恋愛の神様の『恋愛論』
恋愛には、「情熱の恋愛」「趣味の恋愛」「肉体の恋愛」「虚栄の恋愛」の4種類があり、感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用という七つの過程を辿るそうです。
というような事を書かれているのが、1822年にフランスで刊行された恋愛解説書『恋愛論』。執筆者スタンダール(本名マリ=アンリ・ベール:1783年1月生~1842年3月没)は、当時のフランスでは”恋愛の神様“と呼ばれ、”フランス近代小説の祖”と称された。
因みに、不肖私のような縁遠い者には全く理解出来ないのですが、”結晶作用”とは、恋愛感情の芽生えによりその対象者を美化してしまう心の現象の比喩的表現らしいです。例えば、最初の結晶作用は、「嫌い」或いは「嫌いになろう」とする感情の揺れ動き期である。みたいに解く人など、スタンダールの恋愛理論研究者は現代に於いてもけっして少なくないらしいとのこと。出会い方、恋愛方法がまるで違う現代で、200年前の恋愛理論を解き明かして何の為になるのか・・・分かりません。
肖像画のスタンダールは、『恋愛論』を説く感じには見えない風貌ですが、恋する権利は、見掛けだけで得るのは無い。また、見掛けの良い人だからという理由だけで恋するわけでもない。恋愛対象には誰だってなれるし、思わぬ相手に対して恋に落ちることはある。そのことをスタンダールは『恋愛論』で次のように書いています。
(恋愛論から引用)●「男は、女の心がわからないうちは、顔のことなぞ考える暇はない。」
(解説)男は、自分の見てくれなど気にせずに堂々と恋するべきである。
(恋愛論から引用)●「恋が生まれるまでは、美貌が看板として必要である。」
(解説)世の女性達の化粧は、不特定多数の誰かに対して、自分に恋するように仕向けている。(だから、女性に恋心を覚えることに遠慮は要らない)
化粧では誤魔化せない相手女性の本質を垣間見れた時に、それでも尚一層深く惹かれたならば、それは静かな、そして確かな愛情を伴うものである。スタンダールは、(けっして長くない生涯で)いくつもの良き恋愛を経験した人なのでしょう。たった40年も生きる事が出来なかったスタンダールですが、それ以上に長い人生を得ても恋愛に縁遠い男でもちょっと嬉しくなるような言葉を遺してくれている。
(恋愛論から引用)●「精神の一番美しい特権の一つは、老いて尚、尊敬されることである。」
年齢的に老いたにせよ、心まで老け込んだら勿体ない。生涯、恋愛可能な状態を保てていることが大事。幾つもの引き出しを持ちミステリアスな存在で在り続け、けっして人(特に女性)に飽きさせない。自分自身も自分に対して飽きない。そのようにいられること。そのように心掛けるだけで、恋する相手は生涯現れ続ける。・・・かもしれない。花は、命がある限り咲く。ヒトも、命が続いている限りは、恋の花を咲かす事は可能。人生に於いて、「恋愛」に代わる花はない。ということを主義主張としたスタンダールは、亡くなって180年経っても尚、遺した言葉で、女性達と男性達を手引いてくれている。流石は”恋愛の神様”ですね。アッパレです。
スタンダール及び『恋愛論』等についてはここまでで、今回の主役は別の人。
天才楽師の最期の謎
スタンダールというペンネームは、ドイツ北東部・首都ベルリンから西へ約40キロ程の位置にあるシュテンダルという都市名が由来とのこと。スタンダールとシュテンダル市との関わりは分かりませんけれど、スタンダールと同時期に、シュテンダルからは3百数十キロ西へ離れたボンで生まれて、ドイツ音楽界最高の天才作曲家の一人と謳われた人が今回の主役。ここからは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年生~1827年没)に纏わる逸話です。
ベートーヴェンが病に伏せり、そして死期が迫った時、そのことは世界中の多くのファンに知れ渡っていました。誰もが奇跡の回復を願うもそれは叶わず、ベートーヴェンは天に召されます。
稀代の天才楽師の葬儀には、当時としては異例の2万人もの参列者があったという事です。
ベートーヴェンは、毒殺されたわけでも、情婦に刺されたわけでもなく、前年に患った肺炎の思わぬ悪化が肝硬変を招き、そして死に至った。その死因に疑うものが何も無い、単なる「病死」で済まされる筈でした。ところが・・・
ベートーヴェンの死はミステリー化され、米英合作で映画化されるまでとなった(1994年公開作:『不滅の恋』)。
ベートーヴェンの死がミステリー化される要因となったのが、天才楽師の遺書「自分の楽譜、財産の全てを”不滅の恋人”に捧ぐ」の言葉です。
