赤毛のエイリークと幸運なるレイフ

北欧史

赤毛の・・・

「赤毛の…」で有名な人。そう問えば、日本の多くの人は”アン・シャーリー”を思い浮かべ、『赤毛のアン』(原題は『グリーン・ゲイブルズ』)を執筆した作家L.M.モンゴメリと答えるでしょう。

『赤毛のアン』は、作者・モンゴメリが生まれ育ったカナダの東海岸、セントローレンス湾に浮かぶプリンス・エドワード島を主な舞台とする物語。主人公・アンは赤毛の女の子として描かれているので、この島の先住民族ミニマク族(北米インディアンの部族の一つで、1万年以上の歴史を持つと言われる)の子孫ではない。プリンス・エドワード島の”赤毛族”は、ノール人系ヴァイキングが其処へ辿り着いた事に端を発します。

ゲルマンやフンやマジャールの大移動は、ヨーロッパを大混乱させますが、それは”陸地の大事件”。それ以上に、海から大混乱を起こしたのがヴァイキング。ヴァイキングが大暴れし始めるのは9世紀頃からですが、ヴァイキングには大きく分けて3つの”民族”があった。一つは、デンマーク(デーン人)系ヴァイキング。一つはスウェーデン(スウェード人/スヴェーア人)系ヴァイキング。そして残りの一つが、今回の主役を生んだノルウェー(ノール人)系ヴァイキングです。

今回紹介する「赤毛の…」御仁は、アンとは違い実在した人物。しかも物凄く”物騒な”イメージを持たされた男。名前はエイリーク・ソルヴァルズソン。(不運が折り重なり)殺人と窃盗の罪により国外追放を受けた挙句の果てに海賊となる。そして、「赤毛のエイリーク」と渾名された。

グリーンランドの歴史(1) ~エスキモー=>イヌイット~

プリンス・エドワードは、島面積としては然程大きくはありませんが、赤毛のエイリークが生涯を賭けて辿り着き入植した先は、北極海と大西洋に接する世界最大の”島”グリーンランド。現在のような地球温暖化の影響など無かったであろう当時のグリーンランドは、四方八方を固い流氷に覆われていたでしょうし、一度でも辿り着けたこと自体が正に奇跡だったでしょう。そして、上陸出来た其の島の内陸部も固く氷に閉ざされていて、人の”暮らし”何とか出来た場所は、沿岸部のほんの狭い範囲に限られていた。だから、現代人が地図上で知るほどの巨大島であることを、エイリークが正しく知っていたかどうかは分からない。けれどもエイリークが、其処を、”とんでもない巨大島”である事までは認識して家族や仲間に伝えた。

極寒且つ氷に閉ざされる巨島グリーンランド。エイリークが辿り着いた時に、人の暮らしが見えたかどうかは定かではない(広大だしね)。でも、古代期から生活圏は存在した。

もっとも古くは、パレオ・エスキモーと呼ばれる人たちの生活圏だったことが分かっている。パレオ・エスキモーは、現在のロシア・ユーラシア大陸最東端のチュクチ半島からアラスカ北部沿岸~グリーンランド周辺まで、北極圏を主生活圏とした人達。グリーンランドに於いては、主に、南部から西部沿岸にこの人達の生活文化圏が築かれ、それは西部の地名に因みサカク文化と呼ばれ、紀元前2500年辺りから紀元前800年辺りまで続いていたようだ(※但し、発掘された人骨化石?から抽出されたDNA検査では、最も古い”人”は、紀元前3000年頃と推定されているようです)。サカク文化が終焉した確かな理由は分かっていないが、グリーンランド北部にはパレオ・エスキモーの別文化の存在が認められていて、それと(互いの共存の為に)重なり合ったものと思われる。この文化は、インディペンデンスI文化(紀元前2400年頃の始まり?)と呼称され、そしてインディペンデンスⅡ文化へと引き継がれ、西暦70年辺りまで続いていたようです。

インディペンデンスⅡ文化と時代的には重なるのかもしれませんが、これもパレオ・エスキモーの別文化でドーセット文化と呼ばれる生活圏が紀元前500年辺りの北米大陸の北極圏に出来上がり、グリーンランドでは主に南西部沿岸に広がりを見せます。インディペンデンスⅡ文化と生活圏が被りますので、インディペンデンスⅡ文化が消滅したとされるのは、ドーセット文化人にその居住地を奪われた可能性も考えられます。ドーセット文化は、西暦1000年頃までは続いたことが確認されているようで、文献によっては、西暦1500年辺りまで続いた文化とも紹介されているようです。

