サッフォー。十番目のムーサと称された才媛

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エーゲ海の北に位置するレスヴォス島(レスボス島)は、ギリシア本土よりはアナトリア半島に近い。代表的な都市と言えば(と言っても、現在人口は4万人に及ばない)は、歴史上に於いて結構有名なミティリーニです(ミティリーニ島とも言われる)。

ミティリー二がその名を歴史に深く刻む発端は、リュディア王国が、紀元前6世紀末頃から紀元前4世紀半ばにかけて発行した世界最古の鋳造貨幣(硬貨)エレクトロ貨の鋳造拠点であったから。つまり、その頃のレスヴォス島は、ギリシア国家ではなくリュディア王国の領土だったという事になる。

次にミティリーニの名が大きくクローズアップされたのはペロポネソス戦争。
この時、デロス同盟からの離脱を図ったミティリーニは、ペロポネソス同盟のリーダーであるスパルタに支援を求めた。デロス同盟の中心国家アテナイは空かさずミティリーニへ進軍。ミティリーニはなすすべなく敗北。そして一方的な軍事裁判が行われ、その結果、ミティリーニの成人男子は全員処刑、女性と子どもは全員奴隷という判決が下される。
ミティリーニはアテナイ軍に完全包囲され残虐な処刑が行われようとしていたが、判決を下したその日の夜に心変わりしたアテナイ市民は、処刑を取り止める決定を下した。その報せを持った船の到着が間一髪で間に合ってミティリーニ市民は救われる。(※後に、シケナイ遠征で大敗北したアテナイに対して、ミティリーニが再び叛乱する)。

その後は、アリストテレスが居を構えていたなどという話が目立つ程度ですが、ミティリーニとレスヴォス島は、エレクトロ貨の鋳造拠点となるもっと以前の紀元前7世紀末に、歴史上有名な女性の生誕地となっている。
その女性とは、人類史上初めての”女性教師”と云われている(本当かどうか分からないけれど)伝説の美女サッフォーです。サッフォーは、主に、女性達への愛の詩を綴った女流詩人でもあった事から、レスヴォス島を「レスビアン」の語源としてしまった事でも有名(寧ろ、その事でこそ有名になった)。

1852年 ジェームス・プラディエ作、『ギリシャの詩人サッフォー』オルセー美術館 / サッフォーは、アフロディーテのモデルとも云われている

サッフォーの死は、紀元前6世紀末とも紀元前6世紀半ばとも云われますが、紀元前427年に生まれる高名な哲学者プラトンは、サッフォーへの敬愛の情が深く、彼女を”十番目のムーサ“と称しました。ムーサとは、ギリシャ神話に於いて文芸を司る女神の尊称です。

実在が確実視されているサッフォーですから、(ギリシア)神話に女神として祀られる事は有りませんけれど、プラトンの言葉を借りるなら「人間の姿をした女神」。
サッフォーよりも約2世紀後に活躍するプラトンですから、サッフォーを見たことは当然ありません。けれども、サッフォー伝説に聞き惚れて(魅了されて)彼女を神格化してしまった。サッフォーの人生を短く物語風に書けば、「人間として生かされた女神サッフォーは、人間の女性達に美と教養を教えることに成功した。しかし、人間として生きたサッフォーは、老いてしまったことにもがき苦しみ、最期はイオニア海へ身を捧げた」。

因みに、ムーサを囲う(主宰)のは、芸術の神でもあるオリュンポス十二神の一人、且つ全能の神ゼウスの息子アポロンです。
アポロンは、言葉に愛の魔術を秘められる神で、ムーサ達に対してしょっちゅう言葉を投げ掛ける(=愛の詩を奏でる)。それに同調するムーサ達。素肌に透き通る衣をまとっただけのムーサ達が、時には詩を求め、時には歌を求め、時には絵を求め、時には・・・と、アポロンに対してあらゆる芸術の営みを求めては、その足元に寄り添い体に寄り添い・・・。まあ、ちょっと想像するだけで羨ましい光景です(神を羨ましく思っても仕方ありませんが)。アポロンの話はさて置き・・・

アフロディーテを模った女神像のモデルはサッフォーだと云われています(投稿画像右は、アフロディーテ像です)。アフロディーテのモデルと云われている程に素敵な美女だったサッフォーは、古代ギリシアの九人の歌唱詩人の中にも名を連ねています。歌唱詩人には、合唱詩人と独唱詩人がいてサッフォーは代表的な独唱詩人です。

殆どの人は、紀元前何々世紀頃の人と書かれていることに対して、実はサッフォーだけは、紀元前612年頃の生で55歳で死んだと記されています。しかも、父親の名も刻まれていて、レスヴォス島の貴族スカマンドロニュモスと云うことです。そこまで明記されたものがあるので、漠然と書いた紀元前7世紀末の生まれとか、紀元前6世紀末の死没という伝説は何も通じなくなるのですが・・・

