『歴史』を書いた凄い人を評する愚人(私)のエッセイ

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全ては、ヘロドトスの”思い”から始まった

共和政ローマ末期に活躍した賢哲政治家マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前108年生、紀元前43年没///冒頭紹介絵の左から3番目の人)は、『国家論』『法律』『義務について』他、多くの書を著述した高名な文筆家でもありました。権力に近い位置にいなければ、もっともっと多くの”秀文”を後世に遺してくれた人であったでしょうけど、カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル)に屈して命と才を断たれた。惜しい事を・・・。そのキケロに”歴史の父”と称され、現代に至っても尚、多くの史家に敬われ、新たな読者を獲得し続けている人がヘロドトス(冒頭紹介絵の一番左の人)。

ヘロドトスは、紀元前484年頃に小アジアのハリカルナッソスで生まれたドーリア系ギリシア人です。それに因み通称は”ハルカルナッソスのヘロドトス”。無論、そんなに長ったらしく呼ばずとも、ヘロドトスだけで世界中通じる、人類最初の統括的史書と云われる『歴史』の著者。ヘロドトスは、紀元前430年頃に没しますので、自分の死後にギリシアが没落して完全にローマに取って代わられた世界を知りません。キケロを始め、多くのローマ人に敬われたことも知りません。でも、自分が生まれる前の紀元前499年頃に始まり紀元前449年頃に終わったギリシア・ペルシア戦争については良く知っていて、分かりやすく詳しく書いた。・・・筈だった。ところが、キケロの没年から約1世紀後の紀元46年頃に生まれたプルタルコスは(~没年119年以降 ///冒頭紹介絵の左から4番目の人)、「『歴史』には、ヘロドトスの悪意が込められ、真実は多分に歪められている」と、辛辣な批判を行っています。死人に口なしで、反論出来ないヘロドトスが可哀相ですが、ヘロドトスの『歴史』は、自らが想像を膨らませた”見たことが無い”世界までも書いた。そして、実際に自分が訪れた地に対する思い入れによる誇張も過ぎる。題名は歴史でも史書と言うよりはファンタジー。これは読んだことのある人ならすぐに理解出来ると思います。でも、ヘロドトスが、この世で初めて歴史を歴史として捉えようとした人であることは間違いない。ただ、最初の人で前例が無かったのでどのようにしたら皆に、学問としての歴史の重要性を説くことが出来るかと、試行錯誤の上に世に(歴史学を)問うた偉人だと理解します。

プルタルコスは、帝政ローマ初期に活躍した高名なギリシア人著述家です。『対比列伝』(=日本語訳名では『プルターク英雄伝』)があまりにも有名ですが、分かっているだけで生涯227作品(書物)を書いている多筆家(多作家)です。政治や宗教、哲学、社会を論じた随想『モラリア(倫理論集)』は、エッセイの起源と言われ、エッセイサイト運営者は、プルタルコスをもっと知るべき?なのでしょうけど、済みません、殆ど読んだことがございません。でも、『対比列伝』を参考にblogを書いている人も少なくなさそうですから、そういう方々のサイトの記事を読ませて頂き勉強します。

ヘロドトスの批判を行った高名な史家はプルタルコスに限りません。『ローマ帝国衰亡史』(これは、不肖私の愛読書の一つ)の著者であるエドワード・ギボン(1737年生、1770年没///冒頭紹介絵の左から5番目の人・・・6番目はサル、7番目はゴリラ。笑)も、「ある時は子供のために、ある時は哲学者のために書いている」と評し『歴史』は史書擬きと評した?それはギボンが生まれるまでの間に数多く登場した史家達が述べたことの繰り返し。ギボンも、『歴史』のおかげで歴史叙述に興味を持って、大長編の帝政ローマ史を書けたわけですから、ま、いいじゃないですか(笑)

そもそも、「歴史(過去)は、未来へ進むほどに明るみになる」のであり、ヘロドトスの時代には分からなかった事実を、500年後に生まれたプルタルコスが知った。更に、ヘロドトスの死後2千年以上を経て誕生したギボンはもっと詳しく歴史を知る手段を得た。更に、今の時代などは、学校教科書、その他数多くの歴史書やインターネットも駆使して多くを知ることが出来るから、現代の少年少女の方が、もしかするとヘロドトスよりも詳しく知っていることがあるかもしれない。そもそもその2・・・
ヘロドトスよりも20歳ほど若い史家・トゥキュディデス(紀元前460年頃生、紀元前395年没///冒頭紹介絵の左から2番目の人)の実証的な著述姿勢の方が、ヘロドトスよりも高く評価されていた。しかし、代表作とされる『戦史(ペロポネソス戦争史)』を自らの意思で打ち切った。

トゥキュディデスは一軍を率いたアテナイの武将であった。しかし、紀元前422年のトラキアで敗走。この事で大きく失脚すると、2年後の(軍事)裁判で有罪判決を下され軍から追放された。アテナイの処し方に絶望したトゥキュディダスはスパルタに身を寄せて、以降は、著述生活に入ったと考えられている。

トゥキュディダスの著述手法はあくまでも中立。どちらかに偏ることをせず、そして、実際に行われた報告・取り交わされた文書や軍人や政治家の演説などをそのまま引用することも行った。もしかすると、逆に、その手法を(広告塔的に)政治利用された可能性もあり、それがイヤになって筆を折った?かもしれない。つまり、精錬潔癖を心掛けた文筆家だった?それも持ち上げ過ぎかもしれませんけど。

