仮面舞踏会で始まり、仮面舞踏会で閉じた、デンマーク王妃の恋

北欧史

七つの海変遷

七つの海」。この全てを支配することに力を注いだ国家は歴史上幾つもあった。

ところで、七つの海として認知されていた海洋は、時代や地域によって違っている。中世アラビア人にとっての七つの海は、「大西洋」「地中海」「紅海」「ペルシア湾」「アラビア海」「ベンガル湾」「南シナ海」。つまり、アラブの商人は東シナ海や太平洋の存在を知らず、当然ながら、その頃の日本人とは出会えていない。

同じ時代を生きていた中世ヨーロッパ人の七つの海は、「大西洋」「地中海」「黒海」「カスピ海」「紅海」「ペルシア湾」「インド洋」。7世紀にはヴァイキングが活躍を始めているので、”彼ら”の大西洋には「北海」も含まれていたものと考えられる。

中世末期に大航海時代が始まると「大西洋」「地中海」「カリブ海」「メキシコ湾」「太平洋」「インド洋」「北極海」が七つの海となり、ポルトガル、スペイン、オランダ、大英帝国などが、七つの海の支配者争いを繰り広げる。そして、ヨーロッパ人は日本人と出会う。

現代では、「北大西洋」「南大西洋」「北太平洋」「南太平洋」「インド洋」「北極海」「南極海」を七つの海と呼び、米国と中国という二大覇権主義国家が支配権を争っている。それにロシアも加わり、地球の海どころか、宇宙の支配権さえ争っているのだから呆れるが・・・

デンマーク

今は北欧の小国に甘んじているが、デンマークは色々と面白い国である。

デンマーク人(デーン人)は、ノルマン人(ノース人)と競うようにして、共にヴァイキングの時代を切り拓いた。8世紀頃から数百年間、ヴァイキングこそがヨーロッパの北洋(北海)を支配した。11世紀には、北海帝国を築き上げたデンマークの大王クヌーズによって、イングランドさえ支配を受けていた(デーン朝)。

デンマーク王家によるイングランド統治がもっと長く続いていたならば、現在のデンマークの姿も現在のイギリスの姿も、現在のヨーロッパの地図も、そして北米大陸の事情も、何もかもが全て違っていた筈。起こり得なかったことをいくら想像してもそこに答えは無いけれど、現代のデンマークの中には、自分達の先祖がもう少し上手に国家運営してくれていたならば、という少しばかりの愚痴を肴に酒を飲み”くだ巻く”人達もきっといるだろう。

ところでデンマークは、世界幸福度ランキングでは常に上位に位置付けられている(対して、日本は50位前後に低迷中)。幸福度が高い上に、世界で最も官能的な(刺激的な)国である。アンデルセン童話の印象に騙されると少年少女のおとぎの国の様に思えるけれど、寧ろ、物凄く”アダルトな”お国柄(行った事ないけど・・・)。1967年に世界で初めてポルノを解禁したのがデンマーク。当時は、ポルノ映画見たさでデンマークへ向かうヨーロッパの青年達が少なくなかったと言う。そして世界に先駆け、17970年に性教育を開始。兎に角、性にオープンな国である(羨ましい?)。

恐らく、日本の大人より、デンマークの小学生の方が正しい性知識を持っている。何と言っても、小学校入学前には(5歳頃には?)男女の体の構造やら、性器についての詳細などを教えるというお国柄。高校入学前には、多くの少女が初体験を済ませている。普通に”快感””快楽”について教室で平気で議論する。付き合う前に、先ず、性の相性を確かめ合うから、恋愛抜きのセックスに抵抗がない・・・

まぁ、何という国でしょう!でも、恋愛するなら不良は相手にされない。真面目な男が好まれる。そこら辺は、厳しく見定められるようだ。

近世デンマーク王室の妖しい話

セックス先進国のデンマークであっても、異性に興味を持ち始めた少年少女にとって、とても楽しい?アダルトなお遊びと言えば「お医者さんごっこ」でしょう。性的道具(いわゆる、ヴァイブレータ類とか、SMグッズとか、コスチュームとか・・・)を開発するのも得意な国ですが、「お医者さんごっこ」ではなく、本当の医者との性愛に溺れてしまい、歴史的大事件の当事者になってしまった王妃・カロリーネ・マティルデ・ア・ストアブリタニエン(英国名:キャロライン・マティルダ:1766年~1808年のデンマーク国王クリスチャン7世の妃)のお話です。