プラトンがサッフォーを称した”十番目のムーサ”という由来について。
サッフォーと同時代を生きた古代ギリシアの叙事詩人ヘーシオドスは、サッフォーとは詩人としてライバル関係にあった。そしてヘーシオドスは、「叙事詩の女神」、「歴史の女神」、「抒情詩の女神」、「喜劇(牧歌)の女神」、「悲劇(挽歌)の女神」、「合唱の女神」、「独唱の女神」、「物語の女神」、「天文学の女神」という九姉妹の女神の叙事詩を書いた。それが”九つのムーサ”。
プラトンは、へーシオドスの九つのムーサ叙事詩に対して、誰か一人お忘れではないですか?という意味を込めて、サッフォーを”十番目のムーサ”と称した。ということです。ヘーシオドスは、ライバルであり人間のサッフォーを”ムーサ”とは呼べませんが、サッフォーを女神のように敬ったプラトンは、ヘーシオドスも本当はサッフォーを恋しく想っていた筈なのに、”ムーサ”と呼べずに可哀想に・・・と思ったのかもしれない(勝手な妄想)。

若くして豊かな教養を身につけたサッフォーは、レスヴォス島の乙女達の為に私塾を開き、そこで叙事詩を詠み与え、 竪琴と歌を教えます。その私塾が、人類最初の女子だけの為の学校=「女学校」と云われます。
女性だけの秘められた世界には誰も足を踏み入れる事が許されませんが、男達や、その学校へは入れない年齢層の叔母様方は様々な噂を走らせた。つまり、「サッフォーは娘たちに対して、性的な儀式を行っているのではないか。」と。
それが本当だったのかどうかは分かりませんが、この学校(私塾)が実在した事と島名のレスヴォスが「レズビアン」の語源となったことと併せて、人類史上初めての「女教師」=サッフォーの名が伝説化されます。

圧倒的にトルコに近い島ですが、そこ(レスヴォス島)は現在ギリシア領です。当時のレスヴォスの首都ミテュレーネー(=ミティリーニ)の学校跡地には、今でもアフロデーテ像が大切に祀られていて、サッフォーは、事の他アフロデーテを崇敬していたとされます。現在のレスヴォス島に暮らす女性達の多くがアフロデーテ信仰を行っているということです。ところで、サッフォーが本当にレスビアンだったのかどうかは大いに疑問視されるところです。

サッフォーは、若い頃に、シチリア島の有力者と一度は結婚してレスヴォス島を離れています。が、早々に離婚。レスヴォス島に戻って私塾を開き、女教師として長い歳月を過ごした。或る時、突然、彼女は、20歳そこらの島の船乗りに恋焦がれてしまいます。その船乗りの名はパオン。しかし、パオンはサッフォーに対して見向きもしません。彼女のプライドは酷く傷つけられますが、それでもパオンを諦めきれない。今で言うストーカー的行動を取るようになっていく。賢女と称されたサッフォーに何が起きたのか?恋は盲目である謎です。
執拗なサッフォーから逃れるように、船乗りのパオンは航海へ出ます。が、何とサッフォーは、全てを捨ててバオンを追って船に乗る。ところが、イオニア海に浮かぶレウカス島(レフガタ島)まで来た時に、サッフォーは水面に浮かぶ自らの容姿を見て愕然とする。55歳の彼女は既に老いていた。
若いパオンに言い寄っていた自らの行いに対して目を覚まされた時、言い知れぬ絶望感に見舞われる。その時、アポロン神殿がある白い岩の断崖へ向かいます。

ムーサであれば、アポロンの足元に縋り付き癒されもしたでしょうけど、人間のサッフォーは、自らが築いた詩人や教師としての功績全てを捨てた事の重みに耐え切れなかった。彼女は身を投げ、イオニア海の渦に消えて行きます。サッフォーが身を投げた岬の名は「レフカタスの岬」。
ギリシア女性の間では、アポロン神殿の丘から身を投げればその思いが通じるか、その一生をアポロンに愛される。という言わば都市伝説のような話があったらしい。その事に因り、サッフォーの身投げは、命を絶つ目的ではなく、永遠の若さを手に入れて恋を成就させようとした執念の行動という見方もあるらしい。そして、プラトンが”十番目のムーサ”と呼んだ本当の理由を不肖私なりに考えました、

レフカタスの岬から身を投げ、浮かび上がらなかったサッフォーはそのまま女神=十番目のムーサとなり、永遠にアポロンの傍にいて愛されている。つまりプラトンは、アポロンになれることを強く望んでいたのかもしれない。

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