エスキモーではない、もう一つの代表的な北極圏民族であるイヌイットですが、この人達が北米大陸の北極圏に生活文化を築き始めた明確な時期は分かっていない。が、西暦1000年辺りに(チュクチ半島から)アラスカへ入植したものと推察されている。そして急拡大し、各地のパレオ・エスキモー生活文化に取って代わって行った。出自が同じシベリア北東部ですが、DNA的には異なり生活様式も似て非なりだったのでしょう。似ている部分はあっても全く反りが合わない韓人と日本人のようなものですかね。

イヌイットがグリーンランド北西岸に一気に生活文化圏を築いていったのは西暦1300年辺り。そして東沿岸へと一気に押し進み今に至ります。最初のイヌイット達は古イヌイット、或いはトゥ-レ人と呼ばれていますが、現代のイヌイットの中には、トゥーレ人がパレオ・エスキモーやノース人達と混血していった流れもあるでしょうから少し区別するような(古イヌイット=>現イヌイット)表現になってるのでしょうね。そしたら日本人も、古日本人=>現日本人でしょうけどね。世界中がそうですよね。

レイフ・エリクソン

エイリーク・ソルヴァルズソンは、950年頃のノルウェーに生まれました。「赤毛のエイリーク」として歴史にその名を刻みますが、「レイフ・エリクソンの父」としての方が有名らしいのでレイフ・エリクソンの話から入ります。

レイフ・エリクソンは、父エイリークがそうだから、ノルウェー・ヴァイキングの子として育ちますが、生まれはアイスランドです。エイリーク・ソルヴァンズソンとレイフ・エリクソン父子の大航海(冒険)は、アイスランド叙事詩『サーガ』に記されるなど、国の英雄として祀られています。
日本の歴史教科書では、アメリカ大陸に初めて到達したヨーロッパ人としてクリストファー・コロンブスを教えていますが、近年のヨーロッパでは、コロンブスよりも500年も前にアメリカ大陸に辿り着いたレイフ・エリクソンの事実(功績)の方が大きく認められているとの事です。
レイフ・エリクソンは、グリーンランドに定住し、北米の海洋を航海し続ける中で、ヴィンランドやニューファンドランドなどを探索。そして北米大陸に辿り着く。後世に於いて、「幸運なるレイフ」という渾名で知られた。北米大陸を発見した”最初のヨーロッパ人”である事は、アメリカ合衆国もカナダも認めている。故に、切手にもなって、銅像も建っている。ところが、ヨーロッパには関係ない日本では、それでもコロンブスによって”アメリカ大陸”が発見されたと言い張ってますから、日本国民や教育界は何とも頭が硬い。日本人は、自分が一度知った歴史はそれが正されてもなかなか認めたがらない。だから、世界の潮流から日本だけが取り残されていく悪因になっている。という事はさて置き、先を進めますが・・・

もしも、エスキモーやイヌイットに物言う権利があれば、「北米大陸を最初に見つけたのは俺らだろう!」と主張するでしょうし、インディアン達もそう主張するでしょうし、まあ、ヨーロッパ人によって世界標準が作られていったこの現代世界ですから仕方ない事ですね。コロンブスじゃないよレイフ・エリクソンだよっていう流れになっているので、それは良い事じゃないでしょうか。

エイリーク・ソルヴァンズソンとアイスランド

アイスランド初期の歴史

ピュアテスの旅とトゥーレ人(古イヌイット人)出自の謎

アイスランドは、紀元前330年から紀元前320年にかけて、地中海からスカンジナヴィアへ旅した”ギリシア人”学者兼探検家のピュアテスが最初に発見した”島”と言われています。

古イヌイット人は、別名でトゥーレ人と呼ばれますが、このトゥーレという名称は、ピュアテスがスカンジナヴィアへの旅の途中で発見した場所に名付けた地名に因む名前と言われます。それが本当ならば、トゥーレ人の発祥地点はシベリア北極圏ではなくてヨーロッパ西北域の何処かの可能性が高い。何故なら、ピュアテスの航海日誌でトゥーレを「ブリテン島の最北端から北へ6日間帆走した位置にある」と記されていますから。後世の研究者は、このトゥーレを「ここだ」「あそこだ」と様々な仮説を立てて実証実験もかなり行われたみたいですが、何処も確証を得ていない。そして、有力候補地の一つにアイスランドが位置付けられていますけど、立証には至っていないようです。でも、その古い時代に、ピュアテスがブリテン島やアイルランド島やその周辺の諸島を周遊した事は否定出来ない事実でしょうから、それはそれで凄い事です。
ピュアテスは、当時のギリシアの植民地で現在のフランス・マルセイユを出生地としている事から、遠祖は、航海の民フェニキア人(カルタゴ人)だった可能性もあると言われています。航海の民フェニキアの血を色濃く受け継いでいるのなら、アイスランドへ到達したという話は満更でもない。寧ろ真実かもしれない。しかし、8世紀頃までの”氷の島”アイスランドには、人が住んだ痕跡がほぼ見当たらず、未開の島だったとも云われている。謎である・・・

