王妃に勧められてカトリックの洗礼を受けた。これを機に、フランク王国はローマ教会を守護する側に立ち、神聖ローマ帝国を名乗る事にもなる。が、神聖ローマ帝国を名乗らず分離したのがフランス。そして、フランスとも神聖ローマとも一線を画したのがフランデレン地方。

「フランデレンの歌」に現れるように、絶対に敵に屈するな!破壊された街を悲しむな!思い出にしがみつくな!立ち上がれ!!という不屈を信条とするのがフランデレン地方の人達。戦争も、会戦が好き(会戦ってのは、広大な場所での雌雄を賭けた一大決戦を意味する)。この人たちが戦争論を語る時は、如何にしたら海や陸の会戦に勝てるかが話の中心となる。日本では「城を枕に討ち死に」も美談として好まれますが、彼らは、城に籠って死ねばそれを卑怯者と断罪する。『フランダースの犬』に対する理解の差は、戦死に対する考え方の相違にも表れるのかなと思います。

犬も馬の様に「働け」と鎖で繋いで犬ゾリに利用。軍用犬にも利用。それがフランク族ですから、犬好きの人がその実態を知れば卒倒するでしょう。原作者(ウィーダ)は、動物愛護協会設立に尽力した大の犬好き。フランデレン地域の軍用犬や労働犬へ抗議する意味合いで『フランダースの犬』を書き上げたとも云われています。ところで、ベルギーが連邦制国家という事はあまり知られていないけど、最初頃のベルギーの国名は「ベルギー合衆国」だった。その頃から何も変わらず今でも以下のような3つの共同体と3つの地域による変形連邦制連合国家がベルギー王国です。
「フラマン語共同体」(低地フランク語=ベルギー内ネーデルラント語)
「フランス語共同体」
「ドイツ語共同体」
「ブリュッセル首都圏地域」
「フランデレン地域」
「ワロン地域」

変形というのは、3つの言語(フラマン語、フランス語、ドイツ語)地域と、フランデレン、ワロン、ブリュッセルの3つの地方地域が重なっている為にそういう表現らしい。

ベルギーとネーデルラントとフランスは兄弟国。そもそも、一つのフランスになって全員フランス人を名乗っておかしくない人達だが、フランデレンに暮らした人々は、フランス人ではなく「フラン人」であることに強く拘った。そして、フランス、神聖ローマ、イタリア、イングランドなどが国家として強大化していく中で、フラン人は、「そう言えば俺達は、ちゃんとした王国や共和国を持っていないじゃないか」と大騒ぎしてネーデルラント(ネーデルラント連合王国)という国家を創った。

しかし、伝統的カトリック信者が多かった南部(現ベルギー)とプロテスタントに席巻された北部(現ネーデルラント)で宗教対立が勃発。連合王国の王室中枢は北部側にあってプロテスタントを庇護していたが、国家は真っ二つ(ルクセンブルクを入れると3つ)に分裂。王族の中にも、やっぱり、ローマ教会(カトリック)と親密な方が安心出来るという派も現れ、王室も南北に分かれた。王室も巻き込む宗教対立となっては、「もう、一緒の国としては無理だな」と。そして、一つの連合王国は、二つの国になる。

形式上は、北部が南部の独立を承認するという事になる。問題は国家の名称だ。北部はそのまま「ネーデルラント」を踏襲したが、南部は「ベルギー」を名乗った。

南ネーデルラント人じゃ締まらない。しかも”フランデレン”に因む名にしようと思っても既に”フランス”がある。北フランス人ってのもかっこ悪い。いや、待てよ、そう言えば、俺達が暮らすこの辺りを、古代ローマではベルガエと呼んでたぜ。と誰かが言い出した?そして国名はベルガエに因んで「ベルギー」に落ち着き、南ネーデルラント人(=北西フランデレン人)はベルギー人になった。

北部(ネーデルラント)は、南部(ベルギー)が、何れはカトリック大国フランスと組むのではないかと警戒し、独立条件として、ベルギーが「永世中立国」を宣言することを求めた。永世中立国家を建国するか、フランスとの併合を選択するのか、”フランデレン南部の”フラン人たちは大きく揺れた。しかし、フランス相手に戦争を繰り返したフランデレンの血が騒ぐ。宗教が一緒、言語も一緒、だからと言って「ラ・マルセイエーズ」なんて謳えるか!と。フランスにくっつく道は閉ざし、独立国家となる方向へ舵を切った。

という訳で、ベルギーはフランク(フランス)の国なのですが、(フランス語にそっくりな)ワロン語圏のワロン地域とフラマン語圏のフランデレン地域にも分けた。ワロンの語源は分かりませんが、戦場になる事を厭わない地域という意味かもしれない。攻めて来るならいつでも攻めて来いみたいな。

実際にワロン地域は、ドイツやフランスとの戦争に対していつでも(戦場として)使える状態だった。そのように面白くない危険な状況に置かれていたワロン人ですから、「フランデレンの歌」なんて謳えるか!と「ワロンの歌」を持った。国内が、フランデレンとワロンを中心に内乱しそうになったので、首都ブリュッセルを包み込むフラームス=ブラバントの地名を用いた「ブラバントの歌」が国歌に選定された。

ところで、ワン・ヨーロッパを目指して、EU本部がブリュッセルに置かれていますよね。ワン・ヨーロッパへの道筋はとても厳しいが、そこ(本部)が不屈を信条とするベルギーにある限り、いつかそれは(戦争じゃない方法で)成されるかもしれない。でも、不肖私が生きている間にはどうかな。宗教問題とか、経済格差とか、色々・・・。ワン・ヨーロッパ、出来たら凄いね。

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