ロリコンの本質と毒性

LOVE & EROS

『源氏物語』と『ロリータ』対比

ウラジーミル・ナボコフは、 著書『ロリータ』の中で、ニンフェットに対する大人の欲望(性愛欲)を描いた。作家としての意図は分かりませんが、少女への偏愛趣向を持つ大人達、性の興味を隠し切れない少女達、そして社会全体に対して警鐘は鳴らされた。

綺麗な少女、可愛い少女は星の数ほどいるし、分別あって然るべき大人であっても、少女達に惹かれて恋心を抱くこともあるでしょう。大人になっても美少女アイドルに熱狂する人は世の中に無数にいる。けれども、「少女に恋心を抱く」ことと、「少女でなければ愛せない」ということは全く別物

紫式部の著書『源氏物語』の主人公・光源氏と、『ロリータ』のハンバート・ハンバートは共に少女から慕われるがその経緯は全く違う。

『源氏物語』の若紫と『ロリータ』のドロレス。立場も相手も全く違うけど、まだ心身が成熟していない少女が、大人の男と強く向き合えば向き合うだけ心と体のバランスが壊れていく。という事を、紫式部は女性の側の視点から、ナボコフは男性の側の視点から描いて見せた。そして、結果としては二人とも(紫、ドロレス)、けっして幸せな結末には至らない。が、光源氏に愛された(育てられた?)紫の方が、ドロレスよりは良かった?いや、女性達の中には、もしかすると既定路線を決められてしまった紫よりは、少なからず自由奔放でいられたドロレスの方が良かったという意見の方が多数を占めるかもしれない。

『源氏物語』

●光源氏は特定年齢層にしか興味がないわけではなく少女とも熟女とも恋愛出来る。いや、少女とは恋愛しているわけではなく、自分好みに育て上げている。
大人の女性(母の面影を持つ藤壷の宮=父の後妻)に恋焦がれた源氏は、藤壷と印象が重なる少女・若紫を囲う。そして(藤壷のような)理想の女性に育て上げようとする。光源氏18歳で若紫8~9歳の出会いです。若紫は頼れる相手を誰も持たず、光源氏を兄とも慕い、父とも慕い、そしてママゴト感覚ではあるが将来は優しい源氏の”お嫁さん”となり生涯傍に居られる事を夢見るようになる。 そして歳月が過ぎ行き・・・

若紫(=紫の上)は晴れて源氏の妻となる。しかし、源氏の身の上に様々な事が起こり理想の夫婦関係を構築出来たとまではならない。源氏は恋多き男性で、理想の女に育て上げた紫という妻がいても、紫以外の女性達と恋の遍歴を重ねていく。それでも源氏を慕い続けた紫は、生涯を閉じるその時まで、(他の女性とのことを何度も嫉妬させられたけれど)源氏ただ一人を愛し抜いた女性だった。そして源氏も、紫を心から愛していた。少しだけ?モテ男過ぎたから浮気性のイメージも付いてしまったけれど源氏なりに妻としての紫を大切に思い愛を注いだ。但し、図らずも最も信頼する紫から正妻の座を奪いかねない女性との関係まで断れないという源氏は、”モテない”常人ではやっぱり理解し難い。で間違いではないと思うのだけど・・・

紫の上は「女性」として「妻」として源氏に愛され、生涯を閉じる。最愛の男性(源氏)との間に子を授かることもなく”母”という立場にはなれなかった。そのことが少し寂しい最期(御法)のように感じられたけれど、紫式部は、源氏物語を書き始めた当初から、紫に対して敢えてそういう運命を課すことを前提で描いていったのでしょうね。

洋の東西を問わず、権力者と結婚相手の年齢差が一回りも二回りも、更に三回りも違う事はザラにあった。しかし、紫式部が描いた光源氏は、明らかに、若紫を理想の女とするべく心を”調教”していた事になる。若紫は自我の目覚めにバランスを失い、徐々に心に異常を来たしていく。人間心理、男女の心理を見事に描いた紫式部という人は、心を読み解く天才ですね。故に、我が国きっての才媛と呼ばれたのでしょう。けれども、平安時代に少女性愛趣向などという言葉も考え方もなかったと思うし、男女や恋愛に関する道徳観も現代の事情は当て嵌まらない。今の時代の様々な事情を知った上で紫式部なら、どういう物語を作れるだろうか?