ノール系ヴァイキングとケルト人の反目と共存

アイスランドが世に知られるようになったのは8世紀末頃。北欧の何処かのヴァイキングが其処(アイスランドの何処か)を船の立ち寄り所的に使用するようになった。ヴァイキングの誰が最初に利用するようになったのかは分からない。が、現在の首都レイキャヴィク辺りを開拓した人物は分かっている。アイスランドに伝わる『植民の書』に、最初の越冬者としてやって来たノルウェー・ヴァイキングのインゴールヴル・アルナルソンによって、874年に農地が開拓された場所がレイキャヴィクだと記載されている。

しかし、『アイスランド人の書』という”1120年代までの”アイスランド史を書いたアイスランド人北欧史家アリ・ソルギルソン(1067年生~1148年没)は、ノール人(ノルマン人/ノルウェー人)移住者としてはアルナルソンが最初の人とした上で、入植者としてはアイルランド人修道士パパールの方が先住していたと書いた。更に、パパール以前にはアイリッシュ・ケルト人が入植していたと記す。ノール人がアイスランドを訪れるようになり、アルナルソンのような越冬者が増えて来るとケルト人(=アイリッシュ・ケルト)とノール人の間で、土地の所有権争いが勃発する。

アルナルソンの兄と云われるヒョルレイヴことイェルレイフル・フロズマルソンは、ケルト人の島・アイルランドで現地人を殺害したが、どうやらその事を知られて、アイスランド島でケルト人に殺害される。今度はアルナルソンが復讐心でケルト人を殺害。こんな事が繰り返され、ノールとケルトはいつまで経っても反りが合わなかった。結局、嫌気を指したケルト人の殆どがアイスランドを去る。その後は、アルナルソンの家系を中心にノール人の島となっていったアイスランドですが、930年頃になると、再び、アイリッシュ・ケルトやスコット人の入植が始まる。
初期入植時に殺し合ったノール人とケルト人が、今度は仲良く共同生活を行えた。というのも眉唾ものですが、極寒の孤島で生き抜く為には喧嘩なんてやっている暇は無かったのかもしれない。

この頃の入植期は、合計して約2万人だったと云われ、彼らは覇権争いをしなかった。故に、「王様」は誕生しない。930年頃の氷の島では先進的な議会制民主政治が開始された。それは、世界最古の近代議会でアルシングと呼ばれた。
アルシングの議事会場は、現在国立公園に制定され、世界遺産登録されているシンクヴェトリルに設置されました。毎年、夏になると、各入植地の族長が招集され議会が開催された。現在の我が国で云うところの、会期を定めた通常国会のようなものと理解出来ます。

エイリーク・ソルヴァンズソンの不運と幸運

エイリーク・ソルヴァルズソン一家は、ノルウェー南西部に暮らしていたが、960年(エイリーク10歳頃)に、父が殺人を犯し(但し、過剰防衛)ノルウェーからの追放を命じられます。この逸話は、アルナルソン一家の入植話に酷似していて、『サーガ』で作為的に脚色(編集)された話の可能性もある。兎に角、エイリーク一家が新天地として求めた先がアイスランドだった。

アイスランド入植後、約20年も経った980年頃、農業に勤しみ、すっかりアイスランドの地に根付いたエイリークは伴侶を得ます。この結婚を機に、アイスランド西部のハウカダルに土地と奴隷を購入。自分の農場を経営して財を成す(愛人も持ったから、娘が庶子として誕生しています)。ところが・・・

成功したエイリークは妬みを買い、農場の従事者として育てていた奴隷達を殺されます。怒り心頭に発したエイリークは、その報復として相手親族を殺害。3年間の追放令を受けた(この処分ですから、相手の非も認められたのでしょう)。取り敢えず、隣人に財産管理を委託したエイリーク一家はハウダカルを離れる。この3年間をほぼ洋上航海で過ごした彼は、「巨島を発見した!」。エイリーク一家はその巨島に辿り着いて一夏を過ごし、とても美しい”緑の大地”に感動して「グリーンランド」と呼んで定住を試みる。ところが、とんでもなく寒く凍える冬を迎えた。その寒さに身の危険を感じたエイリーク一家は、どうにかオックスニー島まで辿り着き凍え死ぬ事なく生き延びることが出来た。

