ベアトリーチェ・チェンチの肖像画の謎

LOVE & EROS

16世紀のローマに於いて、「名門貴族として隆盛を極めていた」と書き出せば、ローマ好きな人や絵画好きな人、更にはスプラッター映画好きな人に至るまで、多くの人に連想されるチェンチ家。当時の屋敷は”チェンチ宮”と呼ばれゲットー(=ユダヤ人居住区)に接していたが、ユダヤ人の多くから羨望と嫉妬の目で見られていたという。

フランチェスコ・チェンチ(1549年12月14日~1598年9月9日)が当主であった頃のチェンチ家は、一家も当主フランチェスコもローマ市民の嫌われ者だった。金と権力に物を言わせ、(ユダヤ人を含む)民衆に対して暴力を振い、若い女性を無理矢理連れ込んでは性宴の対象にするなど、貴族という身分がなければ即座の牢獄行き、場合によっては死刑宣告さえ免れない。当たり前だが、そのような傍若無人ぶりを聖職者達が認め拍手するわけもなく、ローマ教皇とは特に険悪の仲だった。

ところが、ただ一人例外者がいた。フランチェスコの娘ベアトリーチェ・チェンチ(1577年2月6日~1599年9月11日)は、まるで天使のように可憐な美少女だった。どんなにチェンチ家が憎悪の対象であっても、ベアトリーチェだけは、姿を見かけるだけで人々を笑顔にさせ、成長するに伴い、男達のみならず女達でさえもうっとりさせた。

ベアトリーチェは、幼少期より名門修道院で寄宿舎生活を送った後、15歳前に家へ戻ります。その頃、父フランチェスコの狂気は頂点に達しっていた。フランチェスコの非道な暴力は相手を選ばず見境なく繰り返されていた。狂いに堕ちたフランチェスコは、美しく成長したベアトリーチェが家に戻って来たその日の内にけだもののように蹂躙し、愛娘の処女を奪うという神をも恐れぬ所業に至る。その夜以来、何度も何度も関係を要求する狂った父をベアトリーチェは必死に拒みます。しかし、服を剝ぎ取られた彼女は全裸で監禁・拘束され、全身血塗れになるまで鞭打たれ性具を用いられるなど調教を強いられる。それはそれはおぞましく、誰も助けてはくれない日々の中、ベアトリーチェはもう父の言いなりになる以外の術を持てなくなった。

如何にもルチオ・フルチ監督(20世紀を代表するスプラッター映画の巨匠)や団鬼六さんが好みそうな異常性愛の話です。

ベアトリーチェの美貌に最も強い関心を寄せたのが、天才画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオでした。(※カラヴァッジオのみならず、同時代を生きた全ての画家、彫刻家が、ベアトリーチェをモデルに作品を創作する事を望んでいた)。
天使のような美少女は、性的虐待を繰り返された挙句の果てに翳りを含む妖艶さまでも身に纏い、カラバッジオら芸術家の視線を虜にしていた。しかし、その全ての申し出をベアトリーチェは断ります(ま、当然でしょうけど)。と、言うか、全て断ったのはフランチェスコ。愛娘、いや愛奴に仕上げたベアトリーチェの魅力を独占したかったフランチェスコは、ローマ近郊の田舎村にあったチェンチ家の持ち城にベアトリーチェを閉じ込めて、更なる調教を開始する。その狂態を想像するだけで・・・(おい、何を想像している?・苦笑)

或る日、或る時、或る事件でフランチェスコは逮捕される。その時ようやく救い出されたベアトリーチェは、父親から暴力を受けている事を告訴します。しかし・・・
当時のローマ社会は、フランチェスコを嫌い、フランチェスコがそのような非道な男である事を認めながらも、貴族特権がそうさせたのか何の罪科も下されなかった。更に、ローマ市民の多くが、(特にいやらしい男どもは)すれ違うだけで、生唾を飲み込むほど恋焦がれたチェンチ家のベアトリーチェが、実は、性的虐待を受けていたことを知り、連日連夜、その事で盛り上がって、勝手な妄想話の中で、皆がベアトリーチェを二次レイプの如く弄んだ。ローマの男たちにとって、可憐な美少女ベアトリーチェは、最早、ポルノスターと化した(まだ当時はそのような人は存在していなかったけれど)。救いようのない状況に、ベアトリーチェは、結局、戻りたくもない”監禁城”の扉の向こうへ引き篭もるしかなくなった。

釈放されたフランチェスコは、父である自分を告訴した娘を猛烈に逆恨みする。その仕打ちには憎悪も混じって、調教とか性的虐待とかいう度合いを超え、身の危険を感じたベアトリーチェは、遂に、父親への復讐を決意する。ベアトリーチェは、自らを慕う執事(オリンピオ)や兄(ジャコモ)、義母(ルクレツィア)に向かって、涙ながらに父に対する殺害計画を打ち明け、皆の同意を得た。

決行の日。計画通りに毒を盛られたフランチェスコですが、すぐには死なず反撃して来る。それに対して半狂乱のベアトリーチェらが棍棒や鉄棒で袋叩きに撲殺する。彼女らは、酔ったフランチェスコが誤って落下した”事故死”に見せ掛ける為に、2階のテラスから死体を突き落とす。

