「生きる」を愉しむ~食と性の文化~

LOVE & EROS

「歴史学」を語ってみる

人類が、学問的に歴史を叙述するようになった正確な時期は分からない。しかし、ギリシアやローマ以前の古代諸国家の歴史が断片的にせよ史料として見れるということは、当時の人々が自分達の「今」を記録として残そうとしてくれたからこその賜物。いにしえの人々の生活・文化などを垣間見ることが出来ることは(歴史好きの)現代人にとって極めて有難い。(尤も、その多くの部分は、推定・想像に過ぎないのでしょうけど)

推定や想像の”物語”によって導かれた歴史は、あくまでも創造史。また、相当詳しそうな史料であっても、著述者の立場により意図的編纂を施されている事もある。同じ時代の同じ国家の歴史史料が複数ある場合、内容に食い違いがあることは珍しくない。勝者が勝者故の立場を正当化するために相手を悪く書いてあることも多々ある。何らかの意図があって史料として残されている場合、その時の為政者の思想や信条、国家や民衆の状況などを別の史料に求めて比較検証する事なども必要とされる。

そのように、既存の史料を鵜吞みにせず、恐れず批判することも行う実証主義に基づく学問として、『歴史学』が確立されたのは実は結構”最近”のことで19世紀になってから。
無論言うまでもなく、それまでの歴史研究が嘘八百であったなんてこともない。17世紀ルネサンス期のヨーロッパに於いて、既に、史料批判の方法論が学問的に確立された。それ以前の歴史学者の功績も否定されるものではない。が、歴史は未来へ向かえば向かうほど(科学進歩などにより)過去へ過去へと知ることが可能になる。今後さらに過去の曖昧な歴史が次々と実証され書き換えられていくことは間違いない。今ある歴史だけが事実ではない。事実は未来によって明かされる。それが歴史です。

20世紀を代表する歴史学者のE・H・カー(1892年~1982年)の代表的著作『歴史とは何か』で主張されているように、「歴史とは過去と現在の尽きることのない対話」。故に、”過去と対話した”学者個々人の時代観や人生観に大きく左右される事だって有り得る。だからこそ、歴史研究にはあくまで実証性が求められる。特に、個人が小説や映画やドラマや漫画などを参考に想像書きしたような話は、雑記に過ぎない。絶対に、正しく検証された史料に基づいていること以外を史実の叙述などと思い込むことはダメ。であるから・・・当BLOGはエッセイサイトであり、歴史サイトなんて名乗れません(笑)

生活文化は食と性を愉しむことで生まれる

さて今回の主題は、昨日、11月3日”文化の日”に因んで生きることを楽しむ「生活文化」についてです(いつもながら、前置き長過ぎやね・笑)。

王政、共和政、帝政と変遷した古代ローマ。19世紀のドイツを代表する、と言うより「近代歴史学の父」として世界的権威であるレオポルド・フォン・ランケは、「全てはローマ史に流れ込み、ローマ史から全てが流れ出る」と言った。ローマは、人類の歴史に於ける古代期約5千年の内、千年の時を世界の中心的国家として歩んだことから、(人類の)実験国家とも言われる。現代では、アメリカ合衆国を指してその言葉(実験国家)は使われているけれど、全ての始まりはローマにある。そして帝政期は、人類史上でも稀に見る美食期であったと謂われ、その頃の調理法をレシピに残した書に『アピシウス』という書があります。

アピシウスは、第二代皇帝ティベリウスの時代の高名なグルメ料理人マルクス・ガビウス・アピシウスの著と云われ続けて来たのですが、最近の研究では、どうやらそうでもないらしい。そうではなくなった理由として、ローマやその近郊の一般庶民の家庭料理のレシピも多く含まれていることを指摘されての事らしいです。どうして、一般庶民の家庭料理がグルメ料理からは外されなければならないのか?不肖私のように、何でも「美味しい!」と食うような者にはちょっと理解に難しい。しかし、兎も角それは貴重な食の史料であり、史上空前の快楽追求国家でもあるローマに生きた人々の食に対するこだわりが見て取れる。という事らしい。読んだ事がないので「・・・らしい」としか書けませんけれど。