ミステリーですが、殺人とかではなく、ベートーヴェンの”不滅の恋人”は誰?という謎の究明です。ベートーヴェン(生涯独身)の秘書、アントン・シンドラーが、”不滅の恋人”を探し求め、オーストリアやハンガリーを旅する、という内容。
そして、この映画を観た観客達の多くがシンドラーのようになって、全ヨーロッパがベートーヴェンの恋人探しで盛り上がった(今でも継続している人はいるでしょう)。
病死で間違いないのですが、そもそも、肺炎になったり、全聾になったりしたのは鉛中毒になった事が要因と実しやかに囁かれる。近年行われたDNA鑑定では、通常の100倍近い鉛反応が出て、ベートーヴェンの死因(病因)が議論される元ともなりました。
ヨーロッパに於いて鉛中毒で有名なのは、ローマ皇帝達の狂い。
帝政へ移行し何代か経った後、ローマでは、独裁者(皇帝)による異常な政治が続いた。その要因として近年明らかにされつつあるのが水道腐食。それによって引き起こされた鉛中毒症。何年も鉛を摂取すると、脳に異常を来したり内臓疾患を避けられない。しかし、そういうことは現代では分かっているけれど古代ローマでは知られていなかった。異常政治に不吉な”呪い”を覚えた帝国は、それに怯えてローマを捨てる決心に至りコンスタンティノープルへ遷都する。このことが、後の世界を大きく変える要因になりました。
ローマの皇帝達と立場は違いますが、稀代の天才楽師ベートーヴェンの鉛中毒に対しては、中毒に”させられた”みたいな陰謀論さえあるようです。勿論、不肖私に真相なんて解りません。けれども、ベートーヴェンを特別な存在として崇める人達には、その死因さえ”普通であってはならない”思いがあるのかもしれませんね。
政界の伊達男と楽師
ベートーヴェンが、鉛中毒にされたという説の根拠になったのが、クレメンス・フォン・メッテルニッヒ(1773年生~1859年没)との確執の噂。世界的に有名なプレイボーイでオーストリア帝国の宰相にまで上り詰めた侯爵・メッテルニッヒと確執があったのならレカミエ夫人とも絡めたくなりますが・・・。
ベートーヴェンくらいの大物楽師となれば、政治的発言を求められる事も度々。そして、神聖ローマの権力者となっていくメッテルニッヒの対英国外交姿勢などに批判的立場で発言していたと云われます。
メッテルニッヒはベートーヴェンを嫌い、ベートーヴェンにスパイ嫌疑をかけたりしています。ベートーヴェンに筆談が多くなったのは、難聴となった事もありますが、それで声が大きくなり何でも筒抜けになる事を恐れて筆談中心の生活となった、とも云われます。
ベートーヴェンの遺書の内容は先述の一文で、それは、生まれ育ったドイツの事ではないのか?で済みそうな話ですが、それでは済まなくなったのが、同時に発見された未投函の三通の恋文。恋文相手の宛名は「BT」。う~ん・・・レカミエ夫人は空振りです。レカミエ夫人の全名前は、ジェーン・フランソワーズ・ジュリー・アデレーデ・ベルナルド・レカミエ。「B」は、Bernardで該当しても「T」は無し。
まあ、有名人の恋の相手が有名人でなければならない理由は何も無いので無駄な詮索は止めます。
映画「不滅の恋」で紹介された恋文の一文が下記。
「私の不滅の恋人よ。私達の願いを運命が聞き届けてくれるかどうか、期待しながらあれこれ楽しんだかと思うと、次の瞬間には哀しくなってしまう私です。
私は、あなたと一体となれるのか、それともこの先あなた無しで生きていくのか。
そう、私があなたの腕の中へ飛び込んで行けるまで、あなたの許で完全に故郷へ帰った気になれるまで、そして私の魂が、あなたに見守られて精霊の国へと届けられるまで、あなたを思い、遠くで彷徨う事に私はそう決めました」
でも、これだけを読んで恋人への”叶わぬ”恋文と捉えるには無理がある?
死期を悟った敬虔なクリスチャンが、聖母マリアに捧げた散文のような気も致します。でも、彼のベートーヴェン様でも、愛する女性の腕に包まれたい気持ちになる時もあるでしょうし、恋心を綴りたい時もあった。という事にしておきましょう。
好きなら、それを素直に恋文に表す。女ったらしの伊達男メッテルニッヒとは一味違うベートーヴェン。更に、恋愛の神様スタンダール。こういう人達が時代を彩った18世紀後半~19世紀前半のヨーロッパ。戦争拡大期にも関わらず、男達は女性達に恋を語り続けた。戦の最中でも(心に)余裕のある、恋愛を大事にする男達が大勢いたヨーロッパ。その魅力は尽きる事がないですね。
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