野獣だって愛を知る

LOVE & EROS

男性であれ女性であれ、嗜虐趣味から抜け出せない者達がいる。被虐趣向に填まる者もいる。ホモ・サピエンスの性は謎に満ちている。その謎深きホモ・サピエンスの性癖(性趣向)は、”異種姦淫”をも需要の有る分野(ジャンル)として確立させた。需要があるから”供給”する側は手を変え品を変え作品制作し続ける。

“ヒトに非ず”の邪悪なものによって人間の女が凌辱されるというストーリーは世界中に数多ある。そもそも建国話に纏わる神話さえ、神か邪神か鬼か魔物かとの交わりが描かれる。異種婚姻譚へ向かう話だって然も当たり前のように描かれ、人々は何も思わず神話(のエロス)を受け入れた。

異種婚姻譚話として、世界的に有名な一つが『美女と野獣』。この話は、ヴィルヌーヴ夫人(ガブリエル=スザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ)が最初に書いた長編(1740年)と、それをボーモン夫人(ジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモン)が書き直した(1756年)短編の二つが存在する。

最初の原本(ヴィルヌーヴ版)の方は華やかで明るく、原本から一部を抜粋編集したボーモン夫人のバージョンでは(今なら、盗作とも言われそうだが)少し暗い印象とされる。が、ヴィルヌーヴ版よりもボーモン版の方が世の中に広く受け入れられた。短編で登場”人物”も少ないから読みやすかったという単純なことかもしれませんが、謎ですね。。

人間が、非人間と結婚する話の結末は、人間に愛された異種生物(非人間)が、愛の力により人間になるというものが少なくない。人間になると言うよりは、元々は人間だった者が魔力によって異種に変えられ、最後は人間に戻るという話が多い。『美女と野獣』も、ラ・ベルに愛された野獣が最後は人間の姿に戻る。しかも美男の王子に、というもの。

『美女と野獣』はテレビドラマ版や映画版とか結構見てますが、不満もある。ラ・ベルには、野獣を、永遠に野獣のまま愛して欲しい。野獣だから愛せたのかもしれないし、美男の王子と分かっていて愛したわけでもないでしょう。野獣のまま愛されて、そのまま死んでくれた方が面白いのに・・・。ラ・ベルは、野獣という外見も全て受け入れ野獣を愛していると叫ぶわけだから、そこで美男の人間に戻るなよ、って思うのはダメですかね。実は美男王子だったというオチだから、世界中の女性を魅了したのでしょうけど。

此方なら、美女を野獣のままで愛したい。男ってそうだと思うけど?外見とか環境に関係なく好いてくれる相手だからこそ愛したいとか。ま、理想論ですけどね。

理想的な話と言えば、ドラキュラ。ワラキア公国の君主で、8万人を串刺しにして殺したとされるヴラド3世がモデルとも言われる吸血鬼ドラキュラは、出会った美女をドラキュラとして可愛がり、ドラキュラに魅了された女性は自らが吸血鬼とされる運命を受け入れる。ドラキュラが、ニンニク如きに敗れ去る(笑)とか十字架にビビるとか、ま、そういうことはさて置き、異種の者が異種の姿で・・・

おっと、こういう分野の話にわざわざ触れていること自体、嗜虐的であることの証でしょうか。

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