作家(小説家)に時代まで変えられる力があるのなら、是非、『源氏物語』以上の社会性のある愛憎物語を書いて欲しい。そういう作品なら是非読みたい。

『ロリータ』

●ハンバート・ハンバートは、 ロリータことドロレスを手に入れる為に、少女性愛主義者であることを隠して(我慢して?)ドロレスの母親に近付いた。

『源氏物語』から約千年後に書かれた『ロリータ』の主人公ハンバート・ハンバートは、明らかに少女性愛主義者として描かれた。その相手ドロレスが、ニンフェット期の少女だからこそ彼は意識して恋する。彼は、特定年齢時期の女性に対して(性的に)欲情する男だった。そしてその事を見抜いたかのように義父となったハンバートを誘惑するドロレス。しかし、ドロレスの自発的行動のように見えて実際は、ハンバート・ハンバートが、ドロレスに自分(ハンバート・ハンバート)を誘惑させるように仕向けたことでもある。やがて、ドロレスは心のバランスを取れなくなる。

ウラジーミル・ナボコフはロリコンだったのか?

ウラジーミル・ナボコフは、裕福なロシア貴族(父は高名な政治家ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフ)の出で、ロシア革命時にドイツへ行き、そしてアメリカ合衆国へと亡命した作家。普通に結婚して子どももいた。だけど代表作『ロリータ』はあまりにも衝撃的だった。この作品を書いてしまった(どうしても書きたかったので書いた)ナボコフは、欧米社会の性の闇を表沙汰にした。ナボコフ自身に少女への性愛感情があったからドロレスに対するハンバート・ハンバートの情欲を描けたのか、それは何とも分からない。けれども、誰だってハンバート・ハンバートに成り得る(ロリコンになる可能性を秘めている)。という考えを持っていたのだと思う。

ナボコフは、有力政治家の息子として育ったから社会風紀の乱れや性の低年齢化を危惧する考えに至った。なんてことまでは言えないが、「社会風紀が乱れれば、国は滅ぶ」という警鐘を鳴らす意味で『ロリータ』を書いた。そうかもしれない?結局、ウラジーミル・ナボコフという今は亡き作家さんが、ロリコンであったかどうかなんて分かりません。

「性の低年齢化はろくな社会を招かない」という事には多くの人が賛同しているにも関わらず、現実には、性の低年齢化に歯止めは効かず、性風紀も乱れに乱れています。インターネットもそれ(性風紀の乱れ)を助長し、多くのロリコンが今日も少女たち(の体)に視線を這わせている。しかも、AI生成などという合法かどうかギリギリの”裏技”まで出て来て、・・・世の中、どうかしている。

少女たちの側も大人を手玉に取って心や財布を充たそうとする。綺麗ごとは嫌いだが、「お金に綺麗も汚いもない。お金はお金だ」と言っても、薄汚れた金品を得た代償は高くつく。必ず、災いに見舞われる。

女性は当たり前だが社会の母体。社会の母でもあるのに、女性の心が腐っていけば社会が腐るのは当たり前。だから、ろくでもない男も数多く生まれる。ろくでもない男が増え、ろくでもない男しか相手に出来ない女が増え・・・情けない社会と化す。

ロリコンの本質

眩しいばかりの美しさに、一瞬にして心を奪われる」。いわゆる、一目惚れによる恋ですが、人は「眩しい!」と感じれば、眩しさを躱そうとする。太陽の光であろうと車のヘッドライトであろうと、眩しいものを裸眼で見続けるような馬鹿な事はしない。つまり、自分にとって眩し過ぎるものに対しては、防衛本能が働き、見続ける事はしない。ところが、心を奪われてしまう程に恋すれば、眩しいばかりの相手をもっと見ようとする。眩しさの先の正体を知りたくて仕方なくなる。