ローマの特に貴族階級と食に関しては・・・
食事の時だけに着る使い捨ての服を着用した。
寝そべってでも(つまり満腹でも)吐きながらでも食っていた。
ローマ人がいなければ人類は豚を食わない者ばかりだった。
とか言われている。特にローマ人が豚を調理して食っていてくれたし、酒好きな人たちだったことに不肖私などは感謝するばかりです。おかげさまで、年中酔っ払いの豚腹(豚バラ)です。

ところで、美食とはまったく関係ないのですが、女体盛りはいつから始まったのか?日本では漠然と江戸時代としか分かっていないみたいですが、取り敢えず、そういう遊び(芸者遊びの一種)が一般化するのは現代風な刺身料理を食するようになって以降の事でしょう。すると、現代風な刺身料理は、醤油を用いるようになってからですから、一般的には大体150年前くらい。ということは江戸時代末期となるので、女体盛りも比較的新しい”食文化”という事になる。いや、食文化ではなく性文化でしょう。ただの変態です。そもそも、冷えてるから旨い刺身を女体の肌温度に触れさせるなんて・・・これは舌で味わう料理ではなくて”下”で感じる料理ですね。

ワカメ酒も芸者遊びから一般化した趣向ですが、これはまぁ、女体盛りよりは味わえるし艶やかな感じはします。

兎も角、食と女性を絡めることはエロスの極みとも言え、性を愉しむことでも抜きん出ていたローマ人は、食(宴)と性を同時に楽しむことを一般化してくれた。それまでは、特別な階級者達が余興として楽しんでいたことを、ローマ市民は特別なことでは無くしてくれた。食も性も誰もが愉しむことを後世へと繋いでくれた。人間誰もが食欲も性欲も持っている。このことは貧富や身分に関係なく人として共通している。食文化も性文化も、生活を楽しむという点に於いて重要な要素です。

人類が、ガツガツと食って料理の味を舌で堪能するばかりではなく、視覚的な満足を求めることも覚えたのはいつの頃からなのでしょうね。料理の専門職が登場した何処かの国家の王宮辺りを起源とすることは間違いないと思います。でも、宮廷料理人誕生のそれ以前から、既に、人間社会は競争することが当たり前になっていたでしょうから、選ばれし宮廷料理人がずっとその立場にいられたわけでもないでしょう。やがて、別の人にその立ち位置を取って代わられ追いやられる。でも、調理の職人として生きていきたいと思うなら、宮廷以下のレベルで料理を提供することをしなければならない。このような流れと、勿論逆の下から上への流れも相まって、民の生活の中にも専門職人が提供する料理を味わえる店が登場し、客獲得を競い合うようになり、民衆料理のレベルが上がっていく。

そして現在の市民社会はわざわざ、自分が今から食べる料理をスマホ撮影して見ず知らずの誰かに見せるという、実に馬鹿げた行動も取るようになった。それも”承認欲求”というものらしいけど、自らの食生活を人に見せてまで自己アピールをしたいという不思議な社会文化の中で生きていると、自分の食べている姿も見て欲しいし、自分の生活そのものを見て欲しいとも思うようになるのでしょう。自分の満足を自分だけの満足では物足りない。だから見ず知らずの他人にまで自分の満足を分からせたい・・・要らぬお世話なんですけど、これもまた文化の進化(退廃?)ですね。

取り敢えず、世の男性には、食事する姿にさえも女性美を覚えるフェチ性が根付いていることは間違いなく、女性の存在そのものが文化、或いは「女性の生き方、女性の見方にこそ文化がある」。男にとっては、「女性美を愉しむ余裕こそ価値ある文化」です。

ところで、アピシウスで検索すると多くの店がヒットしますね。意外と有名な言葉なんだなって改めて知りました。終わり。

コメント