警察当局(当時は、ローマ教会の下部組織?)はその死因を疑い、一家を監視対象に置きますが、チェンチ家はフランチェスコを強行埋葬する。しかし、警察捜査は執拗で、その焦りから、ジャコモとオリンピオが仲違いする。オリンピオは執事の身でありながらベアトリーチェを脅し、無理矢理に関係を持って、まるで恋人のように振る舞い始めた。が、”恋人”と言うほどの愛情があったかどうかは分からない。やがて、その事に対しても怒り心頭に発したジャコモは、オリンピオを殺害してしまい逮捕される。捜査のメスはフランチェスコの死因にも及び、遺体の再検死の結果、撲殺が疑われる(現代でならすぐに分かりそうですが)。そしてベアトリーチェも逮捕。

恐らく、警察の男どもは、父と娘の性的虐待話に強い興味を持っていた。そして、牢獄に入れられたベアトリーチェは拘束具に掛けられ拷問(性的な)を受ける。それでも彼女は必死に耐えて口を割らなかったのですが、ジャコモやルクレツィアは、ベアトリーチェへの凄惨な拷問の様子を見せつけられ、耐え切れなくなって、遂にフランチェスコの殺害経緯を白状する。

・・・という事ですが、ベアトリーチェに付き添った執事は二人いて、一人は殺されたオリンピオ。しかし、本当の恋人(秘密の恋人)はもう一人の執事だった。ベアトリーチェに同情していた警察当局の一部では、この執事の単独犯行の線で捜査したかったのだけど、ローマ教皇がそれを頑として許さなかった。という話も有力説としてある。兎に角・・・

本来ならば、殺されたフランチェスコにこそ罪が有り、ベアトリーチェは、被害者として情状酌量となるべきところ。ですが、チェンチ家の財産没収を目論むローマ教皇と教会は、一家全員に対して死刑を宣告する。しかも公開処刑という、とんでもない結末へ。これって、結局のところは当時のローマ教皇以下ローマ教会が腐ってたって事です。今でも、ローマ教会には小児への性虐待問題があるし(参照記事)、聖職者なのか性蝕者なのかよく分かりませんね。

ベアトリーチェ・チェンチの肖像画          ホロフェルネスの首を斬るユディト             サロメ         ※上記何れの画像も、wikipediaよりお借りしました。

ベアトリーチェは、公衆の面前で裸同然の格好にされ、断頭台へ跨がされ斬首される。という屈辱的な非業の最期を迎えることになりますが、その最期の時を迎える寸前のベアトリーチェが描かれたのが、『ベアトリーチェ・チェンチの肖像画』。

この絵を描いたのは、グイド・レーニ。この時、彼女の頭にターバンが巻かれているのは、髪の毛で斧が滑らないように、という為に巻かれたもの。その表情は、全てを諦めた冷めた笑顔か、絶望を悟った表情か・・・

先に処刑された兄は、四つ裂きの刑。義母は同じように断頭台で斬首(当時は、まだギロチン台が無く、頭を挟まれた格好で処刑人が斧を振うという処刑法)。二人の最期を見て、一番最後に処刑されるのが22歳になっていたとは言えまだ若い女性であったベアトリーチェ。当時のカトリック教徒達ってのも残酷です。

此の絵を描いて以降グイド・レーニは、女嫌いになり、(というか、この絵を描いたトラウマなのか)生涯独身を通す。ベアトリーチェを救えなかったローマ市民は、ベアトリーチェの処刑執行日が毎年訪れる度に、自らの首を抱えたベアトリーチェの幽霊に怯えたという(都市伝説のようなものですが)。

ところで、処刑前のベアトリーチェの肖像画は本当に本人なのか、それとも死後、教会の依頼を受けたレーニが、似ている誰かをモデルにして描いたものなのか、後世のイタリアやヨーロッパ各地で物議を醸す。

この肖像画の構図を真似たと云われるのが、フェルメール作『真珠の耳飾りの少女』。そう云われれば構図的には似ています。フェルメールの絵のモデルも謎が多いのですが、一説ではフェルメールの娘・マリアとも云われています。父親に性的虐待を受けた上に、理不尽で非道な公開処刑という最期になってしまったベアトリーチェを偲び、フェルメールが自分の娘をモデルにして絵を描いたとも。

カラバッジオ作品、『ホロフェルネスの首を斬るユディト』の完成は、ベアトリーチェの処刑の年。(※ユディトと言われる女性のモデルはサロメでしょうね。)
ベアトリーチェをモデルにしたがっていたカラバッジオですが、実は、ベアトリーチェに対するフランチェスコの所業(悪行)を知っていた。それを知っていて尚、好奇心から彼女をモデルにしようとしていた。つまり、ベアトリーチェの裸体を描きたかった。そういう自らを恥じ、救い出せなかった(救い出そうとも出来なかった)彼女を想いながら、敵王をフランチェスコに見立て、その首を斬るユダヤ貴族の娘ユディトをベアトリーチェに見立てた。つまり、首を斬られる相手が違うだろう!という抗議の意を込めた絵?という解釈があることを最後に付記して終わりです。

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