★眩しいものを凝視すると眩しさに目が眩む。=≫目が眩めば、焦点がぼやけて余計に正体が分からなくなる。=≫相手の正体がよく分からない盲目の恋では、相手の事を思いやれなくなる。=≫自分だけに都合の好い独善的な恋になる。

「ロリコン」は、相手の年齢とその見た目の眩しさに対して盲目的な恋をする。

人は、成長してその輝きを増していく。ところが「ロリコン」は、輝きを増す筈の成長を嫌う。つまり、「それ以上は輝くな」「今の輝きを保ってくれ」と、自分勝手な思いを押し付ける。ニンフェット年齢期だからこそ恋したのであって、それ以上の輝きを求めていない。相手が大人へと成長して更に輝いて行こうとする事を喜ぶどころか、その輝きを阻害する。例えば、14歳の少女に恋をしたロリコンは、少女が15歳、16歳となっていくのを成長して輝きが増すとは捉えず、輝きが衰えると見る。随って「成長を止めてくれ!」と願う。相手が成長しない事を願うってのはどう考えても相手の事を思っていない、自分だけの一方的な都合を押しつけているだけである。そういうものが、恋とか愛である訳が無い。であるから、「ロリコン」の恋は、邪恋でしかない。 

誰かに恋をして、恋人にしたいと思った場合・・・
●恋した相手に認められるように、相手が成長するのなら自分も成長して、相手の成長を包み込む(相手に認められようとする)

それが普通の人の考え方。 成長が足りないと思えば「相応しい相手になって見せるから信じて待ってくれ」とかの言葉も云う(白々しい場合もあるが)。

10代の少女が20代の女性になっても、30代の女性になっても、その気持ちが変わる事が無かったから初恋が実ったというケースは世の中に無数に存在する。相手の年齢に恋するのではなく、相手の存在そのものに恋する。それが当たり前。だから「将来を約束出来る」。そしてお互いに将来を誓い合える。しかし・・・

年齢に恋をする、相手がその年齢だから興味を持つ「ロリコン」には将来を約束する事など不可能。将来を約束出来ない人間を、信用出来る道理が無い

信用されないから、「ロリコン」は力づくにもなる。「ロリコン」が心優しい?有り得ない。心優しく見えるなら、それは騙されている。もしも心優しい態度に見える時は、そうしなけれなならない理由(つまり見せ掛ける)があるからです。基本的に、「ロリコン」は心が狭いからそうなっているので、誤魔化した優しさが嘘だとばれると我慢が利かずに暴力的になる。

少女達は成長していく。顔も肢体も日々成長し所謂「女っぽく」なっていく。ロリコンは、その成長期に心奪われ、心を奪おうとする。本当の人の素晴らしさ、心の成長っていうのは、社会の多くと触れ合う中で創造されていく。つまり、大人の女性として相応しい姿へと成長していく。

ところが「ロリコン」は、狂気じみて少女期特有の速い変化にこそ心ときめき邪心と性欲を覚える。大人の女性の穏やかさ、嫋やかさには興味を持たない。完成されていく事を嫌い、未熟である事を好む。本能的に、自らが未熟者であり、大人の女性として完成されて行くにつれ、自らの自信を保てなくなるのがロリコン気質。大人の女性には受け入れられない事を分かっているから、恋をした相手(少女)には、大人になってもらっては困るわけです。だから、「ロリコン」は少女期の変化は(特に体の変化)異常に喜ぶが、大人の女性として見掛けが落ち着いていくと、途端に興味を失っていく。

愛しい筈の少女の成長とか未来の人生とか、そういう事に対しては目を瞑って見ようとしない。どういう仕事をするんだろうとか、どういう家庭を築くのだろうとか、恋した相手に対して普通の男が夢見るような事を思わない。ちょっと気色悪い事を書くと「(ニンフェット対象期限定で)どんな体になっていくのだろう」と邪悪な妄想の中で服を剥がして性欲を巡らす。その喜びだけで生きている変態に過ぎない。不肖私ですか?ロリコンかどうかは知りませんが変態ですけど?(笑)

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