トゥキュディデスも、『歴史』を批判した。でも、初めて歴史評価の重要性を世に問うた”先輩”ヘロドトスを無暗に貶めることはしていない。あくまでも、事実に近い手法で歴史を書くことの重要性を知らしめた先駆者であり、それはヘロドトスが先に『歴史』を描いたからこそ大きな意味を持った。ヘロドトスが登場して、あまり時を置かずにトゥキュディデスが歴史追求者となったからこそ、歴史を知ることの重さを人類は理解した。だからあまり堅く考えず、良きファンタジーとして、ヘロドトスの『歴史』は一読に値する。

そして、トゥキュディダスが恐らく無念の思いで断筆した『戦史』は、クセノポンが引き継いで(勝手に引き継いで)追加史も付け足し、紀元前362年までの『ギリシア史(ヘレニカ)』として完成させることになった。

学校教科書で学ぶ歴史は確かに知識幅を広げてくれる。が、世界的な史家・哲学者・小説家の書いた歴史書はやっぱり面白い。学校教科書で歴史に興味が持てたなら、是非、史書を一冊でも多く読んで欲しいです。尤も、ヘロドトスの『歴史』を事実を知ったかのように吹聴すると笑われっから。

歴史学の重要性を理解し大帝国を成したローマ

ローマは、王政を廃し共和政を開始した。しかし、貴族と平民の争いは王政の頃よりも顕著化し内乱も増えた。故に「法」の整備の必要性が生じ、その当時の先進国家に法体系を学ぼうとする。

ローマが最初に学びを請うた先は、イタリア半島にも植民市を持っていたギリシア人の都市国家アテナイだった。ローマは、当時では先進的な”民主政法治国家”アテナイへ学識者を派遣する。参考にしようとした法体系がアテナイだった理由は良く分からない。既に、大国志向のあったローマと、都市国家アテナイでは、国の創り方が違うように思う。そしてその通りに、農地の法整備が急務と考えていたローマには、アテナイの法は合わない部分が多々あった。結果的に、アテナイに学び過ぎなかった事で、ローマはローマとして大成する。それでも、商工業や学業・文化面でギリシア世界、そしてオリエント社会から多くのことをローマは学んだ。

ローマの政治家は、少なからず文筆家であった。冒頭に登場させたキケロやカエサルはその代表格。政治家が、目指すべき国家像を語り、それが記録として残るのは良い事です。ローマとは正反対に、支配者が何も語らせない強権国家もありますが、そのような国家は、未来に対して無責任極まりない存在。ですから、何も尊敬を受けず侮蔑され学びの対象からは外され、教科書に載ることもない。

ローマには、歴史に学ぼうとする人が多かった。ローマ元老院の演説に於いても「かの誰それは…」「かつてのあの国家は…」のように、過去を事例にする手法も多く取られた。今はそれは普通の事だが、上述したように、ヘロドトス以前にそういう事を口にした為政者は恐らく極めて少なかった。何故なら、多くの戦勝国は、葬り去った国をほぼ破壊し尽くし、その国の歴史になど何の興味も示さないのが常だったのだから。バビロニアもヒッタイトもアッシリアも・・・何処も彼処も破壊され尽くした。ギリシア世界でも、マケドニアなどは占領地を破壊した。本当に敗者を書き残したのは、ギリシアに学んだローマくらいからであり、それはカエサルの著書『ガリア戦記』によく表れている。出来るだけ多くの敵を、その敵がどういう人であったのかを記録しようと努力したことが読み取れる。自分たちの”素晴らしい勝利”は、こういう敵に対してのものだった。と、戦争の必要性を訴え、功績を称えられたいという狙いも勿論あったでしょう。けれども、ローマはそのようにして敵を知る、敵の歴史も知ることで戦い方を学習したから強かった。そして、敵であっても優れた人材はローマ人として受け入れ重職に登用するなど、それまでの単なる独裁国家では有り得ないことを始めた。だから、帝政では、嘗ての敵の出自であっても皇帝に成れた。実に素晴らしい。ま、それも度が過ぎて終焉したけどですね。

あまりにも突飛なことは褒められたものではないが、表現の自由が保証されていれば、その国の社会はまともに機能していると言えます。表現の自由がなければ、敵国のことを知らせるとか語るなんて許されないでしょう。嘗て、第二次世界大戦へ突入した頃の我が国は、英語表記さえ許されず、日本以外の事は「知らずとも良い」状態で、正しい情報など民は何も持たなかった。今の北朝鮮よりも酷かったかもしれない。そんな愚かな状態で戦いに勝てる道理が無い。指導層に傲慢な者と強権志向者、勝利至上主義者しかいないような国は朽ち果てるのみだった。そして、その異常さに対して内部クーデターさえ起こさなかった当時の民もやっぱり愚かしい。勝ちしか欲しがらず、相手を称えられない・・・歴史を知らない罪である。今現在も、「歴史とか(政治とか)嫌い」みたいなことを平気で宣う女子が物凄く多い。こんな人間が母になって子育てする。将来の国の状態が不安になるよ。

日本の現在は、貧富格差に苦悩している人達も少なくはない。でもね、図書館の有効活用や書店立ち読みも有る程度は可能なので、情報を隠したがる強権国家よりは自由自在に情報を仕入れ易い。非常に良い事だと思います。その情報の中に、少しでも歴史も入れて欲しい。書を好きになれば、自然と、歴史も好きになる・・・筈です。
歴史は、個人がその知識力を競う為のものではない。誰かの知っている事と別の誰かの知っている事が違ったら、その何れかを否定し扱き下ろすのではなく、角度を変えて、立場を変えて見て見る。歴史の見方は一つではないし、歴史を学ぶ(知る)事に出遅れは無い。誰もが(未来から見たら)歴史になるこの瞬間に参加している今があるのだから。多くの人が歴史を語り、そして今を語り、政治参加を嫌がらない。そのような日本社会になりますように(祈)

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