「形(型)」の流儀

時を紡ぐ~Japan~

武道では、強いことよりも「型(かた)通り」に出来る事が重視される。

因み、「カタ」は、昔は「型」で良かったけど、武道や芸道の一部では、フォームを意味する「形」を用いるのが通例化してきているようです。が、「カタドオリ」は「型通り」と書く。

形(型)は、「奥義」「極意」と同義語だが、型通りに出来ることを極めたことが認められれば『免許皆伝』となる。強さを伝授出来るから師匠ではなく、奥義(秘儀)・極意を型通りに伝授出来る免許皆伝者こそが師匠になれる。以上のような考え方は武道のみならず芸道(茶道、華道、書道、香道、その他)にも色濃く根付いている。

「型通り」行うことは「仕来り」を守ることでもあり、家の家風となり、地域社会の風土の象徴である祭りにも生かされてきた。理屈じゃなくその通りに真似る。その通りを伝承し続ける。守れない者は除け者となる。「家風に合わない」「社風に合わない」ただそれだけのイメージでアウトロー扱いされた人達は訴えることも許されない。そういうものなのだ。

師匠の物真似をする。型通りのことを寸分違わず行えて、尚且つ、自分の形(型)を持つことが出来れば一流になれる。一流とは、流儀・流派に属そうと属すまいと、「個」の型(流儀)を認めざるを得ないくらいに極めた人への尊称である。そして、一流と呼ばれる人こそ、自分以外の他人を蔑むことをしない。先人を敬い、自分流の「型」がどんなに立派な完成品であっても謙遜こそを美徳として佇まう。

「型通り」を好んだ日本では、他人の理不尽な悪意に対しても、きっと自分の側にも非があったに違いないという考え方に至ることがある。つまり、形(型)≒正しい姿勢を間違っているのは自分ではないかと自問し、(非が無くとも)自分の側から詫びてしまうという不思議な習性が身に着いてしまった。だから、どんなにきつく相手を懲らしめても、最後は「叱って悪かった。酒でも行こうか」みたいに詫びで閉じるような、それで全てを済ますような慣習も出来上がった。一言詫びを入れたかどうか、それこそが他人と接する流儀として必要だった。なので、相手を叩きのめす為の厳しい修行に耐えた仕合(試合)でも、「礼に始まり礼に終わる」が求められた。
どんなに多くの成功を重ねた人であっても、礼儀知らずは嫌われる。それが日本だった。日本流の教育だった。

「型通り」の教育が行われる、或いは好まれる日本では、「型破り」であることは面白くは思われても多くの場合は嫌われた。特許性の高いものなど、突飛な発想が出来ることは喜ばれても、「型破り」=「無礼者」では誰にも認められずに表舞台で輝くことは皆無に近かった。しかも、形(型)は強制されて学ぶのではなく、自らが選び学び取るものという考え方もあり、皆、競争してコピー人間となっていった。第二の誰々、第三の誰々、ポスト誰々、誰々の再来、誰々二世のような呼称を付けたがる。第一号の成功者を認めたがらず、必ず先人を挙げてその後継者であるかのように語られる。全く違う分野であっても、例えばサッカーのスターを嘗ての野球界の英雄に置き換えたりする。

でも、それでこそ日本は世界を席巻していった。スーパーヒーローが没しても、必ずその人の形(型)を完全にマスターした、第二のスーパーヒーロー、第三のスーパーヒーローが後を追い、そして新たな形(型)を起こして追い越して行った。
「型に嵌める教育」かもしれないが、その実は、自ら「型に嵌ってみる」ことを目的とする。先ずは型に嵌まり、そこから新たな道を見つけ、真の「型破り」な成功へ切り拓く。このような考え方、育て方が日本独自の流儀だった。それは日本人にしか出来ない流儀だったから、日本ならではの成功者を続々輩出してきた。ところが・・・

「型通り」の中にこそ日本なりの自由があったのに、それを理解し切れないアメリカ合衆国その他の「自由のお仕着せ」を受け入れた結果、ろくでもなく無礼で形(型)知らずの人間達ばかりになった。だから、世界を驚かすような型破りの人が少なくなってきた。いずれ、日本的な「型破り」な人は出なくなるのではないか?と思う。

日本独自のそれこそ世界に誇れる文化である筈の形(型)の流儀をもう一度ちゃんと根付かせないと、日本は廃れると思う。が、完全な欧米式国家・文化になりたいのなら別に文句もない。好きに自由に個性的にやればいい。しかし、個性的な人間ばかりになって、どうやってスペシャルな個性的スターを生み出せる?皆が、一通りのことをやれるからこそ、其処からちょっと変わった個性的なスターが生まれる筈なのだが・・・。

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