985年にハウカダルへ戻った時、財産委託をしていた隣人が、その管理書(権利書等々)を返そうとしない。怒ったエイリークは、その家へ侵入して委託書類一切を盗み出す(奪い返すの方が正しい)。それに対して、また奪い返しに来た隣人家族と揉み合いになり、隣人の息子二人を殺害する羽目になる。そしてハウカダルの民会は再びエイリークを3年間追放(これも、一応は相手の非が認められた量刑だった)。
エイリークは自分の身に次々と降りかかる理不尽さを呪いながらも、「巨大な島がある。其処へ行って暮らそう」と言って仲間を募り、再び一家を船に乗せて北極海を越えていく。ところが・・・

エイリーク・ソルヴァンズソンと グリーンランド

息子(レイフ・エリクソン)は、父の誘いに乗らずノルウェーへ渡って、ノルウェー王家に仕えた。そのような事が可能だったので、エイリークの家系は、ノルウェーでは有力筋だったのかもしれない。だから、アイスランドでの裁判も”情状酌量”が認めれた?

この時、エイリークの話に乗った人々の船団は25隻、男女約500名。しかし、グリーンランドに漕ぎ着けたのは14隻、約300名だったと伝わる。地図上の距離的には物凄く遠い距離とは言えない気もしますが、極寒の流氷の海ですから、この航海は命懸けだったでしょうね。この約300名が最初のノール系グリーンランド人となった。

赤毛のエイリークが族長となり、エイリークスフィヨルドと名付けた入り江の奥をブラッタフリーズと名付けて開墾。集落化させた。けれども、何らか感情の行き違いがあったのか、エイリークのグループと別のグループに仲間割れします。そして、結局はエイリークの元を離れた集団が現在のグリーンランドの首都ヌークの開拓者となった。

グリーンランドがキリスト教化したのは、ノルウェー王の下で洗礼を受けたレイフ・エイリークが宣教師を伴い渡って来た西暦1000年前後です。この時、母は改宗を受け入れたのに、父エイリークは改宗を強く拒否。夫婦は仲違いしたと云われますので、もしかすると仲間割れしてヌークへ向かった集団は改宗者で、拒否した”エイリークグループ”は少数派に転落していったのかもですね。でも、罪人となり住み慣れた土地を追放され、それでも荒海を越えて生きる場所を目指す。歴史に名を刻む「冒険」を成した赤毛のエイリーク。こういう人もいなければ、未開の土地の扉は開かないでしょう。

グリーンランドの所有者は?

グリーンランドは、やがてノルウェーの統治下となり、ノルウェーがデンマークに併合されて以降はデンマークの支配地となる。更に時が経って第二次世界大戦の頃、小国デンマークを占領する事にナチス・ドイツが強く拘った。その理由は、ヒトラーがグリーンランドを欲しがったからと云われている。多分、資源豊富なことを知っていたのでしょうね。しかし、ナチス・ドイツは敗北。歴史的経緯により、ノルウェーやアイスランドもグリーンランドの領有権を主張しますが、領有権は現在もデンマークが保持しています。
しかし、グリーンランドには強い自治権が認められていて、デンマーク領で有りながらEUには属さない。そういう島ですから、尚更、中国人達の乱開発を注視するべきかと・・・

現在のグリーンランドは、地球温暖化によって毎秒1万トンもの氷が溶け、それこそ緑の島へと変わって行っている。世界有数の漁場として、且つ圧倒的に豊富な資源を保有するグリーンランドは、極寒の島を脱することで、とんでもないパワー大国になる可能性を秘めている。だからこそ、中国が急接近し、それを嫌がる米国が「グリーンランドを買う」とまで言い出した。トランプ前大統領のその発言はトランプの意思のみならず米国全体の本気度を示したものでしょう。グリーンランドの自治政府は、米中ニ大大国との関わり具合を武器にして、デンマークとの従属関係を解消し独立への動きを加速させようとしている。が、広大な島領域に対して実際の島民数はかなり少なく、グリーンランドの”国民”だけで運営することはかなり厳しいものと思える。だからこそ、米国の購入発言は大きな意味を持つ。中国の動きもだからこそ気にかかる。

世界経済ばかりか、地球全体の生活環境を左右しかねない問題だけに、グリーンランドの主権問題は世界中が注視している。が、日本では大した話題にもならない。やっぱり、国際問題に対する日本人の意識は薄い。だから、貧しい国・日本へと向かっている事にも本気で何とかしようという国民パワーが見えてこない。

日本の若い子達にはもっともっと世界を見て欲しいです。そして、有名な大国ばかりではなく、小国であっても誇り高き国民国家がたくさんあることを知って、付き合い幅を広げて欲しいと思います。

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