イングランド王ジョージ3世の末妹として1751年7月に生まれたキャロライン・マティルダは、15歳になった1766年に、2歳年上の従兄、デンマークとノルウェーの両王クリスチャン7世と婚姻します。しかし、若き国王クリスチャン7世は酷く精神を病んでいた。

国王の精神病は、粗暴な教育係デトレフ・レヴェントロー伯爵による暴力的な躾が原因との事。そして酷い教育。更に、伯爵の取り巻き達により、王は、救いようのないほどの性行為依存症に堕落させられていた。

クリスチャン7世に高い知性が備わっていたことは間違いない事実らしい。しかし、殆どの時、この若い国王は異常者であった。年齢の近い、本当の兄のようにも想っていたクリスチャンとの結婚に夢と憧れを抱きデンマークに嫁いで来たキャロラインは酷く失望させられる。キャロラインを失意の底に落としたのは、単に、王が精神を患っている事からではなく、王の止まない乱交癖にあった。「王妃(キャロライン)一人だけを愛する事など出来ない」と、場所を選ばず言い放つ国王は、キャロラインとの寝室にまで複数の女性を招き入れ、キャロラインに対しても女性達の相手を強要する(つまり、乱交セックス)。キャロラインの誇りは痛く傷つけられます。

1768年1月に長男(後のデンマーク王フレデリック6世)が誕生すると、まるで”お役御免”のように、寝所を共にする事からも遠ざけられた。孤独に陥っていくキャロラインは、結婚から2年後の或る時、国王の従医として招かれたドイツ人医師ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセと出会う。

国王の従医という立場を悪用するストルーエンセは、 精神疾患の王を思い通りに支配して、デンマーク(及びノルウェー)を陰で操る黒幕の様になっていく。やがて、ストルーエンセは若く美しい王妃キャロラインへも食指を伸ばす(※肖像画だけでは、キャロライン・マティルダが美しい王妃だったかどうかは断定出来ませんけれど・・・)。最初は従医の誘惑を拒んでいたキャロラインですが、仮面舞踏会でストルーエンセから受けた官能的なキスにより全てが変わった。この夜を境にして、キャロラインはストルーエンセによって大人の女性として磨かれて行くことを甘受する。それは公開調教に等しいものでもあったのか、分かる者には分かる二人の関係だった。

キャロラインは、1771年に長女ルイーゼ(後のウグステンポー公妃)を産みます。けれども、「ルイーゼは、間違いなく従医との子」と、デンマークの国民にはそのように信じられている。そして、それが定められた運命のように、仮面舞踏会で始まった妖しい関係は、仮面舞踏会で終える。

1772年1月の仮面舞踏会の後、先王の后(つまり王太后)ユリアーネ・マリーがクーデターを仕掛けてストルーエンセを捕縛。ストルーエンセは獄中で処刑される。キャロラインはクロンボー城の牢獄に収監されますが、ジョージ3世の要請により処刑だけは免れる。しかし、王妃たる者が、王の従医と起こしたスキャンダルを許さなかった英国王室は、キャロラインからの帰国要請を強く拒否。キャロラインはデンマークからも追放され、ハノーファー選帝侯領のツェレ城へ向かいます。が、そこで病死。僅か23歳という若さで、その儚い生涯を閉じます。

日本なら、このような話は教科書には載せられないでしょうけど、デンマークでは至極当たり前に教科書で教えられる。男と女の件をちゃんと分かって幸福度ナンバー1の国家になっている、官能的な国デンマークのお話でした。

この史実は映画化もされ、有名な作品としては2013年に日本でも公開された『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』。スウェーデンの美女優アリシア・ヴィキャンデル(キャロライン役)とデンマークの男優マッツ・ミケルセン。時間がある時に、ちょっと観てみませんか。政治史として、そして男女の愛憎についても学べるかもです。

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